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【近況報告】映画『マイ・ブロークン・マリコ』

こんにちわ、Twitterとココナラを中心にイラストレーターをしております。
菓子蔵(かしくら)かるです。

昨日から一気に肌寒くなってきて、聞く曲も、衣替えです。

こんな気候にぴったりなのはmiletさんの『 One Reason』かな。
あなたを忘れるために多くの理由があって、でもたった一つのあなたを忘れない理由を意味しています。

いつか、miletさんの曲の考察noteも書きたですね。
英語の歌詞ばかりなので、和訳から始まりますが(汗)

霧雨の朝に聴きたい曲です。

さて、今回のnoteは、近況報告も兼ねた映画『マイ・ブロークン・マリコ』の考察です。

仕事終わりのレイトショー

映画『マイ・ブロークン・マリコ』はレイトショーで見ました。

と言うのも、なんとこの映画、自宅のすぐそばの映画館で上映していたんですよ!!
珍しいケースでしょ。いっつも私の見たい映画って、ちょっと田舎の小さな映画館でしか上映されいていないんです!

それもいいけど、近場で上映されてるなら、レイトショーもいいかなってことで、今回は21:25上映のレイトショーに、飛び込みました。

仕事終わりだったのですが、レイトショーはいいものですね!
1日が最後の映画一本で華やかになります。邪険にしている上司も少しは景観としてみれました。

映画館前のポスター

『マイ・ブロークン・マリコ』

2020年前半、漫画『マイ・ブロークン・マリコ』が発売されてすぐに、私はそれを購入しました。

本屋での一目惚れなんて、禁忌だと思っていました。
でもその日はなぜか、購入して帰ったんです。そのほかに、何か一冊買った気がします…なんだっけ。

本当に奇跡的に、その日その本と出会いました。

初めて読んだ感想はひとつ「つまんな」でした。
だって、帯を読めば、死んだ友人の遺骨を連れて旅に出る物語だとわかって、実際そうでしたし…それだけじゃん。なんて。

この本はお蔵入り。
今思うのは、この名作を読むには、部屋がうるさかったということです。

原作と映画化の比較

原作が映画にしては短いのもあって、追加されたシーンはあったが、切られたシーンはあまりなかった印象。

追加されたシーンで一番印象的なのが、マキオはシイノに歯磨きをすすめるシーンだ。

死のうとしたことがある人ならわかるだろう、死ぬ直前って喉が渇く。
歯を食いしばりすぎて、口の中の肉が真っ白になる。

マキオはそれを知っているから、死にむきあっているシイノに歯ブラシを渡したんだろうな。
原作より(さらに)生々しい。

この描写に限らず、映画化は、漫画より生々しかった。
そこが非常に気に入った。
この映画がヒットするには、その生死の生々しさを、発揮できるキャストにすることだったのではないかなと、素人ながらに思いました。

キャスト

これは賛否両論あるだろうけど、マリコ役の奈緒さんはピッタリだったと思う。
誰かに執着した時の、自分の身の回りが疎かになって、枯れた花のような体型がピッタリでした。

中学時代のシイノはもっと大人っぽいメイクがよかったです。
マリコの幼さが立ち、それに手を出した父親の危うさがうまく出るから…。

永野芽郁さんも奈緒さんも、子役の2人も、難しい役だったと思うけど、それぞれにそれぞれのキャラクターを持って望んでいて、出来上がった映画だったと思う。


入場前

考察

ここから考察を…と思いますが、最初に言っておきますと。
私はしがないイラストレーターでございます。

拙い文章であることを先に謝罪いたします。
解読頑張って!!!

マリコとシイノ

「めんどくさいって思ってたよ」
映画『マイ・ブロークン・マリコ』

シイノはマリコのことをこう思っていたようです。
決して可愛いタイプのめんどくさいではなく”相手をしたくない”的なめんどくさいだったでしょう。

ではなんでマリコのために怒ったり、泣いたりしたんでしょう。
マリコはシイノに何を与え他のでしょう。

「シイちゃんがわたしのこと嫌いになったら。わたし死ぬから」
映画『マイ・ブロークン・マリコ』

本当に、めんどくさい女なのに…

結論から言うと、マリコとシイノはお互いシイノとマリコなのです。

それは、ママが母親であるように、当たり前に繋がっている2人。

マリコに「シイノは友達?」と聞くと「うん」と答え、シイノに「マリコは家族?」と聞いたら「そんなもん」と答え、マリコに「シイノは恋人?」と尋ねると「うん!」と答えてきそうじゃないですか?

