七夕car?

7月7日にちなんで77が車名につくクルマ・・・・・1969年発表のホンダ1300に77シリーズと言うタイプがありました。
最強版の99シリーズと並んで発売されたホンダの本格的な5ナンバーセダンとして投入された箱型の4ドアセダンは型破りの高性能が何よりの売り、でした。

当時の本田宗一郎社長は熱狂的な空冷エンジンの信奉者、ワーゲンもポルシェ(当時)も、パンサー戦車だって空冷、水冷エンジンだってラジエーターを冷やすのは空気なんだから最初から空気で冷やせばよい!とばかりにF1エンジンすら空冷化を命じたほどでした。
そんなホンダが世に送り出したホンダ1300はDDAC=一体型二重構造の空冷エンジンと言う複雑で重い、高価なエンジンを選択していました。エンジンを包み込むようなアルミの殻、その内側に外気を強制的に送り込むことで水冷エンジンの冷却水の役割を担わせようと考えたわけです。
実際、ポルシェやビートルのエンジンを見ても回転する冷却ファンを包み込んでエンジンに風を送るような部分的な覆いの存在は見受けられます。でも、それは軽い板金製の覆いに過ぎず、これをアルミの鋳物で作ろうと考えた設計者は滅多にいませんでした。

性能面ではどうか?この当時東名高速の全通などもあって100馬力を標榜するクルマが増え始めました。ロータリーエンジン搭載のファミリアロータリーはたった491cc×2の排気量で100馬力を達成しましたが、大抵は1600ccエンジンを軽くチューンしてようやく100馬力に達するのが精一杯。
そこにホンダは、うちなら1300で100馬力を出せる!とばかりに1300と言う小さめの排気量で100馬力・CARを目指しました。件の77シリーズでは結局95馬力での発売となりましたが、上級バージョンの99シリーズでは115馬力を叩き出しています。
77のネーミング由来についてはリッター当たり出力との説も存在しましたが、真意はわかりません。

当時大ヒット中のN360はツインキャブ装備の場合、360ccから36馬力を引き出したのでリッターあたり出力100馬力、と言うことになります。高性能、高出力が大ヒットの何よりの要因と踏んだホンダが5ナンバー枠でも同じ考えを持ち込んだのは無理からぬところ。
おまけに、水の手間要らずの空冷で100馬力に迫る高性能。・・・・でも思惑通りには売れてはくれませんでした。いろいろあげられる敗因のうち、エンジンが重くなったのでパワステの装備の無いハンドルは操作が重い、とかエンジンにコストがかかりコストダウンが図りにくかった、あるいは無骨でビジネスライクなデザインが足を引っ張ったのかもしれません。

77シリーズの名前は、ゆえにあまり人々の心に残ることも無くやがて追加されるスタイリッシュな2ドア・バージョンはクーペ7、クーペ9の名前が与えられ、やがては水冷エンジンに趣旨換えしたホンダ145シリーズとして再起を図るのですが・・・・・・

ちなみにバイクではホンダCB77という形式が存在しますが、それこそ消費者の目にはなかなか触れることなく過去帳のかなたへ・・・・・でも、この時代のホンダからはCB750、いわゆるナナハンをはじめ、ホンダモンキー、ダックスホンダといった名作、ロングセラーが幾つも生まれていることも見逃せません。

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