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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#アート

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「すごい建築家の、すごい建築」を知らなかった理由。

 テレビをまだ見ているのは、自分が知らなかったことに、あまり気持ちの準備をしていなくても、偶然、触れられることがあるせいかもしれない。  この番組の中で、日立駅に作られたカフェが紹介されていた。  それは、茨城県日立市出身の建築家・妹島知世が設計したもので、日立駅全体も含めて、テレビ画面で見ただけだけど、それが、すごい景色が見られる、優れた建築物なのを知った。  その完成は、2011年だから、すでに10年以上が経つのだけど、自分の情報に関しての弱さがあるとしても、他の建

影響の受け方の種類。

 明らかに強い影響を受けてきたのに、それに気がつくのは、とても長い時間が経ってからのこともある。それは、実は、ずっと見ていたのに、視線が真っ直ぐに向けられていなかったせいかもしれない。 大阪万博 1970年の大阪万博のときは、小学生だった。  どうしてだかわからないのだけど、万博に、すごく興味を持ってしまった。  それまでに、テレビで「ウルトラマン」があって、そのあとに、アポロが月に着陸し、ただでさえ子ども心は、盛り上がっていたのに、そこに拍車をかけるように、大阪万博は

「小便小僧」という存在は、微妙であり続けるのかもしれない。

 東京、山手線・浜松町駅には、「小便小僧」がいる。  ホームの上で、「放尿」しているのだけど、その勢いの強さに驚いた記憶がある人も、少なくないのでは、と思っている。 「小便小僧」の歴史 浜松町駅には、壁にもモザイクレリーフがあり、「1909」という数字があるが、これは浜松町駅が開業された年で、「小便小僧」が駅に設置されたのは、それより43年後になる。  その後も、「小便小僧」に服を着せるようになり、それについても論争があったりしながらも、70年の歴史を刻み、今は浜松町駅

「世界を変える」ということ。

 こんな言葉があった。  実際に戦争が起こってしまっていて、それを元にした言葉だから、ある種の不謹慎さも問われる可能性はあるけれど、でも、とても重要なことを示しているように思った。 世界史に影響を与える  これまで、会田誠の言う通り、さまざまな大きな出来事のたびに、表現者と言われる人たちが、何もできない、といったことや、普段の生活の中でも影響力の少なさを、ある種の嘆きと共に語られてきたような記憶がある。  確かにその時は、聞き手としても、そうかもしれないし、そのことは、

「電線のある風景」のかけがえのなさ。

 電線があるのは、先進国ではない。  そんな言葉は、特定の誰かが言った印象はないが、それでも、ずっと聞かされてきた。同時に、電柱や電線は、明治以降、発展をなるべく早くするために行われた「仮設」的なものであり、電線は地中化すべきということも、ずっと言われている。  どこかで、そんなものかもしれないという気持ちもあったが、それでも、電柱も電線もずっとあり続けて、そして21世紀になり、かなりの時間がたった。  今日も外へ出れば、電線も電柱も、そこにある。 エヴァンゲリオン

「少し遠いところへ、旅するためのアート」………「いちはらアート✖️ミックス」。

 テレビを見ていたら、ある作品が映った。 「見に行きたい」。  知らないアーティストだったけれど、珍しく、妻が強めに言った。  今年は、あまり電車にも乗っていない。  遠くへも行けていない。もしかしたら、今の時期を逃したら、もう無理かもしれない。  妻に提案して、行くことに決めた。 「いちはらアート✖️ミックス」  ここ10年くらい、日本各地で、アートのイベントが増えて、あまり良い言葉ではないけれど、「アートで町おこし」みたいなことも言われて、その中に千葉県で行われて

「とても微力だけど、支援したワタリウム美術館に、やっと行けた」。

 去年、2020年、ワタリウム美術館が、コロナ禍のこともあって、経営が危なくなって、支援を募っているということを知り、それまでの、その美術館で見たいろいろな作品のこと。そこで行われたトークショー。併設するショップで買ったTシャツ。  気持ちを支えられた、そうした出来事を、やっぱり思い出して、ワタリウムがなくなることは、寂しいと思い、自分も貧乏だけど、ほんの少しだけ支援をした。  展覧会の時に、買うか迷ったTシャツと、招待券2枚が贈られてきた。その時は、コロナ禍が怖くて、そ

