徒然2.サービスについての解釈

「サービス」

これは私の解釈だが、
契約に基づき、私たちがお客様に提供するものやことは「サービス」である。
一方でオマケすることも「サービス」と言う。
が、ここでは前者の「サービス」に焦点を当てる。

「契約に基づき」
という前提は重要である。
お客様が「もの/こと」を希望し、対価としてお金を支払う。
この契約に則った「もの/こと」を提供することはサービスである。

一方で、
お客様がそれのために対価を支払っていないにも関わらず、
スタッフがお客様に何かを提供した場合、
この場合において「もの/こと」を提供することはサービスの域を逸脱している。

サービスの話を進めていく前に、ご承知おきいただきたい。
私はあまりにも物事を知らない。
解釈に次ぐ解釈を行い
その後さらに解釈を加え、解釈を施す。
空想で考えを巡らせていると理解し、話半分に読み進めていただきたい。

私は、物事を追求する時に「起源」を辿ることが多い。
なぜなら、起源から遠ざかり現代にまで辿り着いたそれは、あまりにも複雑だからである。
「起源」というのはいつだって単純明快でわかりやすい
そう信じて辿っているのである。

さて、「サービス」の起源を辿ってみるとする。足りない知識をひけらかすこと、どうかご勘弁いただきたい。

「サービス」の語源はラテン語 の「servitus」。意味は「奴隷」である。
なんとなく、サービスというものは奴隷が行うものであると連想される。
そうであるならば、サービスというものを取り巻く環境には主従関係(上下関係)が存在するのである。

もうすでに私の解釈の世界に、居心地悪く感じる人が出てきたかもしれない。
しかし、主従関係の中で行われるサービスってどうなの?
という思いが私の素朴な疑問として湧いた。

なんとなく、サービスを受ける側が喜ぶ姿をイメージできないのである。

私はサービス業として、お客様にサービスを提供しているつもりであった。
そしてお喜びいただけることに、価値を感じている。

果たしてお喜びいただけたことは、私の「サービス」に対してだろうか。
「サービス」は喜びを生むことができるのだろうか。

私たちの「サービス」はお客様との間に、無意識に、主従関係を生み出すことに寄与していないだろうか。

上下関係のコミュニケーションからは、喜びは生まれないのではないか。
この仮説から「サービスからの脱却」が、私のテーマのひとつとなった。

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