歳差運動3-⑤
大舞台での儀礼的催事が終了し、場所を変えて本格的な研修に入った。 分科会と称した参加者同士の話し合いになる。
中規模の会議室に移動した。
俺が入ったのは三間続きの小綺麗な部屋だった。薄いベージュのペンキが真新しい、瀟洒なつくりの落ち着いたイメージが第一印象。壁の色が即目に飛び込んできたのは張り紙などが全くなかったからだろう。よく見ると時計すらかかっていなかった。病院の病室のカーテンなどを除けたらこんな感じだろうか?
今流行のユニバーサルデザインというのか?関係ないものに気をとられずに会議に集中しろってことか… 教室に、特に前面にいろいろなものが置いてあると、子どもたちがあることないこと余計なことを連想して授業に支障をきたすからだとして、室町時代後期の侘び寂びの精神よろしく、何も飾り気のない教室環境に退化しつつある。
俺も小学生の2,3年生あたりだろうか、教室の前の壁の右側に世界地図が貼ってあって、あの地図の裏側つまり地球の裏側はどうなっているのかなどと考え込んでいた。俺はバカな奴だったなあと思うと同時に、その間中先生の話を聞いていなかったのだろうと理解した。 だが今はどうだろう、何も貼っていない壁を見るとペンキの凹凸が気になったり、まっさらな壁をスクリーンに見立てれば映画鑑賞ができるぞ、なんてつまらないことを考えている。 瀟洒なつくりがある一つのことに集中させるベストな環境なんて幻想だよ。そこに座る人間の想像力の違いなんだろうと思う。それに、1~10まで能力の違う子どもに対して誰もが分かるように1の力に合わせようとしたら8とか9とか10の力のある子どもはいい迷惑だろうよ。簡単すぎて飽きてしまうからな。
ユニバーサルデザインなんてものを進めていくとみんなレベルの低いところで頭打ちになるような大人に育ててしまうだろう。 1から10までの力の差のある子どもを鶴の一声で全員を動かそうとするのは無理だ。個別に対応するしかないのだ、と思う。
だったら教室には5人くらいの先生を配置しろ、ってんだ!
とか考えているうちに、この分科会の責任者の説明が終わり、少人数がグループを作っての話し合いに移ってしまった。
何も分からんぞ俺は…
~続く