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【小説】 2025年の乾杯

「8月4日休みの人いる?」
7月中旬、雨ばかり続いている。今年の梅雨は長いと天気予報士がテレビで言っていた。

曇天の隙間から光が差すように、日々に希望を与えたのは久しぶりに動いたグループLINEだった。投稿したのは友人の拓哉だ。
今まで止まっていた時間が嘘のように歯切れ良いペースで動き出していく。
“T高校男子テニス部”と名付けられたグループには高校時代、同じ部活に所属していた同級生が8人入っている。

拓哉の投稿に真っ先に返信したのは、現役時代に部長を務めていた友太だった。
「行けるよ!」
"!"マークの後ろに力強いグッドサインが付けられている。
「大丈夫だよ」
最近父親になった祥太郎のレスポンス。
参加賛成の答えが3人、4人と続いていく。

カレンダーを確認すると8月4日は出勤になっていた。僕は小学校の教員をしており、学校自体は休みだったが、コロナウイルスによって休校になった際のしわ寄せが来ているのだった。
一人だけ水を差すみたいで気が重かったが、
「仕事のため行けません」と返した。

大人になり、全く時間が合わないことに絶望した。
同じ時を過ごしているのに、それぞれは別の時間軸を生きているのだなと痛感する。
お洒落でトレンドをいち早くキャッチしSNSで人気者になっているマサト、理性的で堅実な試合運びに定評のあった正隆は地元で公務員になり、あの頃、悪いことばかりしていた拓哉は消防士として街を守っている。

高校時代によく利用していたあのラーメン屋は今もまだ残っているらしいが、同級生の両親が営んでいた歴史ある豆腐屋は数年前に潰れ、今ではファストフード店になっているらしい。
人も街も、変わるものと変わらないものがぐちゃぐちゃに入り混ざっていく。
「集合」のかけ声ひとつで集まれた過去が眩しい。大人になった8人が集うことは、ほとんど奇跡に近かった。
翌朝、グループLINEを開いてみると参加者が4人、不参加が4人だった。

「この日なら行けるよって人がいる?」
僕はいくつかの候補日をあげてアンケートを取った。
“奇跡は起こるものじゃなくて起こすもの”だと好きだったアーティストが歌っていた。奇跡というにはあまりにも小規模で安っぽいが、チャンスかあるなら賭けてみたかったのだ。

ーーーーーー

「この日なら行けるよ。でも仕切り直したんだから幹事はお前な!」
真っ先に拓哉からの絵文字付きの返信が来た。
それをきっかけにして、8人全員の返信が出揃った。
メンバーは全員が参加できるようになった。

改めた予定日は8月10日、山の日。たまたま選んだ日だったが、いかにも夏休みっぽいなと思ったことからテーマは“夏休み“に決定。
 レンタカーを2台借り、県外のオートキャンプ場へ向かう。到着後、みんなでラフティングを楽しむ。その後にはBBQ。
しばらくしたらキャンプ場を出て、高校の近くにあった居酒屋で乾杯というプランだ。

キャンプ場までは小一時間かかるが、移動も楽しいに違いない。酸っぱいガム一つだけ入ってるガムでも買おう。渾身の夏プレイリストをつくって車内で流そう。BBQで食べると美味しい料理を調べておこう。
浮かれっぷりは修学旅行前の学生のようだった。

ーーーーーー

長かった梅雨が明け、連日の雨が嘘のように猛烈な暑さが日本列島を襲った。
カレンダーの8月10日の欄に、"特別な夏の日”と書き記してリマインドした。旅行は10日後に迫っている。

日中はよく晴れていたが、夕方になって雲行きが怪しい。妙に涼しい風が吹いているのが何だか不気味だった。
薄々気がついていたが、ずっと見ないようにしていたものが、いよいよ無視出来なくなってきた。

「新型コロナウイルスの感染者が爆発的に増加しています。不急不要の外出は避けてください」
降り出してきたじっと雨を眺めながらも、耳にはニュースキャスターの言葉が飛び込んでくる。

ほとんど野外だから換気は十分だし、マスクは絶対に外さない上で、徹底的に消毒をすれば問題ないはず。それに、次の機会なんてあるのだろうか。
全員が集まれる奇跡みたいな日なんて、現実的な可能性を考えたらかなり低い。
それに、予定を覆したのは僕だ。なんとなく責任感がある。

それとは真逆の発想も頭に浮かんで来る。
決断を放棄しては消え、時間が経ってまた浮かんで来る。出口のない迷路に閉じ込められたみたいだった。

いつのまにか雨は止み、窓の外には大きな虹がかかっていた。

ーーーーーー
「ギリギリで申し訳ないけど、今回は延期にしない?」
ここ数日間、全身に何十キロもの重りを背負っているようだった。
そんな憂鬱とは対象的に、呆気ないほど軽い音をたてて投稿が反映される。
時間の流れがスローモーションになって、空気の重さを感じた。

