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空気と感覚

最近、なんとなく少し
「日常らしい日常」が取り戻されてきている空気が
流れているんだろうという””流れ””
を感じてきて、

自分自身の個人はどうなんだろうと考えた。

私はどうにもこうにもコ▢ナやら
心身の疲弊やらで職を失ってからまともに働けていない。

職はないけど、経済面でいえば家族の支えがあることが唯一の救いだ

今の社会に目を向ければ、深刻な貧困生活に追われている人もいるから
自分はまだ恵まれているんだろうと思うと
自分は、今のこの状況に甘えているのではないかと、

自己嫌悪でまた何かすり減らしている気がする。

「もっと頑張れよ」って脳内で言われている気がしてならない。

自分が社会に置いて行かれているのか、置いて行かれていないのか
誰か教えてと、声に出したい。

コ▢ナの流行が始まってからというもの、

今の自分には何ができて何ができないのかということすらわからない状況が、今の自分にはとてもとても重い。

今の心情で言えば、

――――「日常が取り戻されてつつある空気」によって、
取り残されていくような気がする。っていう言葉が一番伝えやすい。

色んな人が色んな環境や状況で、
同じような心境の人が大勢いるんじゃないと感じる。

自分では補えない部分がどんどんどんどん陥没していって
取り返しのつかない所にまで達してしまう気がしてならない。

みんながみんな必死になって日常を取り戻そうとしている事も
ひしひしと伝わってきて、
何かを補って何かを犠牲にしているんじゃないかとか、
街中でふと目に留まる人を見ながら歩いているだけでそう思ってしまう。


街中で写真を撮るクセで世間をみると
自分も世の中も曖昧で空虚だと改めて思うけれど、
私は今どうしても生きなければならないし、会いたい人がたくさんできた。

頑張って生きていたい。


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