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怠惰でいいとも!

餅が好きだ。
普段あまり食べる機会はないけれど、バリエーションは豊富だし、食べてる最中は感じたないのに、胃袋に入れて少し経つと、途端に重たくなり、動くのが怠くなるあのアンニュイな雰囲気が嫌いじゃない。なにより柔らかい。

といった前振りで言いたいことは餅田コシヒカリが実のところ結構好きだという告白だ。
何がいいってあのバランス感。可愛いと汚いという相反する成分が一つになっていることにやたらと惹かれる。

「あの子はやせたら可愛いのに」ってコメントをたまに目にする。(ネットで呟くのは良いとしても、本人に向かって痩せたら可愛いって言えてしまう人は最悪だなといつも思う)
人が思うことは人それぞれだ。
どういうのが好みで、こうなるべきっていうのが人の数だけあるという前提をもとに、「痩せたら可愛い」と言えてしまう人はセンスがない。

BMI指数とかで痩せてるか太っているを数値化できるけども、体型なんてあくまでも主観だよな個人的に思う。それも、痩せたい、痩せたくないなんて本人が決めたら良いのに、なんで外野がそんなこと言えてしまうんだろう。
何よりも、本人は現状に満足しているかもしれないし、そこに個性を見出してる可能性だってある。
その個性を捨てさせてまで「やせたら可愛い」なんて言える人は正義感、主観が強過ぎるような気がする。

あと、頭ごなしにデブを否定する人もいるが、あの人たちは考え方が凝り固まっているように思う。よく言えばきっちりしている。
きっと食生活には気を使っていて、野菜をしっかり食べて、部屋は定期的に掃除機をかけ、ゴミの日には可燃ゴミを出し忘れないように前日に準備したりするのだろう。
そういう真面目が性格が怠惰な人を攻撃対象として見ているような気がしなくもない。
餅田コシヒカリが、先日テレビで部屋がめちゃくちゃ汚いこと、借金があることをカミングアウトしていたけれど、この話を聞いてため息が出た。魅力的の塊か。
太った人は自己管理がなっていないからだって意見がある。正直、その意見には納得してしまった。太った人は基本的に自分に甘く、全体的に管理能力がゆるい(ような気がする)
でも、言い換えればそのゆるさは柔軟性であったり、ゆとりや優しさとも言えるようんじゃないだろうか。
そしてこれは偏見なのだけど、太った人は大抵言い訳が上手い。あれも、なんやかんやと自分を納得させる意見を柔軟に考えて飲み込んでいるからではないだろうかと推測する。
そういう気持ち的なゆとりや、柔軟性のある上手な言い訳に対して、人間的に惹かれる。
身体共々に、やわらかさがある。

怠惰や生活感は悪だと決めつけられ、意味のないものはコンマリに捨てられる。
ミニマリストに憧れる時期があった。物を捨てれば気持ちにも部屋にもゆとりが生まれると書いてあったので、ちょこちょこ物を捨てた。途中からは捨てる楽しさに気がついてしまってなんでもかんでも捨てた。プレゼントで貰った服や母に買ってもらった包丁、彼女からもらったものも捨てた。とにかく気持ちが良かった。
でも、スッキリするのはその瞬間だけで、それが過ぎると次は何が捨てられるか、誰との人間関係を切るべきかばかりを考えてしまい、感情がものすごく尖った。イライラして、真っ当な人間じゃない人に当たったりもしたし、だらしない人を見下していた。

あの頃は捨てることに夢中だったから気がつかなかったけれど、今になって考えてみればある意味で独裁者だったように思う。
そもそも真っ当じゃない人間は誰で、何をもってして自分は真っ当だと言い切れてたのだろう。
そうこうしてミニマルな生活は向いていなかったことに気づき、やめた。
部屋にある物は増えたけれど、誰かに対してイラつくことは減ったし、自分が何を好きなのかが分かるようになってきた。
生活感には個性が出るんだとその時に思ったように、体型にも個性が出る。
餅田コシヒカリを見てると、そういう人間的な安心感を感じる。綺麗でいたい部分もあるだろうし、キャラクター的にそうはいかない部分も恐らくある、人としてダメなところもあるだろう。そのゴチャゴチャ感が面白いし、そこに人間くささを感じるから好きだ。(ちなみに人の体型に意見がある時は「痩せても可愛いんだろうなぁ」とボヤくくらいにしておくべきだ。自分のためにも、相手のためにも)

と正論風に捲し立てて書いたのは、「重要」「親展」と書かれたハガキが火災保険会社、ガス会社、水道会社から届いていて、さらにエイブルから「契約手続きのご案内」と書かれた書類が目の前にあるからだ。書いて逃げるという戦法が功を奏し、早くも4日目になろうとしている。

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