そんな、ギブアンドテイクを通り越した、共依存。
それがこの2人です。

こんな相手が見つかってしまったことが、マリコの死因だったのかもしれませんね。
私だったら…そう。相手の唯一無二になることを夢見て喜んで死ぬかもしれません。

男性の描き方

原作では、女の子同士の友情が強めに描かれていますが、映画の方ではそれに加え、女性から見た男性への悪意が強く表現されているように感じました。

「一歩下がって男を立てる女はうまくいく」という言葉があります。男の後ろを黙ってついていく女はいい女だ(諸説ありますが)という話です。

でも、シイノがマリコの遺骨を奪い、川を渡るシーン。
細い足で水をかき分けて真っ直ぐに、泥を被りながら進みます…

その力強さも美しいでしょう?

崖の上での熱演

物語の見せ場は多くありますが、ここが一番の見せ場でしょう。
マリコの散骨直前に、マリコが縋り付いてきます。
「まだ伝わってないことがある。最後に、聞いてほしい。」そう言わんばかりに。

「シィちゃんがいるってことしか。私に実感できることってないの」
(中略)
「あたしがまだ、ここにいるのに…あんたは、あたしを置いてっても何も感じないわけ⁉︎ねぇ!死んでちゃわかんないだろっ!」
映画『マイ・ブロークン・マリコ』

本当に伝えたいことって、自分でもわからないものです。
自分の遺骨が撒かれたら、後は忘れられるだけ。そんな状況になってやっと、まとまりがなくても、反論されても、マリコは自分の声で喋り始めたような気がします。

もちろんシイノも反論します。
もう散骨の一歩前まで来てるんですから。

永野芽郁さんの「死んでちゃわかんないだろ!」は予告でもみていましたが、もうみてられないくらい辛かったです。

このシーン、ラストは暴漢から逃げるマリコ(女子高生)が『助けて!助けてよぅ!」と縋ってきて。
マリコ(の遺骨)とシイノがそれを身を挺して助けます。

誰かを救えたなら、それ以上に救われることなんてない。
きっとそんなメッセージがあったのではないでしょうか?

マリコが自殺した理由

ここもいろんな意見があるとは思います。
私はこう思いました。

「…わたし。シイちゃんから生まれたかった。シイちゃんの子供になりたかったよ」
映画『マイ・ブロークン・マリコ』

「生まれてくるところ間違えたなんて思いたくない。本当はママのお腹から生まれてきてよかったて思いたい」でも、そういえないマリコは「シイちゃんの子供になりたかった」と言います。

「どれだけ嫌われても、好きになってほしいのが家族なんだ。どれだけ嫌われても、そばにいてほしいと思うのが家族なんだ」
『tie_on』

散々、自身の境遇を呪っていたマリコ、でも、また生まれてきたいと思うのです。
この世に幸せがあると信じているから。

だからマリコは死んだのではないでしょうか。

マリコは死ぬ時、シイノの子供になることを少し期待して逝ったのではないかな。

最後に

最後に、この映画で伝えたかったことはなんだったのか、私なりに解釈したことを端的にお話しして終わろうかなと思います。

自殺は暴力だと思っている。残された人間は、もうなす術がなく、永遠の宿題を残されたようなものだからだ。人生に「たられば」など存在しないとわかっていても何度でも「たられば」を考え、どこで間違えたのか自問し続けなければならない。
映画『マイ・ブロークン・マリコ』パンフレット

シイノからマリコが消えたと同時に、マリコからもシライが消えた。
自殺っていうのは、それだから良くないんだということです。

私は「死にたい」と言ってくる友人に「1人では死なないでほしい」と言っています。

それは、死んだら私もあなたも1人だからです。

そういえば今思い出しました。
漫画『マイ・ブロークン・マリコ』と一緒に買った漫画は『カラオケ行こ!』でした。

今日も1日、なんでもない日が素敵でありますように。

原作とパンフレットとチケット


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