能登に向かって|石川旅行記②

9月22日現在、昨日から続いた大雨の影響で石川県内では、1人の方が亡くなり、6人の方の行方がわからなくなっているそうだ。1月の地震のために建てられた仮設住宅にも浸水被害が起きている。これ以上、全ての地域で被害が拡大しない事を切に願う。

岐阜から猪谷へ

前回の続きから。名古屋から岐阜まではたいして時間もかからず到着した。岐阜に着くとほんの少しだけ時間があったので急いで水を買って、ちょっとだけ外を眺めた。なにやら金ピカの像が見える。たぶんあんな金ピカに耐えられるのは織田信長くらいだろうと思ったら、信長だった。岐阜からは猪谷行きに乗車する。今は、16:20。猪谷に着くのは21:05。まったく長い道のりだ。途中、古井駅のあたりでは古井が「こび」と読むことに驚いたり、高校生のカップルが「頭ポンポン」をして「お~!!!」となったりした。禅昌寺駅のあたりでは、ぼんやりと車窓から見えた下呂温泉郷のあたたかい灯りを見て温泉郷に行ってみたいなと感じたりした。なんだかんだ、たぶんだいたいは寝てしまっていた。

スケッチブックより「猪谷」

猪谷にて

なんとか4時間50分の道のりを耐え、猪谷到着した。しかし、次の電車までは68分の待ちだ。事前にグーグルマップなどネットで調べていたが、猪谷にはコンビニなどが見当たらない。どうしようかと考えていたが大きな橋があるようなので、せっかくだから行ってみることにした。

猪谷にて、神通川にかかる橋

もうあたりは暗くまさしく夜だった。欄干(橋の柵)は真っ赤でずっと先まで続いている。橋の手前、彫刻で下を流れる川の名前が彫ってある。「神通川(じんつうがわ)」だ。この名前を聞いて何か思い出す人がいるかもしれない。私は「イタイイタイ病」のことを思い出した。なぜ思い出せたかと言うとくだらない語呂合わせ、「神通川でイタイイタイ」(神通と陣痛をかけている)でその名を覚えていたからだ。イタイイタイ病は「神岡鉱山」から排出されたカドミウムが、神通川を汚染したことによって引き起こされた公害病である。中学社会科において「四大公害病」の1つとして勉強した人も多いかもしれない。ネットの情報なので定かかはわからないが、ここ猪谷には神岡鉱山で働いていた人の社宅があったそうだ。なんだか不思議な気分になる。橋を進むと、照明の光が届かない部分があり、私はそこで空を見上げた。真っ暗な分、星が良く見えた。誰かの詩で、「黒布に針で穴をあけたように、夜空の星が見える」という詩があったように思うが、まさしく無数の星はそのように見えた。ひととおり見た後、今度はその暗さに恐くなってきたのでそそくさと橋を引き返すことにした。自販機で飲み物を買って、駅へと戻る。

猪谷駅の待合室

猪谷駅のホームをでるとこのような待合室がある。本棚にはたくさんの本が入れてあり、人が待つのに退屈しないようにしてくれている。私は、本棚の上に置いてあったノートを手に取り、読み始めた。このノートには猪谷駅に来た人が自由に、「どこから来たのか」や「どこへ行くのか」を書いている。ほほえましくページをめくっていると、あるページにたどり着いた。そこには「また会うね。」のひとことと、それを記入した日付であろう「2024.6.7」とだけ書き記されていた。私は、この言葉にある一定の魔力があると感じた。「また会うね。」という言い方は「また会おうね。」よりも「願望」の成分が少なく、はるかに確定的な言い方だ。その確定的な言い方からはホラー的な恐怖を感じざるをえないが、しかし一方で絶対的、運命的に、もしくはものすごい努力を通して「また必ず再会する」というロマンティックな響きも持ち合わせているように思える。「また会うね。」これを書いた人は何を思っていたのだろうか。

長いようで短かった気もする68分の待ちも終わり、22:14富山行きの電車へと乗車する。まだ今日は終わらない。

つづく。



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