見出し画像

【日記】性格の醜形 -性善説から見た性悪説は差別なのか-

8月8日 晴れ時々曇り
今日すれ違ったわんこ:白いマルチーズ かわいい




 論文みてーなタイトルしてるなと思ったそこの貴方。私もそう思った。だが内容は論文などではなく、一個人の、社会不適合者の戯言です。残念でした。


 合わない上司がいる。固定観念を体現したようなほど何もかも古い見方をしていて、とにかく話を聞いていて疲れる。一番最悪だったのは髪を染めた人に対しての価値観だった。

「刺青を入れている人と同じで怖いよね」

 なんじゃそりゃ。

 入れ墨=反社会的な人、と思うのはまだ100歩譲って理解できる。そういう名残があるのも、実際にそう「だった」のも事実だからだ。まぁとはいえ海外ではよく見られるし何なら若い子に流行りつつある、とは言えなかったが。
 だが髪色は? それこそ若い世代は髪=染めるものという風潮が強いし、実際私も前の職場に止められるまではガンガンに染めていた。新しい職場の上司はそれが怖いという。周りの人もビックリするからあんまり好きじゃない、とさえ付け加えられた。一応触れておくと私は前の職場で止められてから黒髪を貫いているのでこんな名前だってのもあるし自分のことではない、とだけ弁解しておく。かつて大学に片側を青色、片側を緑色にした生徒が居たが、あの人を見たらどうなるのだろうか。

 とにかく髪色が派手な人は怖いらしい。理由は分からないが、NTR同人誌の竿役でよく見られる「竿役=金髪・ガタイが良い・金持ちが相応しい」みたいな偏見があるのだろうか。それか過去の金髪=ヤンキーみたいな経験則に基づいているのかもしれない。どちらにしろ時代は変わったし、ドラッグストアの髪染めの売り場の広さはバカに出来ないほどになっている。

 と、このように意見が対立しても、私は片側に非が無いだとか、相手にも立場があるとか、理由があるとか、そういったところを探して、最終的に「そういう風に感じる自分が嫌」という結論に至ってしまう。人には必ず好さがあるが、そういう綺麗な世界を信じている人からすれば、悪は取り除かなければならないもの。即ち、私は私の中の「そんな価値観を持つ人間は最低最悪だ」という感情を是としない。だからこそ相手に何をされても自己嫌悪に至る。もはやDVの一種だ。自分で自分を虐めて、そこに快感を得て居たり、たまに気付きを得たりしている。

 普通の人はどうなのだろうか。こんな風に差別せず、偏見も持たず、何もかも受け入れているのだろうか。はたまた、一見そう見えるだけで、本当は心の中でどす黒い感情を持っていて、仕事終わりの居酒屋であーだこーだと愚痴を零し続けるのだろうか。

 人間の本質、で〆ようと思ったが、そもそも人間の本質とは何なのだろうか。「人間」というあまりに大きすぎる主語を使えるほど、私は他人を見てきた自信が無い。根拠もないのに大きなことを言ってしまう、またそうやって自己嫌悪に至る。
 相手が悪い、私は悪くない、と言ってやりたい。でもそう思う自分はもっと嫌だ。何故嫌なのか? 答えは簡単だ。自分が固定観念に捕らわれた人間になりたくないからだ。人生経験の乏しい黒田ちゃんでも今まで見てきた固定観念に捕らわれた大人はロクなのがいなかったし、みんな決まって距離を取られている。柔軟性を忘れたくない。あれ? これって固定観念に捕らわれてる? ああ、また自己嫌悪。自己嫌悪。


こんなところ読む暇があるなら今すぐヘルシングを読んで下さい。