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プロ陸上選手なんかじゃない

スプリントコーチ の「秋本真吾」です。
子供たちからトップアスリートまで人の足を速くするという仕事をしています。

今日は僕自身が「プロ陸上選手」と名乗って競技をしていた時の話です。

僕は今40歳です。
30歳の時に競技を引退しました。

僕は30歳で迎えるロンドンオリンピックに出場できても、できなくてもそこで競技を辞めるという期限設定をしていました。ゴールが決まると自然と引退したあとのことも想像し始めます。当時働いていた会社では9時から15時まで働き、その後練習という流れでした。

引退後は必然的にフルタイム勤務となります。釣具のルアーメーカーで働いていた僕は専門外の仕事をするよりも、自分が30歳まで続けてきた陸上競技という経験を生かした仕事をしたいと思うようになってきました。

そこで、僕は会社を辞めて残りの1年半をスポンサーを自ら見つけて競技を続ける環境を確保しようと思うようになり、28歳の時に当時働いていた会社を辞めました。

その後、2社スポンサーをなんとか見つけて競技を続けることができました。そこで、僕は「プロ陸上選手」と名乗るようになりました。

当時、僕の知っている限りプロの陸上選手は400mハードルでメダルを2度獲得した為末大さんしかいませんでした。同じチームにいたことやトレーニングも共にさせていただいていたこともあり、為末さんの背中を見て俺もこうなりたいと強く感じていました。

当時の僕の「プロ」の定義は

実業団に所属せずにスポンサーを付け競技を続けている選手

でした。

プロとはプロフェッショナルのことを指します。
では、「プロ」とはどういう意味なのでしょうか?

辞書で調べると

それを職業として行うさま。専門的。また,その人。専門家。 

と書いてありました。

僕はスポンサーからお金をもらいながら陸上競技者として競技を続けていました。つまりはプロ。スポンサーのお金で僕は陸上を職業にしていたわけです。

では、ただ競技をいつまでも続けられればいいのか?というとそれは違います。

競技者として「結果」を出さなければいけません。

僕の求める「結果」はロンドンオリンピックに出場することです。では、その「結果」はどうだったのか?

結果はアキレス腱を負傷し自己ベストは疎かロンドンオリンピックに出場することさえもできず引退しました。

引退後、僕はコーチになり様々な「プロ」と出会うことになります。

「プロ」の野球選手「プロ」のサッカー選手、「プロ」のアスリート、「プロ」のアーティスト「プロ」のタレント、「プロ」の芸人。

みなさんどれもそれを職業として行い、専門的。また,その人。専門家でもある方々です。

僕がプロ野球選手の走りのコーチとしてチームのキャンプに帯同したときのことです。

宿泊するホテルに到着すると平日なのにも関わらず選手のユニフォームやサイン色紙を持ったファンが行列を作っていました。翌日、選手が乗り込むバスの周りにはとんでもない人だかり。球場に着けば老若男女幅広いファンで溢れかえっていました。選手が移動すればファンも動く。選手のグッズも飛ぶように売れていく。何もかもが衝撃的でした。陸上競技の代表合宿でまず見られない光景でした。

仲の良いアーティストのLIVEに呼んでいただいたとき、東京ドームが満員になって、1万円払ってでもこの人の歌を聞きたいと思っている人がこれだけいて。それでもLIVEに行けずに悔しがっている人がいて、その人の歌を聞いて感動して涙を流している人がたくさんいて。

僕の知っているタレントさんはCMや企業の案件から数千万円のスポンサーを企業がそのタレントさんに支払っていることになります。それだけの金額を払ってでも自社の広告にその人を使いたいわけです。

そういった領域の違った「プロ」と出会っていく中で、「俺は本当にプロの陸上選手だったのか?」と思うようになりました。

「俺を見たいと思って何人の人がお金を払って競技を見にきたのか?」

「俺がスポンサーにもたらした利益ってあったのか?」

そういったことを考えるようになりました。
自分の中で出た答えに素直に情けなくなりました。

そもそも競技者としての一番の使命は「結果」のはずです。
その「結果」がまず出なかった時点で「プロ」ではないと感じました。

スポンサーを獲得して「プロ」に俺はなれたーと自分の定義づけの中で満足し、その姿に酔っている自分が間違いなくそこにいました。

為末さんは、スポンサーからの収益プラス海外転戦を繰り返し、賞金を勝ち取っていました。

プロの野球選手もサッカー選手もバスケ選手も、試合を見るためにファンがお金を払う、その選手が好きで選手のユニフォームを買う、そのチームに選手に価値があると思って企業がスポンサーを支払う。選手は結果が出れば年俸という形で評価され、結果が出なければ戦力外を受けクビになる。

アーティストやタレントさん所謂「芸能」という世界で生きている方も同じことが言えるのではないでしょうか。

全てはその専門領域でもたらされる「結果」が全てなんだと自分の中で「プロ」を定義づけるようになりました。

現役中に引退後のことも考えて行動しなきゃダメだと最近はよく言われます。僕もその意見には賛成します。しかし、「プロ」として結果を出さなければいけないことが大きな「使命」だとしたら、24時間中、7時間寝て、練習2時間して、その他移動したり食事したりを含めれば残り10時間です。その10時間で自主トレして、本読んで、休養してと考えたら、競技者としての行動以外にできることってどのくらいあるのだろうと。

プロであるならお金を出してくれている会社に一番に果たすべき責任は「結果」である。そう思うようになりました。

結果がでなくても応援し続ける。そういった会社もたくさん見てきました。僕はそれをいい会社だなあと思ってきました。しかし、厳しい言い方ですが、ただそれは所属選手を甘やかし結果が出なくても私のスポンサーは応援してくれるんだという勘違いを招きかねないとも思っています。


僕は当時、自分を「プロ陸上選手です」と言ってました。

でも、僕は「プロの陸上選手」なんかじゃなかったです。

今僕は、競技を引退をして、人の足を速くするスプリントコーチ ということを仕事にしています。僕はその中でも

「定性的」な評価と「定量的」な評価の2つを大切にしています。

「定性的」とは、僕に関わった人は走り方が変化して速くなったという主観的な評価と他者が見た時に明らかに走りが変化しているという客観的な評価、数値価しにくい部分で抽象的ではありますが、この感覚はアスリートにとっては非常に重要な変化です。所謂、走り方フォームの変化です。

一方で「定量的」とは50m走ったらタイムが速くなった、野球時の盗塁時の成功数が増えた、サッカーにおけるスプリント回数が増えた、最高速度が速くなったなど数値化できる項目です。

この2点を確実に達成することで、僕が「プロ」のスプリントコーチ としての選手にチームに社会にもたらすことのできる「結果」だと思っています。

競技者の時の自分はどこか甘えがありました。
「プロ」の定義を低く設定していました。


今、違う道の「プロ」と名乗る以上、とことん「結果」にこだわり続けて生きていきたいです。

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