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【不思議な実話】私の夢供養➓

感謝とお互いさま

2022年の4月、原因不明の激しい頭痛、めまい、嘔吐感に何日も悩まされるうち、やがて夢に現れた稲荷神社の神様から、生き方を変えるようにと告げられた私。

そのとき神様に言われた『奉仕のこころ』がなんなのか、私にはよくわからなかったが、感謝とお互い様の心が大切なのだとわかってきた。

そうか……、うーーん…

私は子供の頃から苦労の多い人生を送ってきた。ヤングケアラーだったし、家族の介護ばかりやってきた人生だった。自分で言うのもなんだが、献身的介護をやってきた自負がある。そんな私を外から見れば、『奉仕の人』に見えるだろうし、実際そう言われてもきた。

しかし神様の目で見ると、私は奉仕をしていても、『奉仕の心』になってはいないようだ。なかなか厳しい。

しかし、私には『感謝とお互いさま』の気持ちが足りないということなら、それはわかる。長年私は「なんで自分ばかりこんな苦労するのか!」と、不満と愚痴ばかりの生き方をしてきた。

私も若い頃、一時は人を恨んで呪ったこともあったし、強欲に堕ちたこともあった。他人に依存したが思うようにならず悔しまぎれに攻撃的になったこともある。自分ばかり損していると思っていたので他人に迷惑をかけることなど微塵も気にしていなかったのだ。自分の不幸に溺れて周りが見えていなかった。

今はあの頃よりはまともになったとはいえ、奉仕の心で生きているとは到底いえない。なるほど、やはり生き方を変えなければいけないようだ。

だから私は、寝てる場合じゃないのに…


「うううっ…、それにしてもこの頭痛よ…」

ああ、4月半ばあたりからずっとろくに布団から出ていない。もうゴールデンウィークに入っていた。連休に入る前に駆け込んだ脳神経外科ではMRIの結果異常はなしと診断され、「偏頭痛では?」と言われた。

「はぁ、はぁ、こんなの偏頭痛なわけっ、 ないじゃん。おかしいよ、…だって、手足もちょっと痺れるし、ちょっと歩いただけで目が回って 、ううっ吐いてしまうんだぞ?」

一応処方されたロキソニンを飲んだが、効き目はなかった。胃をさらに痛める気もした。もう飲まない。

神様はにがり塩で身体を清めろとおっしゃったが、清めたことで心は晴れてきたものの、頭痛は一向に治る気配もない。

「神様はなんで塩で清めろと言ったんだろう?霊を祓うため?……じゃあ、やっぱこの頭痛は霊障なのかな?いや、まさか…」

霊障だなんて信じてない。そういうのは霊感商法の人が言う話だ。塩で清めるというのは、「自分の心を清めなさい」ということだ。きっとそうだ。わかってるのに、『霊障』という言葉が頭をよぎる……

なんだか少し不安になってきた。


判明

ゴールデンウィークが開けた5月半ば、寝込んでからほぼひと月が経とうとしていた。

その日の朝、私は激しい痛みで目が覚めた。しかし、いつもの頭じゃない。目が、目が痛い!━━突然、目がズキズキと痛み出した。

「痛い!痛い…!!なんだこれ!?」

頭痛はマシになったが、今度は両目が痛い!なんだこれは…

(…あれ?待てよ、この痛み、覚えがある。)

そうだ、子供の頃突然夜中に目が痛くなったことがあった。右だったか左だったか忘れたが、片目の眼球がズキズキと激しく疼いた。一晩中、「痛いよ!痛いよ!」と泣きながら朝まで過ごし、母に連れられ眼科に駆け込んだ。

診断の結果、片目の眼球にごく小さな鉄の破片が刺さっていた。その時の怪我はすぐに完治したが……

「ああそうか、これは目か!!」

あの時と同じ痛みが両目に出ている。両目に同時に砂鉄が刺さったわけじゃないだろう。なにかの病気かもしれない。ただ、とにかくすべての原因は目だったんだ!

頭痛もめまいも、車酔いのような吐き気も、これ全部、目が原因に違いない。

眼科だ!今すぐ行かなきゃ…


ふらふらの身体でバスに乗り、そこから歩いてようやくたどりついたその病院の眼科医師は、私の話を聞いてまず「ガッハッハ!」と笑って、何度もうなずくとこういった。

「おそらく、いや十中八九、極度の眼精疲労でしょう。検査の結果を見るまで断言してはいかんのですが、あえてここは医者の勘だけで断言します。これは眼精疲労です!」

「しかも 極度の、ね」


検査結果、目には他に異常は見られず、やはり眼精疲労と診断された。

歳をとって老眼になっているのに、長い間裸眼でパソコンやスマホを見ていたことで疲労が蓄積されてダウンしたものであろうと医師は言った。

(老眼鏡、持ってはいたけど、まだ頑張れば見れるし面倒くさくて使ってなかった……)

そう言われてみれば、去年新しい職場で毎日パソコン作業をしていた時も裸眼だった。ひと月に一度くらいの頻度で激しい肩の痛みに襲われることがあった。その仕事を辞めたあと、今年に入ってからはテレビを見てても目がやけにチカチカして、蛍光灯の光が痛いほどまぶしく感じられた。

あれは目の疲労からの異常だったのか…

そんな予兆に気づかず、無職になった私はいじけて毎日長時間スマホばかり見ていた…  目が異常な負荷に耐えているとも知らず。ああ、だから死んだ祖母が心配して夢に出てきてたんだ… まったく気づかなかった……

