実は金を掘るより儲かっていた・・千石船の里;佐渡・小木港、宿根木で江戸の昔のヒルズ族に思いを馳せ、
久々に佐渡を旅して初めて訪れた小木港の辺り(両津港からは反対側)
元々は江戸時代に佐渡金山(相川)で採れた産品の積み出し港だったのが小木の港。今では北側の両津港の方が新潟市に近く、高速船も1時間で結ばれぱれるのでそちらが表玄関?、で小木港の方は勝手口のような扱い??(でも、直江津港と結ぶフェリーがあるので信州方面からはこちらが近道。)
これと言って見どころのない?両津港に比べると小木の周辺には見どころが沢山!
その筆頭はたらい舟?
もありますが、あの不安定なタライが海に乗り出せるほど波がおだやかなのが小木周辺の入江、文字通りの天然の良港だったわけで、その昔北前船が寄港地として、あるいは風待ちの港に重用したのが頷けます。
そんな小木港の近くでたまたま宿の近くに見つけたのが千石船のレプリカ
正確にいうと現存する図面を元に忠実に再生産された原寸大の平成製の和船、帆船ですが船舶登録はしていない模様。年に一度巨大な格納庫から屋外に引き出され、マストを立てて帆を張るところまでを実演して見せているようです(令和6年、久々に復活)
千石船とは俗称で弁財船のこと。実際に江戸時代のレギュレーションでは500石がリミットだったそう、それでも米俵を満載して77トンを積載できたというから当時としては巨大な舟だったでしょう。性能的にも中世の帆船、サンタ・マリア号と遜色ないくらいでコストの安さ、操船員の少なさでは圧倒していたとか。北前船が日本海沿岸を航行し、上方・蝦夷地の物資のみならず文化や流行までも広めたことはちょっと聞き齧って知ってはおりました。
が、その北前船は運賃で稼ぐのではなく行商のおばちゃん同様商品を買い付け、他の地まで運んで売り渡した走る商社だと説明されています。佐渡だけでなく能登や酒田(山形県)といった日本海沿岸の都市を結び、小樽から利尻島までその航路を広げ、西回りでは関門海峡・瀬戸内を抜けて関西、さらには遠く江戸へも(現在の新日本海フェリーの敦賀、苫小牧航路で北前航路〜佐渡・小木港沖を眺めることができます)
年間数百件にも及ぶ難破・海難事故や盗賊などといったリスクも大きい反面稼ぎも相当に大きかったらしく、ここ小木の港にも早晩、船主のほか船乗りや船大工から桶屋、紺屋、鍛冶屋、石屋といった様々な職種が集まるようになり、いわゆる「六本木ヒルズ・レジデンス棟」を形成したのでした。
それが現在も国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている宿根木(しゅくねぎ)の住宅群、重文と言っても毎日住民が暮らしている現役の住宅街であり、一般に公開されているのは狭い路地とカフェや一部の民家(元は住居だった)に限られる。駐車場で協力費100円を寄付した引き換えにパンフレットをいただき、狭い路地を進むと総二階建て黒板張りの家屋がぎっしりと立ち並ぶ。築103年の郵便局舎はまだ新参者の部類か??
保存地区といっても現に居住者がおり、日常暮らしている街だから数々の工夫が。エアコンの室外機は外壁の板張りと同じ色の囲いで覆われ、雨樋や消火栓の配色もイメージを壊さないものになっている。
鋭角の角地までも有効に活用した三角家は吉永小百合のJRポスターがつとに有名。同じアングルで撮影する女子があとを絶たないらしい。
「公開民家(清九郎)」 安政5年(1858)頃築=見学可能は廻船2隻を所有した廻船主の家柄らしく、広い土間や台所、面取柱、内装の柿渋塗りや漆塗りといった豪華な造りが見られる。建物内部には贅を尽くした内装が満載で驚かされる。まさしくヒルズ族の住処だったことが窺える。
佐渡金山は江戸初期の豪勢なバブル経済の裏付けとなったほか、日光東照宮の経済的バックボーンともなっており、そうした金銀産出のゲートウェイだった小木港の繁栄を思うと、ますます小木という小さな港に興味が募る。
佐渡や廻船ビジネスの資料はないかと本屋を彷徨いていたらこんなタイトルの文庫を見つけた
幕府密命弁財船・疾渡丸: 那珂湊船出の刻 by早川隆
これは中公文庫からリリースされた幕府密命弁財船・疾渡丸シリーズの(第一巻)
弁財船とはいわゆる千石船のこと。商船を装いつつも幕府の特命を帯びた(スパイ船?)はやと丸が茨城県那珂湊で秘密裏に建造され、初航海で銚子港に入港するまでの、政権奪取を目論むある組織との攻防を描いたスリリングな展開が第1巻、(続く第2巻は10月下旬刊行予定で今から待ちきれない!)
重文にこそ指定されずとも小木の街並みにはどこか昭和の懐かしさを感じさせる物件が多い。旅館やホテルに投宿するのもいいけれど、今回は友人のツテを頼ることにした。
佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館 のほど近く、民家をリフォームした酒場併設の宿屋
に旅装を解く
まだ4月にオープンしたばかりの小さな宿屋
元はと言えば台東区上野桜木にて「上野桜木菜の花」として営業していた店。佐渡直送の産品が魅力の料理店だったのが2023年12月末日閉店、オーナーの地元である宿根木の地に今年4月再びオープンさせたもの。カジュアルな設備もさることながら自慢の海産品が並ぶ食卓はコスパの高さでも評価が高いよいうだ。
周りは水田に囲まれており、食卓にはこの米も並ぶ。上野で開店当時は、フェリーが欠航すると食材が届かない、という心配があったが今度は心配ご無用。
「宿根木ヒルズ」から道路一本隔てたところは、もう小さな船着場、というよりかつて千石船の荷揚げ場、造船場であり、長きに渡って遠く北海道や大阪へ通じる玄関口であった場所。今やここからもたらい舟の「海上クルーズ」が発着している。たくみに炉を漕いで操船する姉っこの手捌きは一見の価値あり?なにしろ前端で魯を操り船を前進させる・・・・車で言えば前輪駆動の推進システムは珍しいらしいのだ。望めば自ら漕がせてもらうことも可能だとか。
明治期を迎えるとともに、蒸気船や鉄道が現れ電信の発達とともに、宿根木の廻船は次第に姿を消していった。多くの者は海を捨て、船大工は仕事を求めて集落を離れ、宿根木は出稼ぎの村となったと宿根木のホームページには記されていた・・・