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ひりひりとひとり感想


(大いにネタバレを含みます。とても感情的で、主観的です。)


春男は家庭内暴力を繰り返した父のことが大嫌いで記憶の奥底の方にしまっていたのに、亡くなったことで父のことを考えることになる。

あんなに嫌いで死んでほしいとまで思っていたのに、死はショッキングな出来事だった。

こんな状況に私は現実でなったことがない。ありがたいことに一般的に「ふつう」の家庭で育ってきた。
いつも、家庭内に何か問題があるお話を見るときは考えてしまう。
実際にこのような家庭に育ってきた人はどんな気持ちで見ているだろう。
考えても分からないことの方が多いけれど、考えずにはいられない。私の友達にも実際にいるし。

その点、この劇の中には「ふつう」の賢が出てくる。
賢は所謂、「普通の家庭」で育った。
春男は特別な経験をしてきた。詳しくは聞いたことがないけれど、その特別な経験が、ふつうでない芝居を産む。
それって不謹慎だけれど、「羨ましい。」

そんな描写がある。これは、私にとって少なからず共感できるところであった。
平和な家庭に生まれたことを幸せに思う。よかった、と心からほっとしている。これってなんて贅沢だろう。簡単なことではないと思う。そんな家庭を築いてくれた両親に感謝している。

言葉を選ばずに言うので、ここまで読んでなんとなく不快な方はどうか読むことを控えてください。

どこか、平和な家庭で育ってきて、経験不足だと思ってしまうことがある。
何か大変なことが起こると、人間は「なんとかしないと」「こうするしかない」と考える。逃げる、とか、変える、とかそんなことに直面すると思う。
それは、言い方を変えれば何かの「きっかけ」になり得るとわたしは思っている。

そんな経験をしたいと思っているわけではないくせに。なんて不謹慎だ、と思う。そうするしかなかったからそうやって必死に生きてきた人への冒涜だ。だから絶対に普段は言わないけど。

今回の話を観て改めて考えてしまった。そんなことを考える自分に直面してしまった

役者は人生とはこれよく言ったもので、その人が芝居に出るから、僕は普通だから、芝居も普通なんだ、そう思ってしまう賢の気持ちが痛いほどわかってしまった。役者志望の方も、そんな経験はあったりするのだろうか?

でもこういうことが、「ひりひり」するってことなのかな。人の人生は結局のところないものねだりで、どんなに歩み寄ろうとしてもそれを経験しているのはただひとり自分しかいなくて、重かれ軽かれ自分にしか無い葛藤や苦しみも必ずあって、表に出さないようにしていても考えてしまう思いがあって、それで人を傷つけないように、自分が傷つきすぎないように、たくさん考えてひりひりしているのかも。

春男が降板して、賢は混乱した。自分の人生も役作りもよく分からなくなって、上手くいかなくて、役を降りようとした。でもそれを演出家のおかげで乗り越えたようだ。人はあらゆる可能性を秘めて生まれてくる。可能性を捨てながら生きて、残った可能性で生きている。でもそれを想像力で補い、捨てた可能性を拾って、いろんな人物になりきれるのが俳優だ。春男と自分は違う人で、賢には賢の芝居があって、自分の捨てた選択肢の中から拾い上げることもできる。それに気付いたようだった。それってきっと、人に寄り添うときにも必要な想像力だと思った。演出家は賢にとっての恩人だ。(特別な気持ちをもってもおかしくない。好きになるきっかけってきっとこんなところにあると思った。)

春男は父の死を知り、父に暴力を振るわれていた時のようにおかしくなってしまった。様々な症状が戻ってきた。チックの症状で吃りはじめ、賑やかな頭の中。雑音、蘇る二人の別人格との対話、新たな幻覚、そして音楽家。

こんなにも春男にとって、父は大きな存在だったのだ。それが与えた影響が良くても悪くても。父の死を知っておかしくなってしまうほどに、春男にとって父の存在は大きい。わたしはそれに驚いた。苦労をかけられてもこんなにも混乱するほど、大きな存在になり得るのか。それが熱くも苦しくもある。痛々しくてたまらなかった。わたしはやっぱりこんな思いはしたくない。ごめんなさい。

