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人前で音読すら出来なかったあがり症が少しずつマシになっていった話(1)自覚の時期

なにかを人に面白可笑しく語れる経験はさほどない。技術もない(笑)
でもせっかくnoteはじめたし、子どもの頃から悩んでいたあがり症について、少しこの場で話してみようと思う。

当時は専門医や相談窓口なんてない時代だったろうし、病院に連れていかれた記憶もない。あくまで私の場合はこうだった、と念頭において読んでほしい。参考にならないかもしれないが、こんな奴もいるんだ〜マシになったんだ〜、と、今悩んでる誰かの気持ちが少しでも軽くなると嬉しい。


人前で話すのが苦手だと自覚したのは幼稚園に通っていた頃。
それから小学1年生のある時期まで、名前以上の自己紹介はおろか、ありがちな「将来の夢の発表」とか、複数人の注目を集めて自分が話さねばならないような時はすぐに泣き出してしまい、1度も発表しきれた事はなかった。(名前だけならギリ言える)

人前であがるといえば、の定番、
音楽の授業の歌のテストはもちろんのこと、
国語の授業で音読を先生に当てられても
読み始めたそばから涙がはらはらとこぼれてきて、
喉がつまり、涙で視界が滲み、どうしても読み進めることが出来ない子どもだった。

悲しい訳でもないのに涙が勝手に出てきて止まらない。何で泣くのか聞かれても自分でも謎すぎて答えられず、制御もできず。何も分からないまま何とかしなければ、と幼いながらも1人悩んでいた。

同級生で同じように泣く子や、以前そうだったという子には1度も出会わずじまいだったから、そんなに多くはいないのかもしれない。
これ…書き始めといて何なんだけど、この話の需要あるのか…?と思えてきた…。

小さい頃から、怒られたり、きょうだいゲンカしたらギャン泣きもしていたから、泣き虫ではあった。涙腺はゆるいほうだろう。
だが、家族や1対1、少人数のグループでの会話は特に問題はなく話せていたし、親曰くどうやら特に人見知りはしていなかったらしい。
つまり、家庭では絶対に発覚しないものだった。
専門家ではないので、ただの「苦手」で片付けられるレベルだったのかどうかはわからないが多分学校の先生を困らせていたかもしれないなとは思う。

年齢を重ね、段階を踏むように徐々に克服していき、今ではあがりながらでも30人以上の会議室でプレゼンが人並み程度にできる程度にはなっている。(特に上手いわけではない)

緊張は今でもガッツリするし、今でもまだ越えられない壁はあるけど、いくつかの克服のキッカケや今でも実践していることを、備忘録がてら少しずつ書きためていこうかと思う。

遅筆な上に作文力が皆無なので読みにくいことは先に謝っておこうかな…。ごめんなさい〜!m(_ _;)m

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