街の中の、無意識の「作品」。

「見出しの写真」は、道路のそばの、地面の上の色のカケラが、きれいに見えたので、撮った。  すぐそばの建物はシャッターが閉まっていたから、はっきりとは分からなかったのだけど、たぶん、普段は自動車修理も行っているような小さな工場のようだったから、塗料のゴミのようなものだと思う。 駅の中の、無意識の「作品」  駅の中に、無意識の「作品」が、意外と多いということは以前に書いた。  その時も書いたけれど、自分が現代アートに興味を持つようになってから、大げさにいえば、「世界の見え方

「川端龍子VS高橋龍太郎コレクション」を、地元の「大田区立龍子記念館」で見てきた。

 地元・東京都大田区に「大田区立龍子記念館」という施設があるのは知っていた。  大田区に20年以上住んでいるのに、一度も行ったことがなかったのは、川端龍子という画家を、ほとんど知らなかったせいだ。その名前の読み方(りゅうし)も、この画家が、男性ということさえ分かっていなかった。  他の都心部の区立の美術館と比べると、特定の作家に偏っている施設だから、それは仕方ないとはいえ、他の区の美術館がうらやましかった。 ひらがな日本美術史  橋本治の書いた、この「ひらがな日本美術史」

とても久しぶりに「美術館」に行き、「初めての店」で食事をし、気持ちが少し救われた話。

 コロナ禍になり、特に今年(2021)の夏は感染者数が増大し、東京都内に住んでいると、とても怖くなり、外出を控える日々が続いた。  これまで、特に介護をしている19年の間は、気持ち的に辛い時には、アートを見に行って、それ以上、気持ちが沈み込むことを避けられてきた。  でも、この2年くらいは、見に行きたい展覧会や企画や作品があっても、毎日の新規感染者数の数を見て、家族には気管支の持病があるので、とにかく感染しないことを優先する日々だった。 無力感 外へ出ないようにしている

とても僭越ですが、『全ての「役名」を「木村拓哉」にすること』を、提案したいと思います。

 2021年の夏から秋にかけて、映画の宣伝のため、木村拓哉が主演するドラマの再放送が続いた。さらには、そのドラマをもとにした映画の放送もしていた。 木村拓哉の変わらなさ  再放送のドラマを録画して、毎日のように、妻と一緒に見ながら、お茶をして、楽しい時間を過ごせた。ドラマの「ヒーロー」は、第1期と、第2期の両方を続けて放送していたが、実際には、その間に13年の時間が流れている。  もちろん、主演の木村拓哉は、その分、年齢を重ねているものの、基本的には、その姿は変わらなかっ

国立新美術館は、厳密に言えば「美術館」ではないらしい。

 国立新美術館は、国立の美術館としては、一番新しい。  2007年に開館してから、魅力的な企画展もあり、何度も足を運んでいる。  国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペース(14,000m2)を生かした多彩な展覧会の開催、美術に関する情報や資料の収集・公開・提供、教育普及など、アートセンターとしての役割を果たす、新しいタイプの美術館です。  この言葉に対して、開館当時に微妙な違和感はあったものの、それを責任と覚悟を持って継続していくのであれば、「新し

「シブヤ大学」が、思った以上に刺激的で楽しかった話。

 私は、情報弱者に近いのだけど、それでも動画で、情報を得ることが、以前より多くなった。  本当だったら、同じ空間にいて、話を聞くことで、内容だけでなく、その人の気配も含めて伝わってくる要素が多く、そのことで、内容の細かいニュアンスや、その時の場所の居心地もあるから、より記憶に残る。  結果として、学ぶ総量のようなものが、圧倒的に多くなるので、やっぱり、できたら、直接会った方がいい。  でも、今のコロナ禍では、人と会うことが、とんでもなく難しく、ぜいたくなことになった。