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オンラインサロンに初めて入った日も僕はロックばかり聴いていた

 今月から音小屋オンラインというオンラインサロンを始めた。
音小屋は音楽メディア人養成学校として、MUSICAの鹿野さん主宰で2012年からスタートしている。毎年気になってはいるものの、なかなか機会がなく今回はオンラインということで参加。
 コースは3つあり、それぞれジャーナリズム科、フェスプロデュース科、ロックヒストリー科の3つ。僕はロックヒストリー科に参加させて頂いた。

 初回の講座は参加者がロックについて語り合う内容だった。仕事と育児に追われ、全く参加できないまま講座が終了。
 残されたアーカイブを、興奮と感動で半分泣きそうになりながら食い入るように見た。
 参加できなかったのが非常に悔しかったので感情の備忘録も兼ねて、思いの丈を綴っていこうと思ったのだった。

 現在25歳、僕の音楽遍歴の起点になったのはレミオロメンだった。
小学生6年生の頃、当時見ていたドラマ『1リットルの涙』で使われていた"粉雪"と"3月9日"が気になって生まれて初めて自分のお金でCDを買った。カップリングも含めて約15分。いつも生活していた部屋は少し違って見えた。アレンジされた"3月9日"もカップリングの"No Border"も幸福感に満ちていた。
 そこからはレミオロメンにドップリ。
学生であまりお金がなかったので、中古で旧譜のCDを揃えていくと『ether』という名盤に出会った。"粉雪"で知ったつもりになっていたレミオロメンの概念が打ち砕かれた。"春景色"、"モラトリアム"のカッコよさ、"アカシア"の優しい感じだったり"永遠と一瞬"の脱力感、全部が衝撃的だった。
 レミオロメンは自然の美しさを歌った曲が多い。千葉の片田舎出身の僕にとって、その美しさはかなりクリアで自分で見ている景色そのものだった。それでいてロックミュージックとしてかっこいい曲もある。好きだけどメロディーが変だなという印象も抱いていた。こう来るだろうなと想像するメロディーラインとは全く異なる展開で思うがままにならないなと子どもながらなら思っていたのを覚えている。(今になってそれはRadioheadの影響なのかもしれないと気がついた)
 ベストアルバムの初回限定版に収録されていた滑走路ライブは何度も何度も見た。その場にいるような臨場感、圧倒的な高揚感が最高だった。(豪雨で中止寸前まで追いやられたけれど直前で晴れ、伝説のライブと言われている)
 そんな経緯があり、初めてライブに行ったのはレミオロメンだった。『花鳥風月』というアルバムのツアーで、千葉の松戸にある森のホール21という会場だった。最寄駅から会場への道はもう覚えていないけど、バスドラの低音や、イントロのベース、ギターのアルペジオ、ボーカル藤巻さんの歌声を鮮明に覚えている。
 このライブ演出でメンバーが撮った写真をバックスクリーンに映される演出があり、それがすごく胸に響いた。僕はカメラが趣味なのだけど、きっかけになったのはこのライブの、この演出だった。
 ボーカルの藤巻さんが影響されたということもあってRadioheadも聴いたり、ライブのSEだったザ・ビーチ・ボーイズの"wouldn't it be nice"もよく聴いた。高校生になった時に残念ながら活動を休止してしまったけれど、僕の音楽の原点といえるバンドだ。