そんな春男のそばで生きる賢と夏子。自分だって生きるのに精一杯だ。春男よりずっとふつうかもしれないけど、それぞれの葛藤や思いがある。春男は大切な仲間で、そこには憧れや愛と嫉妬や何かも共存している。

春男がいなくなって混乱してセリフを言えなくなってしまった賢。

春男の家に献身的に通って励まし続ける夏子。

まだこの二人は、春男の過去を知らない。ただ突然稽古場に来なくなった大切な仲間のことを思って、自分のことも精一杯で。

こんな二人だって本当は普通じゃない。すごく素敵だ。人のために愛をもって心を動かしている。行動を起こしている。

そんな気持ちは春男に届いた。春男は二人の気持ちに歌で答えた。新しい人格がつなげた音楽家に曲を作るのを手伝ってもらって。歌なら吃らないようだった。愛や感謝を込めて届けた。

今の春男にはこの方法しかなくて、精一杯の全力でそれがどこかおかしくて、でも春男はそんな羞恥心なんかに構ってる暇はない。その気持ちが夏子に真っ直ぐ届いて、それを見守る賢が春男にも夏子にも必要で、わたしもおかしくてどこか恥ずかしいのに、涙が止まらなくなってしまった。

そして3人はまた3人で稽古場に戻った。

父親のすべてと向き合うことを決めた春男のそばには今の春男を作る2人の仲間がいる。ひとりだから、ひとりがひとりとひとりと一緒にいる。

(これは余談だが、この辺で私はコンボイでも聞いた名曲、BUMP OF CHICKENの孤独の合唱を思い出す。)

抱えきれない、想像を絶する春男の人生に夏子も悩む。春男と賢は男二人、ひりひりを見せ合ってぶつけて、ひとりひとり自分を自分で受け入れて、絆を結んでいく。

旅の途中、父親にも人間らしいところや優しさが残っている、いや残っていたことがあったことに気付く。
でも全部遅い。今分かったってだめだ。父親も人間で、ひりひりしていて、でも遅い。

春男は父を許し、自分を許す。それも仲間に気付かせてもらわなければできなかったことだ。

夏子は春男の痛みを知り自分も悲しみの淵に立たされてしまったみたいだった。賢が、役を降りようとした時の話を夏子にも伝えた。墓場まで持っていく予定だった話だけど伝えた。夏子は人を思いやる力がある。きっと夏子も一度は落とした可能性を拾って、春男に寄り添って歩いていける。

ひとはどこまでもひとりで痛みの全部なんて話さなきゃ知らないし話したって全部は伝わらない
でもだから一緒にいてひりひりし合いながらも寄り添うんだと思った。
言葉の一つ一つ、時に的を得ていなくても、相手に伝えているようで実は自分と向き合っちゃってたりしても、届けたものから愛がうまく伝われば、救い合えたりする

さりげなく最後は、チェーホフの書いたセリフかな?
「人間誰しもいつかは必ず死ぬ、それまでは生きろ」

二年越しにできたこの作品の持つ意味が最後の方のセリフにぎゅっと詰まっていた。最後の語りは春男の人生と現実と演劇と客席を繋いでくれた。ぐぐっと言葉が近付いてきて、あんなの泣いてしまう。みんなであの空間で同じ時間を共有できたことが宝物になりました。ありがとうございました。

まとまらないけど思いは書いたかな!ありがとうございました。配信もあるみたいなので、ぜひ。

(さらに再配信が決まったとのことです!やったね!自分なら受け止められそうだなと思った方、タイミングが合った方、ぜひ観てみてくださいね〜!)

【追記】
滑り込みで配信も見ました。たった2回目の観劇。間に合ってよかった〜。書き並べた感想、曖昧だったところの解像度も上げておきました笑
一回じゃ響くのを受け止めるのに精一杯だった素晴らしいセリフの数々をもう一度受け止めることができました。まじでゴミ箱一箱ティッシュで埋まるくらい泣いた。笑
人間は可能性をどんどん捨てて、残った可能性で生きている。
生きてますよ〜!て叫ばなきゃ生きていられないこの世界で生きている。
自分にもあったかもしれない可能性のことを思って人に寄り添って、一生懸命に人とぶつかると繋がれて、少しあったかくなる。そういうのに気付かせてくれる素晴らしい作品だなと改めて思いました。

以前にお芝居を見たことのあったキャスト3人についての感想も別で書きました。素敵な出会いでした。↓

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