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ピアスを開けた話

ピアスを開けた。
左耳に2つ。
右耳は長い前髪でいつも隠れているから左耳に。

僕は、リストカットとかオーバードーズとか言う自傷行為を生まれて此方したことがない。
未遂ならある。
あとそういう脅しもしたことがある。
でも実際にしたことはただの一度もない。
それは単純な話で僕が臆病者だからだ。
痛いのは嫌だ。怖いのも嫌だ。痕が残るのも嫌だ。と言った我儘ぶりで、一線を越える直前、恐怖に叩き起された理性が重たい体を起こして、まあまあ、なんて適当に宥めてくる。
剃刀を手にして、手首に宛てがって、でもそこで思い留まって、また元の場所に戻す。
唯一常備してある鎮痛剤の箱を手に取って、裏の説明書きを端から端まで読んで、肩を落とす。
そんな夜の繰り返し。
惨めな気持ちだった。月まで嗤っているような気さえする。
でも泣いたらもっとみっともないから歯を食いしばって耐える。温かい布団に潜って、お気に入りのクラシックをイヤホンから流して心を満たす。目を閉じて怖いものを見ないようにする。
世界から、自分から、僕を切り離していく作業が必要だった。

そんな夜からどうにかして僕を救えやしないか、と思ったのだ。

そうだ、ピアスを開けよう。

心が痛い、と叫び出したいのに声が出ない時。
傷が瘡蓋になって痕になっていつか消えてしまうことが怖くなる時。
どうしようもなく消えてしまいたくなるのに、その思いをただ燻っているだけの臆病者の自分が自分で嫌いになって嫌なループにハマってしまう。
そこから抜け出すために、ピアスを開けようと思った。

ピアスは、痛いのは一瞬(らしい)だし、かっこいい。

その日も、重たい希死念慮に付き纏われて憂鬱な夜だった。
こんな日が来るのに備えてピアッシングに必要なもの、開けたあとのケアに必要なものは買い揃えてあった。臆病者故の事前準備の完璧さにはなんとも言えない気持ちになる。
いざ開けようとなるとやっぱり怖かった。
だから友人に電話をかけた。
ピアッサーを耳朶にセットして、やるぞ、と思うのに直前で手が止まる。バネが立てる、カチ、カチ、という音がどんどん近づいてきて、それがカウントダウンみたいで鼓動がどんどん速くなった。
持病の定期通院で毎度採血があるから体に針を刺されるのには慣れているはずなのに、それとこれとは話が違うようだ。自分でやるとなると、手を止める選択肢も与えられていて全てを委ねられているからどうしても恐怖心が手を止める。
開けよう、と思い立ってから1時間を疾うに過ぎて、今日は辞めようか、なんて考えがチラつき始めた。途端に馬鹿馬鹿しく感じてとっとと開けてしまおう、と思った。
意を決してもう一度ピアッサーをセットする。
針が皮膚に触れる直前で手を止める。
見かねた友人が笑いながら「3、2、」とカウントダウンを始めたので、
笑いながら制止して、深呼吸をひとつ。
よし、と意気込んで目を瞑る。怖かった。
もう一度、今度は友人と共にカウントダウンをする。
「3、2、1、」

「ダーーーー!!」

バチン!!

耳元でなった音にびっくりして、そのあとにジン、とした痛みを感じた。
ボールの部分を抑えていたのであろう部品のプラスチック片がどこかへ転がっていったのを自然と目で追った。自分の耳朶を確認する。
銀色のボールがテカテカしていた。
無事に成功したようだった。

それから続けざまに隣にもう1つ開ける。
もうあまり怖くなかった。

死にたいとかなんだかどうでも良くなっていた。
清々しい気分というか、視界が開けたみたいな、そんな感じ。

それから毎日、何度も繰り返し調べながらケアをしている。膿んだらどうしよう、とか、引っ掛けないようにしないと、とか、ピアスを開けたくらいで臆病者は治りはしないようだった。

僕は自傷行為が悪いことだと思わないし、言ってしまえば自殺だって悪いことじゃないと思っている。
それと同じように、できないことも悪いことじゃないと思いたい。
僕がそうだから。
自傷してるわけじゃないんだから大丈夫だよ、なんて絶対に思いたくないのだ。
だから僕は想像力を捨てたくない。考えることを辞めたくない。
ちょっとした仕草や態度や零れた言葉の端からその人の心や性格まで何となく汲み取ってしまう特性も、生きづらいし疲れるけど、無かったことにはしたくない。
自分以外の人間の気持ちを全部理解するのは不可能だ。そんなことは知ってる。
それでも、わかろうとしたい。寄り添おうとしたい。ひとつにはなれなくても、隣にいたい。
綺麗事だって後ろ指さされるようなことを言っているだろうか。
それでも人間には想像力が備わっているから、それはきっと"人間だから"与えられた力のはずだと僕は信じている。

左耳のピアスがあれば、あの日の痛みをちゃんと思い出せる。
死にたい夜を越えてきたことも。
死にたい夜で凍えている人がいることも。

左耳に触れたくなるのを、ぐっ、と堪えて。

今日も夜を泳ぐ。
凍えている誰かに言葉を届けに行こう。

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