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付加価値と共にマイカーブームがやって来た!(1966の日本車)

Beatlesが初来日した1966年は別名マイカー元年とも呼ばれる年
カローラ、サニーにとどまらず各社から意欲的な大衆車が発売されマイカーがグッと身近な存在に変わったのがこの年のこと。

同クラスにほぼ同時期に投入されたカローラとサニー、その販売成績で優劣の差がついたのはなぜか?カローラは何故大衆車のみならず軽を除いた登録者ナンバーワンの座を40年近くも保ち得たのか?
その登場時点に立ち返って考察してみます。

戦後21年がたち、ベビーブーマーと呼ばれる人口層が高校を卒業し、間もなく成人年齢に達しようというタイミングで各社が若年層を狙った大衆クラスの乗用車を開発したのはごく自然な流れと言えるでしょう。

ダイハツは最初の軽四輪乗用車としてフェローを発売、スバルも1000㏄の大衆クラスに5ナンバー乗用車として最初のスバル1000を投入、そうした流れの中でまず注目を集めたのは日産のティーザーキャンペーンだった。
未公開の新型大衆車の車名を一般公募して決め、当選者にはその新型車をプレゼント。こんな企画にざっと国民の1割に近い人数が葉書を送った計算になります。
投票の結果サニーと名付けられた新型車は税制区分枠内いっぱいの排気量988ccとして、価格帯も軽乗用に10万円ほど上乗せした40万円台に抑えられ、ヨーロピアンなたたずまいも感じられる合理的な構成の2ドアセダンでした。ブルーバード等を生産する追浜とは別に神奈川県内に新設された座間工場で量産されることにる。

同様の企画はトヨタでも進行中でした。工場を新設して月販3万台規模の量産を目指すという、けた外れの大型プロジェクト。これがヒットしなければトヨタの屋台骨も揺るがしかねない。
初代カローラの開発者が念頭に置いたのは‥‥しかしながらちょっとリッチな女子大卒のオフィスレディ、といったあたりだったという。サニーが合理思想一辺倒だったのとはちょっと違う。

排気量をあえて1クラス上の税制区分になってしまう1100ccとして、パワーや乗りやすさを訴えました。サイズもサニーに比べ若干大きめ、セミファストバック・スタイルの最新流行を取り入れたデザイン。前席シートは全車リクライニング式のセパレート・タイプで4速フロアシフトのみ、というスポーティーさが身上でした。

つまりサニーにはない付加価値をちょっとだけ上乗せして、2台並んだ時の優越感を感じられるような?仕立てにまとめたのでした。価格はデラックス版でギリギリ50万円以内。サニーとの価格差はほんのわずかで、外装を簡素にして装備類はそのままのスペシャルも2万円安で用意されはしたものの、売れたのは圧倒的にデラックスの方だった。
当時の日本車で全車リクライニング・シートでフロア・シフトのみというのは異色の存在。ベンチシートにコラム・シフトがデファクトだったところへ、スポーツカー的な内装を標準としたところがサニーにはない差別化の第一歩でした。

この、ちょっと差別化、僅かな付加価値の違い、これが後々日本車のマーケット志向を決定づけるともいえる販売戦略だった、と言っても差し支えないでしょう。
後年、カローラには4ドア、コラムシフト車、ライトバンも追加されますがそれよりも付加価値の大きな(クーペ・バージョンの)カロ―ラ・スプリンター、より上級感あふれるハイ・デラックス等を追加したことが、飽き足りない付加価値への欲望を上手く形にしています。
今度は追う立場となったサニーもGLグレードやクーペ、4ドアを追加し、両者は日本にマイカーブームを定着させる牽引役として昭和を突っ走り続けたのでありました。

800ccクラスでは先行していたマツダ、ダイハツもこの年ライン・アップの拡充を図ります。マツダは360のキャロル、800(1000)のファミリアに次ぐ上級セダンとしてルーチェを発売。4灯のヘッドライトが幅広のフロントグリルにスマートに収まるルーチェを発表。1500の排気量はコロナやブルーバードといったそれまでの売れ筋を意識したもの。でもデザインは一歩とび抜けたイタリアン・デザイナーの手になるものでした。

マツダからはもう一台余りに有名な車名が生まれます。長らくワンボックスの代名詞ともなったボンゴはファミリア用4気筒をリアに格納。前席と後席そしてパワーユニットとバランスの取れたレイアウトです。これは同年にモデルチェンジしたスバル・サンバー第二世代も同様。観光地でホットドッグ屋さんを営業したのは大抵がサンバーでした。プロペラ・シャフトの無い低いフロアは中のオーナーに充分な室内高を確保したからです。

ダイハツもコンパーノ・ベルリーナという手持ちのセダンに加えて軽乗用としては初のフェローを発売します。角型のヘッドランプを持つ直線基調のデザインはそれまでの軽乗用には無いテイストでしたが、エンジンは前,駆動はリアという保守的な3ボックス・セダン。小さいながらもトランク・スペースを持つ点では三菱のミニかにも似た構成でした。
実はこのフェロー、開発段階ではホンダN360によく似た前輪駆動のモデルも存在し、もしもダイハツが先鞭を切っていたらと、後年エンジニアたちを悔しがらせたという逸話も残されています。

スバルが初めて送り出した5ナンバーセダン=スバル1000は前輪駆動を本格採用した日本で最初の5ナンバーセダンといえます。ユニークなのは前輪駆動だけではなくフォルクス・ワーゲンばりの水平対向4気筒エンジンや、オーバーヒートしらずのデュアル・ラジエーターを武器としていました。が、いかんせんコスト高が災いしたかスバル360のような大ヒットは望むべくもありませんでした。

その頃ホンダはというとまだ第1期F1参戦期の真っただ中。でも開発陣は渾身の軽乗用車を完成に近づけていたのでした・・・・・・

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