 初めてフェスに行ったのは高校2年生の時。
鹿野さんが主宰していたROCKS TOKYOという新木場で開催されていた野外フェスだ。
このフェスにはレミオロメンの藤巻さんもトップライナー参加して、藤巻さんを見た後ステージに残っていたら[Alexsandros]のライブが始まった。これが初めてのモッシュ体験だった。(体験というか巻き込まれただけです)
衝撃だったしちょっと怖かった。でも今では、まんまと僕もそうなっている。
 お目当てだったのはサカナクションだ。
夕方からの出演で、"Ame (B)"、"表参道26時"を演奏していたのを覚えている。圧倒された。演奏もずば抜けてかっこよく見えたし、レーザー等の特効や照明も凄かった。輝いていた。SCHOOL OF LOCK!を生まれて初めて聞いたのも山口さんの影響だった。どういう想いで作曲しているのか知りたかったのだ。
ほかにも、新しいシングルがリリースされた日には旧譜のシングルを必ず一回聴いてからニューシングルに向き合ってたり、"klee"という曲に出てくるパウル・クレーがどういう絵を描く人が知りたくて美術館に行ったりもした。(もちろんミラクルエッシャー展にも行きました)
僕が言及するまでもなくいろんな試みをしていて、とにかく深く深く音楽のことを考えているアーティストだ。
 1番印象に残ってるのはSAKANAQUARIUM 2015-2016 "NF Records launch tour"の幕張公演だ。サラウンドが凄いのなんて百も千も承知な上で、"壁"という曲を暗転した状態で演奏したのが本当に凄まじかった。これだけレーザーや演出を武器にしていたサカナクションが真っ暗で演奏する衝撃。近い趣旨で行われたあいちトリエンナーレの暗闇ライブも参加したほど大好きな演出だった。僕にとって、山口さんは音楽、ひいてはそこに通じるカルチャーを深掘りする楽しさを教えてくれた人だ。

 クリープハイプも高校生で出会って衝撃を受けたバンドだった。
クリープハイプは音のみならず、そこに通じるリベンジ精神がめちゃくちゃかっこいい。移籍騒動後に行われた武道館ライブで演奏された"あの移籍の歌"は目眩がするくらいシビれたし、声の調子があまり良くなかった後にリリースされたアルバム『世界観』もずっと聴いていたくなるくらい奥行きのあるアルバムだった。逆境に立たされた時の立ち方がロックだなと感じさせられたバンドだ。
 初めて見たのは2012年のCOUNTDOWN JAPAN。COSMO STAGEという小さいステージに立ってて「次はもっと大きいステージじゃないと出ない」と文句を言っていたのを覚えている。その翌年には1番大きいEARTH STAGEに立っていて血が沸騰するような思いがした。
 "おやすみ泣き声、さよなら歌姫"という曲を演奏してくれた時、どうしようも出来なくて立ち尽くした。大好きな曲でボルテージも上がっているけど、皆みたいに拳を上げて踊りたいわけじゃなく1人で噛み締めたかった。バラードでもないのに、嬉しいような悲しいような不思議な感情になったのは生まれて初めてだった。 また、日本語の面白さを教えてくれたバンドでもある。ダブルミーニングどころじゃなく幾重にも意味が掛かった歌詞からは言葉の奥深さを痛感した。
 読書が趣味になったのも尾崎さんの影響だ。
尾崎さんがオススメしてくれた本に"邂逅の森"という熊を狩るマタギの小説があって、そこから熊の恐ろしさを知り『羆嵐』という小説に巡り合った。引き込まれるような物語だった。本屋に行ったら窪美澄さんの帯に尾崎さんのコメントがあって、その本を読んだら窪美澄さんにハマり『さよなら、ニルヴァーナ』という実際の事件をモデルにした小説に出会い、さらにその事件に関する本を読んだ。
 ほかにも『十九、二十』や『コンビニララバイ』といった曲のテーマになった小説も読んだ。尾崎さんはロックだけじゃなく物語のルーツを紐解く面白さも教えてくれた人であり、クリープハイプは他人の感情を追体験する素晴らしさを教えてくれたバンドだ。

 それ以外にも転職のきっかけになったSUPER BEAVER、ライブツアーは必ず参加するほど大好きなマイヘア、フェスでの景色が忘れられないヤバTやホルモン、ライブで号泣したサンボ、勝手に等身大を重ねてしまうキュウソなど
様々なロックバンドに影響を受けてきた。
 彼らが鳴らした音をもっと深く掘り下げたくて、数あるコースのなかからロックヒストリー科への参加を決めた。今はライブにも行けなくなってしまったけれど、この講座が終わった後に見るライブや、今まで聴いていた音楽はまた違った側面を表すのかもしれないと思うとワクワクして堪らなくなる。コロナの余波で人生の楽しみがひとつ増えるとは思いもしなかった。
しっかりと学んで、更にロックを楽しめるようになりたい。

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