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私が小学生の時、夏休みは毎日通った山本不動尊

私が小学生の時と言ったら毎日毎日、明けても暮れても不動尊で遊んでいた。
この不動尊をまるで自分の家の庭のように
大きな鐘をゴーンとついて鳴らし、
130段の階段を登った先にある不動明王様にお祈りし、小さな瀧が流れていたので、この滝で
毎日プールのように泳ぎました。

先日神社とお酒について記事を書いてる時にふと「あれ?神社と不動尊は何が違うのだ?」と思ってしまったのです。

お宮とは神社のことで、八幡宮や東照宮のように宮がつくのも神社です。 仏様を安置しているのがお寺です。 不動明王が安置されているのが不動尊です。

そんな違いもわからず、そもそも今にして思えば
不動尊というところがとても神聖な尊い場所という認識もなく、庭のように好き放題で遊んでいた事を考えるとなんと幸せな事であったのかと気付いたばかりです🤣🤣

「当たり前」が本当は有る事が難しい「有難い」とはこういう事を言うのだろうか🤔

この不動尊に毎日通ってまるで庭のようにしていたのには訳がある。

ここは自宅から少し離れた場所にあって子供の足で歩いて3、40分かかる場所にあった。

この場所に親が売店を出して土産物を売ったり軽食を提供していたりしたのだ。

私の母はここに売店を出すのに調理師免許を出すために夜な夜な勉強していた記憶がある。
調理師免許を持っている割にはお料理は苦手で、ほぼ父親がご飯を作ってくれていた。

その母親がいわゆる観光地の売店に毎日通っていたので、私は子供の頃に毎日お兄ちゃんと近所の従姉妹と一緒にその不動尊で遊んでいました。

いつも行くルートは決まっているのです。

不動尊の境内入ると社務所というのか…受付の場所がありそこの目の前に大きな鐘がありました。
まずここでゴーンとひとつきします。

そこからさらに奥に歩くと小さな川が流れ、その川のの上に赤い橋がありました。

その橋を渡ると手を清める場所

手水舎(ちょうずや・てみずや)

そういう呼び名なんですね。
今google🔍して初めて知りました🤣

そこで手を清めました。
今にして振り返れば多分当時の私は「手を清める」なんという粛々たる意識もなく「そこに手を洗う場所があるから」程度だったと思います💦

そしてその先に待つのが135段の階段

この階段を何往復もして遊んだりもしました。
何が楽しかったのか?
でも今考えれば、これも凄い事でしたよね。
この階段を登り切った先にお参りする場所があるのです。

おの鐘はゴーンではなく、ジャラジャラというか…ガシャガシャというか…
お賽銭も毎回五円を入れてましたね。
今どきは、賽銭泥棒などのニュースも見かけますが、この時代は平和でしたね。
こんな山の奥地に賽銭箱があってもそんな騒ぎを聞いた事がありませんでした。

ここの階段でしばらく遊んだ後に泳ぎに行きます🤣

こんな小さな瀧が流れていてここで毎日水遊びをしていました。滝の真下に行ってしまうと子供が立っても潜ってしまうくらいの深さだったのですが、滝から少し離れたところは子供でも普通に立てるくらいの深さでした。

母親の売店はこの滝から2、30Mくらいの🏟️だったのでお腹が空けは母親のとこに行って何かを食べてまた遊ぶという感じでした。

今の時代では考えられないことですよね。
不動尊の住職の奥様のおばさんも優しい人で
どこで遊んでいても特に何も注意もされなかったですしね。

ちなみにこの場所は福島県にある山本不動尊

機会があれば是非行ってみてください。

今日この記事を書きながら本当に幸せな日々だったのだと思い知らされました。

今の子供では絶対に体験できない事ですし、多分当時の子供でもなかなかできない事を毎日させていただいていたのだなという感覚です。

不動尊の住職さんが何も言わなかったのはきっと母親と仲良しで毎日私の話しを聞いていたからでしょう。
そういえば、住職の奥様が
「いつもお母さんから話を聞いているのよ。
お母さんね、毎日家に居れないからとても心配してるのよ」って言われた事ありました。

noteって凄いですね。
いろいろな記憶を呼び戻してくれる。
なんて素敵なんでしょう。

というまとまりのないところでそろそろ私はモーニングのコーヒータイムも終了してお仕事に行こうと思います。
この思い出の話しはまた後日👍

今日も元気に感謝の一日を行きますか💪
皆様も笑顔の一日をお過ごしくださいね😀
今日もここまで読んで頂きありがとうございました🙏

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