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【小説】ポイ捨て

 「あ、こっちのお湯の方が温かいですよ」
コンビニ店員は優しく教えてくれた。
目の前にあるポットは2つ。俺はカレー味のカップ麺を食べようとしていた。
 「あ、っす」
咄嗟に声を掛けられたのが予想外で、相手が喜んでくれるような言葉の塊にはならなかった。
 自分が使ったポットの温度を見ると70度を指していて、コンビニ店員が温かいと教えてくれた方は100度を指している。
慌ててそっちのお湯を入れるも、カップの中の湯量は既に8割くらい満たされていた。
 70℃、80%のお湯でもカレーのもとはしっかりと溶けていて、もう後には戻れないことを悟る。
お前がレジ担当したんだから、もっと早く声かけろよと何の罪もないコンビニ店員に向かって心の中で毒づいた。
3分経っても、5分経っても麺は一向に柔らかくならなかった。ようやく柔らかくなったのはだいたい10分が経過した頃で、カップの液体は生ぬるかった。冬に乗る電車の足元のヒーターは確かこんな温度感だよなと考えながら、不味いカップ麺を啜った。

 コンビニのイートインコーナーで栄養補給を終えてしばらく歩いたあと、一緒に買ったタバコを開けた。
飲み会で借りパクしたライターが、どのポケットに入ってるのか探す片手間で、彼女から来ている長文のLINEをうっかり開いてしまった。
小論文ほどの長い文章と共に送られてきた1枚の写真には、彼女のものではないクシが写っている。舌打ちでもため息でもない空気の塊が口から溢れた。
 あーあ、非常に面倒くさい。
単刀直入にいえば浮気ではない。しかし、彼女に説明するのが面倒くさい。言い訳すればするほど怪しいし、言い訳しなければ認めることになる。何を言ったところで揚げ足を取られる予感がする。
何しろ、女性が家に来たことは事実なのだ。
早めに終わった飲み会のあと、帰り道が同じだった職場の後輩の子が「一緒に見よう」とカバンからDVDを取り出した。
…頼んでもないのに。
見たかったけれど、仕事に忙殺されている間に、公開期間が過ぎてしまって見逃した作品である。
 散々悩んだ結果、家にいれた。
これが間違いだった。
この子にとって、おそらく映画は前座だったのだろう。
見終えて、あーだこーだと感想を言い合い、共通言語で笑いあい、いい感じの空気になった。そしてそのまま告白される。「2番でも良い」と注釈つきで。
 熱い鍋に手が触れてしまった時と同じスピードで断った。気持ちは嬉しいけど、彼女を愛しているからごめんとストレートに告げた。
わざとクシを残していったのはその腹いせか? この実話をこのまま話したところで、疑いが晴れるわけがない。むしろ怪しい。喜劇のようなシチュエーションになってしまっている。普段は、のほほんとしているのに、本当はものすごく頭が良い子なんだなと感心してしまった。

 喫煙所まで待てずに、歩きながら煙草に火をつけた。
ため息とともに煙を吐き出す。わざとらしく吐き出した声がやけに気持ち良かった。
彼女のことは嫌いではない。
ただ、面倒くさい一面があるのは事実だ。異様なほどしつこい。
振った子には彼女を愛していると言ったけれど、今回の一件でその意思が濁り始めてるなと思った。いや、本当は自分の詰めが甘いことがいけないんだけど。
タバコを梱包していたフィルムのゴミが段々と邪魔になってきた。こんな時に限ってゴミ箱がない。
ストレスを晴らすために買ったタバコが途端に煩わしくなった。タバコも彼女も面倒くさい。
 そもそも、自分のものじゃないクシなんて、ただのゴミじゃないか。グダグダ言わないで、目にも留まらぬ早さでゴミ箱に捨てたらそんな長文送るほどモヤモヤしないで済んだんじゃないの?こんなに攻撃的なメッセージじゃなくて、少し飲み込んでやんわりと聞いてくれたら素直に終われたんじゃないの?ゴミをいつまでも手元に残してるから、嫌な気分が湧き上がるんだよ。
脳内で言いたい放題言ってるうちに体温が上がっていくのが分かった。

歩道には、タバコの吸い殻が使用済みのコンドームみたいに情けない姿をして丸くなっている。
さりげなく周囲を確認し、指の隙間からそれを投げた。
罪悪感はあった。でも俺が罪の意識を分かっていようがいまいが、好きな人は自分を分かってくれない事実は変わらない。
先に捨てられていたタバコだって、もしかしたら一本で寂しい思いをしていたのかもしれないし。
 自分を上手に納得させた後に、ハッとして、踵を返した。
ポケットからフィルムのゴミを取り出して、そこに捨てた。どこかでバチが当たるだろうな、でも正直に生きてても良いことなんてないし。
ささくれた心はそんなに簡単に治らない。
何よりも、このシャカシャカうるさいものから早く逃げたかった。
 通りがかった公園には男の子が3人くらいたむろっていて、「悪いやつだから処刑!」と無邪気にはしゃぎ、捕まえたらしいカマキリの頭部をハサミで切って遊んでいた。
彼女から追加のLINEが来たのは、確かこのあとだった。

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