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サトシくんの家

幼なじみのアツシという奴がいた。近所に住んでいて、そいつとずっと遊んで色々とイタズラをして、近所の恐いおじさんによく追いかけられた。
アツシのお父さんの事業が上手くいったのかなんなのか、いきなり凄い家に引っ越した。借家住まいから門から玄関まで凄い距離があって、何故か婆やが居たりした。見たことの無い果物とかを出されたりして、その事を逐一母親に報告していた。その頃の僕の家はアパートで2Kで僕の部屋は兄と共同で二段ベッド。圧迫感を感じないアツシの部屋のベッドを見て羨ましいとも言ったかも知れない。
そんな時、アツシがその豪邸に泊まりに来いと言った。すごく嬉しくて、「全員集合!」も観れると言ってくれた。僕は人の家に泊まったことが無く、勝手がわからずにいると、
「いいよ、今からマサルのお母さんに婆が電話してお願いしてもらうから」
結果、うちの母は了解をしなかった。更に、もうアツシ君とは遊んではダメと言われた。遊ぶという事から一気に民謡の稽古の内容が増えた。その時たった1人の友達が遠くなってしまった。その後、若くしてアツシは亡くなったと聞いた。墓もわからず。
後で聞いたのは、その頃泊まりにおいでと言っていた時は、両親は離婚の危機で婆やというのは本当のおばあちゃんだった事。あんな豪邸で1人で部屋にいるのは耐えられなかったんだろうなと、今でもそれを思い出すと申し訳なくて後味がすごく苦い思いが蘇ってくる。


あれ以来泊まるという事はいけない事なんだと思っていた自分に思いがけないことが起こった。
それは両親の友人の家に一緒に遊びに行った時のことだった。
そこには1つ下のサトシくんという人がいて、彼とは一緒に色々と遊んでいた。土曜日だった。
サトシくんにはお兄さんが二人いて、両親同士が酒盛りをしている時になんと、「8時だよ!全員集合!」が始まったのだ!うちでは禁止だったドリフ。
親の目を盗むというのはこういう事なのかな?もうドキドキしながら見ていた。
「サトシくんの家はドリフ見ても良いの?」
「え?なんで?」
「うちはダメだから」
「ふーん。うちは皆で見てるよ」
なんて話しながら画面をじっと見続けていた。
その両親の友達の所への飲み会は何度となく繰り返されて、その度に僕はついて行った。そして念願のお泊まりまで出来るようになったのだ。なんて楽しいんだろ?朝は厚いトーストが出てきて、ドラえもんを見る(当時は日曜の朝10:00放映だった)そして、サトシくんと多摩川まで行って遊んだりして夕方には自宅に戻っていた。
今はすっかり疎遠でサトシくんが何をしてるか分からないけれど、志村けんさんの訃報が届いた時に真っ先に思い出したのがサトシくんの家だった。
押し入れの中に隠れていた猫。お兄さん達のKISSやQueen、そしてスネークマンショー。ある意味僕の中の音楽への傾向はその頃に培われてきたのかも知れない。

いきなりここまで思い出が蘇るくらい全国民に笑顔を届けてくれた志村けんさんの訃報は衝撃過ぎた。
昔から津軽三味線をやっているといるというのは知っていて、YouTubeにもあるけれど、加藤茶さん、仲本工事さんの三人での津軽三味線を使ってのコントまでやってのけてる人だったのだ。


数年前になるけれど、とある場所でクワマン事、桑野信義さんと一緒に演奏する機会があった。それが縁で初めて「志村魂」を観させて頂いた。津軽三味線の独奏も披露していた。そしてちゃんとオチがある。もう流石としか言えなかった。
感想を桑野さんに送ったら、
「志村さんが津軽三味線はどうだっのか聞いてくれ」と返信がきた。僕のような無名の奏者にも気を配ってくれ、更に感想を求めるなんて、なんて芸に対して真摯なんだろう。と当時凄く感動したのを覚えている

小さい時から大人になるまで、自然といてくれた
「僕達の志村」
本当にお疲れ様でした。いつかは会いたいと思っていたのが叶わず悔しいのですけど、どうぞ安らかにお眠り下さい。
ありがとうございました。


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山影匡瑠(三味線奏者)
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