人前で音読すら出来なかったあがり症が少しずつマシになっていった話(2)意識の時期
昔の話すぎて、何から話せばいいやら混乱してしまいしばらく筆が持てず。結局チマチマと話していきます。
「とにかくみんなの前で発言が出来ない」事を克服しようと、ほっぺたの中を噛んでこらえてみたりひっそり孤軍奮闘していた。だが、小学1年の残念な思いつきの数々は克服までにはなかなか至らなかった。
こんな私に、学校の担任の先生は読めない事を責めることは1度もなかった。ただ決して甘くはなく、他の級友達と同じように、同じくらいの頻度で音読を当てられた。音読という壁から逃げずに済んだのは、苦手なことへの機会を皆と平等に与えてくれた先生のおかげだろうと今でも思っている。
授業中、音読が当たる度に涙を静かに流しながら読んで、泣きすぎてしゃくりあげて読めなくなった頃合いで誰かに変わってもらって読んでもらう。
この情けなくて悔しいやり取りは結構続いたと記憶している。なぜ私だけ出来ないんだろう、と毎度凹んでいたのを覚えている。
しばらくすると、だんだん読める文章が長くなっていった。当時は全くわかってなかったが、何度も繰り返し行うことで、慣れて緊張がマシになってきたのかもしれない。
あとひと息分、半行ずつ、1行ずつ、読める量が増えてきたと実感が出てきた頃。
とある休日、父にタイマンで膝付き合わせて何故かと問われた。
私は驚き慄いた。何らかの手段でとうとう家族に知られてしまったらしい。だが小学生に上がっていつまでも先生が親に黙っといてくれるはずもない。先生に口止めを願うという手段は当時思いつきもしていなかった。
孤軍奮闘していたのには一応子供なりの理由があった。父がとにかく厳しい人なのである。幼心にも逆らえないと自覚しており、だた叱られるのが怖かったのである。もしかしたら母は既に知っていて、そっとしてくれていたのかもしれないが。
ひと嵐くる予感がした。
続く