「今回ばかりは仕方ないよ、もったいないけどね」
「赤ちゃんが心配だから、パスしようと思ってたんだ」
「次こそは必ずやろう!」
みんなの返信はどこか温かかった。状況的に仕方ないとは言え、自分のわがままで振り回してしまったことを申し訳なく思う。
負い目を感じ、かかってしまったレンタカーのキャンセル料をひっそりと支払った。

拓哉からの返信はなかった。

ーーーーーー

8月10日は何もない休日となった。
唯一の予定といえば再配達の荷物が午前中に届くことくらいだ。
『ピンポーーン』
今の生活になり、インターホンが鳴る回数が確実に増えている。以前はこの音に苦手意識があったが、いつのまにか慣れていた。
荷物を抱え、サインを要求する配達業者に、食い気味で答え、書き殴るようにしてサインをする。

拓哉から「贈り物をしたいから住所教えて」と連絡が入ったのは少し前のことだった。
理由は分かっていたが、分からないフリをした。
27歳の誕生日が目前まで来ていたのである。おそらく、誕生日プレゼントだろう。

そう答えるのは何だか白々しい気がしたのと、予定を潰してしまった責任感から、住所と軽い挨拶だけ打って送信ボタンを押した。

届いた段ボールは比較的小さい。誕生日プレゼントだとして、大きな段ボールよりも返って小さい方が期待してしまう。
もしかして、何か凄いものが入っているんじゃないだろうかと心拍数が上がる。
乱暴にガムテープを引きちぎった。

中には金属で出来た長方形の見慣れない物体と紙切れが入っていた。紙には拓哉の字でメモが残されている。

「これはボイスレコーダーです。使い方はシンプルで、横にあるレバーを上に上げると電源が入り、真ん中のボタンを押して録音スタート。もう一度押すと停止します。
以下のルールに従って使用してください。

・持ち時間は10分。
・喋る内容は自由。今年の夏の出来事、報告したいこと、すべらない話など好きなように喋ってOK
・お酒を二本用意する。一本を飲み切った後、もう一本の用意して録音する。"乾杯"と口にして、缶を開けてスタート。

使い終わったら次の人に回してください。
また、何があっても他のメンバーに連絡しないこと。以上」

裏面には順番と住所が書かれている。
拓哉から始まって、最後の僕は拓哉に送り返すのが役目だった。

誕生日プレゼントではないことだけは確かだ。

とりあえず近くのコンビニにいき、レモンサワー二本とホットスナックの唐揚げを買った。
コンビニから出ると燦々と陽光が降り注いできた。
絵に描いたような夏の空に、誘われるようにしてレモンサワーのプルタブを開けた。
爽やかな風味が口いっぱいに広がる。
快晴の空の下で飲むアルコールは背徳感があって、とてつもなく気持ちが良かった。

歩きながら、ワイヤレスイヤホンを耳につけ、ウォークマンの再生ボタンを押す。
ふいに聴きたくなったのは↑THE HIGH-LOWS↓の"日曜日よりの使者"だった。
陽気なメロディーと9%のアルコールは最高に相性が良かった。何もないはずなのに何か予定が出来たような高揚感が生まれた。

自宅のイスに腰掛け、から揚げを口に放り込む。冷めてはいるけど、悪くない。
ボイスレコーダーを手に取って、なんとなく眺めた。残ってたレモンサワーを一気に飲み干し、録音ボタンを押した。
ピッという操作音が、異様な緊張感を後押しする。
プルタブを引いて、部屋のなかで一人「乾杯」
と呟き、レモンサワーをまた飲んだ。

ーーーーーー

2025年8月16日土曜日。
かなり前から拓哉にこの日は空けておいてほしいと頼まれていた。

学校では、ついにおじさんと呼ばれるようになった。20代後半は「お兄さん」と必死に訂正をしていたが今では反抗の余地も無い。

高校の近くの居酒屋は今でも残っていてホッとした。少し引っ掛かりのある引き戸を開けると8人全員、しっかりとおじさんになって揃っていた。

全員分のビールが届いたところで乾杯した。
散々話している間柄なのに、その瞬間だけはどこか事務的で、おじさん感が滲み出ていてなんだか笑える。
テーブルにはまだお通しのキャベツ盛しか並んでないが、それで十分な気さえした。

しばらく経って、左手の薬指に指輪をつけた拓哉が切り出した。
「これ、覚えてる?」
カバンから出してきたのは5年前のレコーダーだった。
一定期間荷物を預かってくれるサービスを利用したらしく、5年経っているとは思えないほど綺麗なままだった。

「あの時は乾杯できなかったからさ。これ流して5年前の続きしようぜ」
拓哉がボイスレコーダーの再生ボタンを押す。
まず流れてきたのは僕の音声だった。
「           」
正直、嬉しさよりも気恥ずかしさが勝っていた。それなのに泣きそうにもなる。後にも先にもない感情だった。

あの日果たせなかった乾杯は、5年の歳月を経て、一つにぶつかりあった。
見た目も生活環境も変わったのに、出会った時から何一つ変わらない。
モノクロだった"特別な夏"が小さなタイムカプセルによってセピアカラーの思い出に変色していく。
この日、テーブルから笑い声が絶えることは最後までなかった。

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