先生曰く、今はとにかく疲労が回復するまで休んでいるより他はないらしい。まぁ、そうだよなぁ…


自業自得


それから私はさらに目を休めるために毎日寝続けた。

母は相変わらず、「あんたはうつ病や!もっと外に行って気持ちを明るく持ちなさい!!」と枕元で騒いだりもしたが、もう診断名はついたし、眼精疲労の目薬ももらった。

「原因がわかったからもう大丈夫。だから、とにかく今は寝かせて!」

起きてると眼球が嫌でも動いて目がズキズキ痛む。眼球というのは起きてる間も寝てる間も、無意識にやたらと動き回るのだと初めて体感した。

おそらく目の周りの筋肉が疲れ切っているのだろう。ここは目を動かさず休ませたいところだが、起きていると無意識に眼球を運動させてしまう。

外に出て、道路の向こうの信号機を見るだけでも、目はピントを合わせるためにギュンギュン動く。そのたびに強いめまいに襲われる。少し歩いただけでも車酔いのようになって嘔吐していたのはこれが原因だったらしい。

寝てる間も無意識に眼球は動いて辛いのだが、いまはせめて目を閉じてその動きを最小限にしたいところだ。目の調節機能を麻痺させる目薬?などもあると聞いたが、医師曰く「後遺症が残る可能性があるので今回は使わない」とのことだ。やはり寝てるしかない…

それを母に何度も説明したが納得してくれない。それだけ心配してくれているのだろう。私は泣く母を追い出して部屋のドアを閉め切った。

母の愛はありがたいが、いまはいらん。。離れててくれ。心配かけてすまない。

辛いことが続いたとはいえ、いじけてスマホばかり見ていたせいでこうなった。自業自得だ。一瞬でも、「ほんとに霊障だったりして?」とちょっと思った自分を恥じた。

「ごめんよ、霊たちのせいにして。呪いのせいでもない。これは私の身から出たサビだ。」

どんな辛いことがあったとしても、前を向いて生きている人はたくさんいる。足をちょっと悪くしたくらいでいじけて暮らしていたなんて、馬鹿なことをした。呪いに負ける生き方とは、こんな私の生き方を指すのだろう。

世の中にはもっと苦難の多い人生を生きながらも、感謝を忘れず周りと助け合ってたくましく生きておられる人達がごまんといる。

辛い中でも、奉仕のこころで生きている人達がいるのだ。

(奉仕…)

(私にできる奉仕とは、なんだろう?)


逃げてきた理由

よほど身体も心も疲れていたらしい。毎日寝てるのに、まだよく眠れる。

夢の中、私は考えていた。

数年前の2019年、私が足を壊したその前、東京に行ったこと、根津神社に参拝したこと、そこで石上一族の亡霊を見たこと、奈良・石上神宮に参拝したこと。あれが今回の苦難の始まりだった。

私、あの時なにをしたっけ?

なんで私の夢に石上一族の亡霊が出てくるんだっけ?

武田信玄に一族を滅ぼされた悲しみと絶望を語る女性の霊に、私……、私、なにかしてあげなきゃいけなかったんじゃないのか?

一応は、彼女のためにと石上神宮に行ったりもしたのだ。そう、私の行為は外から見れば奉仕だっただろう。石上一族の供養のために石上神宮に行ったのだ。

でも、肝心の『心』が足りてなかった。私は石上一族の苦しみに寄り添っていなかった。供養のつもりで、本当はただ興味本位で石上神宮に参拝しただけだったんだ。


やがて映像が見えてきた。暗闇に甲冑姿の武者たちが座っている。特に四十代くらいの一人の武者が妙に印象的だ。なんとなく梅沢富美男さんを温和にしたような顔で、優しそうな人だ。

その男のそばに、あのとき東京のホテルで見た5、60代の白髪の貴婦人が座っている。

(これが、彼女の言っていた石上いそのかみの一族。そう、ありし日の……)

思った途端、ゴロリと落ちた。その場に座っていた武者たちの首がいっせいに地面に転がる。ゴロリ…

「ぎゃああああああああああああああああああ」

貴婦人の悲痛な叫びと同時に目が覚めた。

━━目が、やっと覚めた。

なんで私は、今までこんな悲しい霊たちを放っておいたんだ。石上一族の霊だけじゃない。戦国時代の前世の記憶を思い出してから今まで、どれほどたくさんの霊達が私の前に現れた?私はそのたびになにをした?

なにもしなかった。

母方の祖母からは、「成仏出来ない霊に会ったらお供養してさしあげなさい」と教えられてきたが、私はやる気になれなかった。だって私は僧侶でも尼でもない。それにお経や念仏で無念の塊になった霊を成仏させることは出来ない。やっても無駄だと知っていたのでやらなかった。

そう、逆に言うならお経や念仏で成仏出来ない霊を供養するにはどうするべきか、私は知っていたのにやらなかった。それが大変な時間と労力のいることで、下手をすれば自分の命を縮めることになると知っていたからだ。

私の前世はおそらく、これまで夢で見たことが本当ならば、戦国時代にたくさんの人を殺めた武士だった。きっと多くの霊から恨まれているだろう。

だから怖かったのだ。かつて自分が殺めた人々の霊に遭うのが怖かった。酷い呪いを受けるだろう。いや、もう受けているだろう。しかしわざわざ自分を呪っている霊たちが今でも留まっている場所に行きたいとは思わない。

だから今までどんな霊が出てこようとも真剣に相手はしなかった。ろくでもない苦労が待っていると思ったからだ。

しかし、行こう。もう一度、石上神宮へ。

やっと覚悟が決まった。私はもう逃げない。

━━石上一族の供養を、いや戦国時代の亡霊たちの供養をするために。




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