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【#2000字のドラマ】人間交差点



投稿のアイコンが赤く輝いている。

アカは意を決し、それをタップした。
TikTokを通じて全世界に向けて発信された何十秒の映像には、アカが作詞作曲した曲の弾き語りが映されている。
世界を変えたいわけでも、音楽で飯を食って行こうと考えているわけでもない。
ただ好きだからやっている。自分が脳内で鳴らした音が、実際にギターの音色で表現された瞬間が好きだ。
ギターの音が全てを肯定してくれた気がしてきて、嬉しくなって歌詞も書き上げた。TikTokに動画を上げたのは自分の好きなものが、どれだけ世界に通じるのか知りたかったのだ。
アカは投稿された動画を祈るような気持ちで見続けた。



『少年はこわす オモチャのつるぎで』
スマホの画面で、赤い服の男がギターを持って歌っている。
歌唱力がある方ではなさそうだったが、歌声が個性的だった。しゃがれた声で、泥臭い中に繊細さがある感じ。
でも、メッセージが良く分からない。
TikTokは分かりやすさが魅力なのに、この男は分かってないなと思った。
森山碧(あお)はその画面を上にスワイプして消した。指一本で次に見たい動画がすぐに再生される。

「あっ、ちょっとこれ見てよ」
碧は一緒にいた友人2人に別の動画を見せた。ここは焼き鳥が美味しい、赤提灯の店だ。一緒にいる友人2人は同じ大学で知り合った。
SNSに切り替えると、セミナーに通ってる別の友人が、高い向上心が窺える投稿をしていた。この人にとって、僕のような、今のことしか考えていない人間はただの愚か者だろう。
今を集中的に楽しむことの何がいけないのか、碧には理解しきれなかった。

未来ばかり考えて、今を犠牲にするのは本当の幸せだろうか。
多かれ少なかれ、やせ我慢しているはずだ。未来が明るいかなんて分からないのに、未来にベッドし続ける人生なんて悲しい。走馬灯に出てくるのは高得点のテスト結果でもセミナーの教室でもなく、友人と笑い合った記憶や親が喜ぶ顔、彼女との大切な思い出だと碧は思う。

少し酔った。
こうして今を一緒に分かち合ってくれる友人がいることをありがたく思う。
いつか大学を卒業して、仕事や家庭など様々な事情で距離が生まれ、少しずつ会えなくなる。その中で価値観が変わっていって好きが苦手になってしまうこともあるかもしれない。人も遊びも。
永遠じゃないからこそ、こうして笑い合う今が何より大切だ。

ヌッと顔を出した不安を、一気に流し込んだハイボールで誤魔化す。そのまま勢いに任せて次を頼んだ。
「すいませーん!ハイボールのおかわりお願いします!」
碧の声が、女性店員に届く。

辛い思いをしてまで生きる必要なんてどこにもない。今のうちに、笑えるだけ笑っておこうと碧は心で誓った。


 ー
「グラスお下げしますねー」
みどりは大学生3人のテーブルをバッシングする。
彼らには悩みがなさそうでいいなと思った。あれだけ楽に生きれたらどれだけ良いだろう。
 みどりはこの居酒屋でアルバイトとして5年ほど働いている。ほとんど自宅と職場の往復だったが、ある時立ち寄ったカフェにその人はいた。その人はカウンターにいて、温かいカフェモカを渡してくれた。儚げな雰囲気と笑顔が忘れられない。
その人、その女性を、好きになってしまったのだと思う。

みどりには男性と付き合った経験が何度かあった。
そのどれも短命に終わっていったが、同性を意識したことは一度もなかった。この気持ちが友愛ならそれが良かった。しかし、淡く甘い感情が胸を締めつける。これは恋だと認めざるを得ないほど悩みと苦しんだ。
みどりが苦しみから解放されるのは働いている時間くらいだった。その時だけは、目の前の仕事に集中し、私情を忘れることができた。
しかしその効力も退勤時間の1時間前までだ。退勤が近づくにつれ、カフェに寄るか悩みだす。そして結局寄らず、寝る前に少し後悔するのがお決まりのパターンだ。
おそらく、今日も結局寄らないだろう。

「お先に失礼しまーす」
みどりはタイムカードを押して居酒屋を後にした。

まだ時間が早いためか、駅前は人通りが多い。
『~♫』
不意に声が聞こえた。どこかで男性が歌っているようだった。
 その声が妙に気になり、声がする方に向かって歩いてみた。
少し歩くと、胡座をかきギターを弾いているしゃがれ声の青年を見つけた。

『少年はこわす オモチャのつるぎで』

人を選ぶ歌声だし、歌詞も難解で飲み込むのに時間が必要だ。
バズるような歌手ではないことは素人からみても分かった。
しかし、不思議と情熱が伝わってくる。
凄く楽しそうに、どこまでも自由に歌っている。
みどりにはその純真性のようなものが眩しく思えた。

私も自分の好きを誇りたい。この気持ちを、周りの目に流されずに信じたい。
”アカ”と書かれた看板を掲げる歌手に、みどりの心は大きく揺さぶられた。
 その後も何曲か聴いて、みどりは歩き出す。
角を曲がると、やがて交差点に差し掛かった。はやる気持ちを信号機が止められてしまう。
しばらく待つと、信号が赤から緑に切り替わった。
みどりは子どものように、白い部分だけを歩いて横断歩道を渡った。
いつもより歩幅が大きくなり、気分も高まる。

みどりはその足取りのまま、思い切ってカフェのドアを開けた。

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