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「サッカー」と「リフティング」の関係。

 先日、リフティング用のサッカーボールをいただいた。
 とても、ありがたく、うれしい。
 今は、そのようなボールまで普通に販売しているくらい、サッカーが一般的になっていることも含めて、やっぱり、ありがたい。

サッカーが根づいたうれしさ

 1985年頃まで、日本は「サッカー冬の時代」だったらしい、と何かで読んだ。

 その頃に、全然うまくもない、ごく普通のサッカー部員だった私は、ほとんど南極のようなところで、サッカーをしていたのか、と随分あとになって思ったが、Jリーグ発足以来、日本代表は、オリンピックには出るし、W杯にも初めて出場した後は、ずっと出続けていることで、サッカーは、日本の社会にかなり根づいたように思う。

 単純に、うれしい。

 1990年代、それが茨城の鹿島であるせいもあるかもしれないけれど、ガソリンスタンドが暇らしく、そこのスタッフたちがサッカーボールを蹴っていた姿を見た時は、じんわりとうれしかった。

 それまでは、そういう場面で見られたのは、野球のボールを使ったキャッチボールだったからだ。別に、野球への対抗意識はないとしても、それまでは、圧倒的にメジャースポーツは野球だったから、時代の変わり目を見られたような気がしたのだった。

 そして、今ではオフサイド、という反則を、説明しなくても分かってくれる人の方が多そうだし、W杯の凄さを、熱心に語らなくてもよくなったのは、やっぱり嬉しい。

「サッカーの常識」の変遷

 さらに、改めて考えると、もしかしたら、「サッカー冬の時代」「サッカーの常識」は、今とは微妙に違っていたのかもしれない。

 現在では、サッカーに大事なことは、まずは「うまさ」、つまりは、技術であり、それに「強さ」と「速さ」が加われば、さらにいいプレーヤーになっていく、ということは常識になっているように思うけれど、「サッカー冬の時代」は、「強さ」や「速さ」の方が、重要視されているような印象すらあった。

 少し考えたら、サッカーは球技であるのだから、まずはボールを扱えなければ話にならないのだけど、「サッカー冬の時代」のサッカーの戦略は、特に学生であれば、「キック&ラッシュ」を採用するチームが多かったように思う。ボールを大きく、相手陣内に蹴り込んで、みんなで走り込んで得点を目指すような方法だった。(個人の感想なので、厳密に言えば、違うかもしれません。ただ、こうした点も含めて、専門家によって調査・研究していただければ、とも思います)。

 だから、まずは「強さ」や「速さ」。さらには、何度でも走れるように「持久力」が必要になってきて、そうなると、「うまさ」よりも、「強さ」や「速さ」が重視される場合まであったように思う。

「リフティングのうまさ」 ≠ 「サッカーのうまさ」

   狭い個人的な見方に過ぎないのかもしれないけれど、だから、「リフティングのうまさ」に関しての見られ方が、昔と今では、少し変わっているように思う。

 まず、大前提として、「リフティングがうまい」と言っても「サッカーがうまい」とは限らない。だけど、「サッカーがうまい」場合は、必ず「リフティングもうまい」、とは言えると思う。

 サッカーのプレーには、とてもたくさんの要素があって、リフティングだけでは、その全てをカバーできるわけではない。例えば、とても大雑把に言えば、リフティングが出来ても、ピッチの上で、試合時間の間は、的確に動けなくてはいけないし、その動きの中でスキルを発揮しなくてはダメだし、相手の動きと関連してベストなプレーをする必要がある。

 だから、「ボールと友達」(by 大空翼)という発想は、とても正しいと今でも思うし、ボールタッチの感覚をつかむために、リフティングは、とても有効なトレーニングにはなるけれど、それだけだと、すごいサッカープレーヤーにはなれない、と思う。

 だけど、いいプレーヤーで、リフティングが下手な人もいないと思う。


 そして、「強さ」と「速さ」が、「技術」よりも先に注目されるようなことさえあった「サッカー冬の時代」には、「リフティングのうまさ」については、今よりも、より軽視されていたような印象さえある(個人の感想です)。

 だけど、「サッカーの常識」が微妙に変わっていて、最初に「技術」がある、という基本が、今の方が、きちんと理解されているように思うから、「技術」が大事になる「リフティングのうまさ」は、現在は、昔より、大事にされているようにも感じている。

リフティングは裏切らない

 スポーツ界で、時々、聞く言葉に「筋トレは裏切らない」がある。
 
 それは、例えば、あるスポーツのトレーニングをいくらやっても、その練習量と、そのスポーツのパフォーマンスが比例するわけではない。
 同じように練習しても、人によっては、すごく差が出ることがある。それは、少しでもスポーツに取り組んだことがある方であれば、共感してもらえることだと思う。
 才能の差、といったことは、どうしようもなく存在するのは間違いない。

 それに比べると、筋トレは、練習量と成果が、スポーツのパフォーマンスに比べると、比例しやすい。もちろん、筋肉の質など、厳密に言えば、当たり前だけど、筋トレにも才能のあるなしは関係してくるものの、プレーそのものと比べたら、筋トレは努力と成果が結びつきやすい。そういう意味で、「筋トレは裏切らない」と言われているのだと思う。


 個人的には、それに近いニュアンスで「リフティングは裏切らない」と考えている。

 サッカーのピッチ上のパフォーマンスは、どれだけ努力しても、才能がある人間には、全く敵わない部分は、残酷だけど、あると思う。
 それに比べたら、リフティングの回数や時間などは、努力した分だけ、成果が上がりやすいし、数字として出るので、もしかしたら、やる気に結びつきやすいのではないか。

 ……それは、リフティングボールをいただいて、すごく久しぶりに、リフティングに、少しずつでも取り組みたい、と考えた時に、思い出したことだった。

 と、ほとんど屁理屈みたいなことを言っているけれど、今は、妻もリフティングが楽しい、と言ってくれるようになったし、一緒にできるから、より楽しいような気がする。

リフィティングというシンクロ

 今のところ、リフティング20数回から始めることになった。なんだか情けない。

 だけど、身内の方々でも、リフティングに取り組み始めて、そして、ボールをいただいたりしているので、いろいろな人と一緒に続けられるかもしれないと思うと、やっぱりうれしい。

 動画でも、とんでもなくうまい人のリフティングを見る機会も多くなっているし、なんとなく、リフティングで、いろいろな人と、スキルの差はあるとしても、場所や時間が違っても、シンクロしている気持ちがすることさえある。

 さらに、リフティングであれば、歳をとってもできるはずだから、地道に取り組めば、「リフティングは裏切らない」はずだから、思ったより長く続けられるかもしれない。

 そう思うと、やっぱり楽しいし、うれしい。




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