1993年、自民党が政権離脱し米の緊急輸入でワゴンは革命したのでR。

いつまで待てば梅雨が明けるか?1993年の夏は稀に見る冷夏で米が凶作,タイから緊急輸入した長粒米は結局不評だったし.総選挙で自民党政治が終焉して野党が連合した連立政権に移行した。長年の価値観が大きく方向を変えた年でもあり…

軽自動車のマーケットにも政権交代に似たような変革が起こっていたのです。79発売のアルトが好調なスズキはダイハツと市場を二分する闘いの真っ最中。ここで一つブレイク・スルーが欲しいところ。開発陣が試みたのはシートを高めにセットして前足の投げ出し量を減らすこと.これで前後にも上下にもゆとりある室内が生まれ,ついでにママチャリも積載出来る荷物スペースも!

実は一足先に三菱ミニカからはミニカ・トッポなるハイルーフのバリエーションが登場していた。とはいえこちらは腰から下はセダンのまま。頭上空間と窓面積だけを上に伸ばした改造バージョンだったのに比べ、ワゴンRは着座位置から全てを見直し、前後スペースの拡大も実現したところが大きな違い。

ネーミングは当時始まっていたワゴン・ブームに乗じてワゴンである事をアピールしたワゴンR(アール).ヒットしない訳が無かった。ワゴンRの大ヒットが後々ミニバン・ブームにまで影響するのはご存知の通り。
実はもう一つ重要なヒット・メーカーが生まれていました。

大好評の長崎オランダ村は駐車場不足解消の為購入した広大な土地にTDL並みの巨費を投じてハウステンボスを完成させました。そこで納入商品サプライやリネン関連のサービス車両として選ばれたのが軽ワンボックスのスバル・サンバー。
他の場内バスやタクシーの様な専用設計ではなく、ほぼ市販車のまま。でもパークの雰囲気や他のオーテック製特別仕様車とイメージ統一を図ってフロントに馬蹄形のクラシカルなダミーのラジエーター・グリルを取り付けヘッドライトも丸型2灯に仕立て直しました。これが東京モーターショーに参考出品されるや生産化にゴーサインが出て、軽はおろか広くレトロブームに火を付ける事になる訳です。

スバルからはもう一台、好評のレガシィが最初のフル・モデルチェンジ。スバルにしては四年の短い周期でしたがデザインには外国人を起用しサッシュレスのスマートなウィンドウは維持.全長と室内前後長を延長して5ナンバー枠一杯まで成長.のちに追加された最上級バージョンのGTーBにはビルシュタイン製ダンパーを奢ると言う前代未聞のアイテムが魅力でした。この頃にはボルボやスバルが火を付けた日本のワゴンブームもすっかり定着。セダンとワゴンが用意されたレガシィの過半はワゴン・ボディでの受注でした。

日産もトヨタもワゴンボディの新型車の開発に着手したのは言うまでもありません。若き日の松嶋菜々子がカーゴスペースから太腿を突き出し「お・ま・た・せ!」と現れたのは日産アベニールのCM。セダンを持たないワゴン専用車種でブルーバード・ワゴンをルーツとします。

一方大衆車クラスではマーチを土台にしてノッポ・ボディのキューブが登場。その成り立ちはワゴンRにも酷似するものの、お世辞にもスマートとは言えないモノで、キューブが本領を発揮するのはこの次の世代から。

この当時、世界ラリー選手権を席巻中だったセリカがカリーナED共々フル・チェンジ。3ナンバー枠にちょっと拡幅されて、窓面積も拡大、エキセントリックだった先代と同じシルエットながら大人し目の味付けになり、リトラクタブルの角形ライトも丸型4灯の時代に先駆けたスタイルに。コロナEXIVと言う兄弟車も従えてのデビューですが、4ドアHTは安全上の理由からセンター・ピラーを付けたフツーのサッシュレス・ドアに格下げ。これが人気を誇った4ドアハードトップ・スタイルの最終形となりました。

セリカから分離独立したスープラ、形式名ではこちらこそ本家の後輪駆動セリカA×○系でしたがスープラもA80系ともなると一層スポーツカーらしくなります。ホンダNSXや三菱GTOの様なスーパー・スポーツを意識した重量級の4座スポーツですが、1978から続いたトヨタ生え抜きのスープラの暖簾は一旦ここまでで途切れる事になってしまいます。

オープン2シーター・スポーツでは異例の大ヒットになったユーノス・ロードスターも4年を経てほんの少しパワーアップしてボディも各部が強化されます。が、外見上はほとんど見分けがつかず、リモコン・ミラーやアルミ・ホイールの意匠、バッジの文字色でしか判別出来ませんでした。

マツダからはファミリアとクロノスの間隙を埋める新型車ランティスが登場。言わば大きなファミリアとも言うべき存在でセダンと5ドアハッチバックは全く違うデザインのもの。大きなアーチを描くルーフラインは世界のデザイナーに少なからず影響を与えた様で、この後類似のプロポーションが散見されます。

ホンダはF1参戦から手を引いて市販車テコ入れに注力しますが、好評のインテグラがモデルチェンジ。先代の人気を引き継ぎます。兄貴分のアコードも刷新され4ドアはシビック・フェリオをそのまま拡大したようなデザインに。北米からのワゴンボディ輸入は続きましたが先代ほどの注目は浴びず、定番商品として定着した感があります。

オリンピックの年毎に律儀にモデルチェンジを繰り返していたマークⅡとそのライバルたるローレルも新世代にスイッチ。もうこのクラスでは3ナンバーボディは不可欠でデザインも当初から3ナンバーサイズを見据えたものに。ただ、バブル期にあれほど飛ぶ様に売れたマークⅡ三兄弟の威光ももはや先代まで。
また、4ドアハードトップ1車種だったC34ローレルの窓は太くがっしりしたセンターピラーで支えられる事になったのです。同時開発だったスカイラインが後席空間拡大の命を帯びていたのに対し、ローレルの方は安全性向上が重視されたのでしょうか?

冷夏を前に政権は自民が敗北して野党が連合した連立政権に
戦後の自民与党体制はここに終止符を打つと同時にデートカーと呼ばれる若者をターゲットにしたおしゃれなパーソナルカーが憩いを失い、ワゴンRのような背の高い実用的なミニバン・スタイルが認知されたことはこれ以降の自家用車マーケットに少なからず政権交代をもたらす嚆矢となっていたのでした・・・・・



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