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エンターテイメント。

毎週土曜日を更新目安としている「書き物」の更新が1日遅れた。今日日曜日にとあるプレゼンをする機会があり、その準備があったためだ。

ということで、今回はそのプレゼンの原稿を一部修正し、載せることにする。

エンタメを目指す人にとって響くことがあればと願う。



2022年の4月、表現や創作を今後の人生の生業としていこうという思いでいた。
居てもたってもいられずに、でもある種の自信を確かに持っていた。
そして半年余りが過ぎた。

その僅かな期間の中でさえ、劣等感や嫉妬心にどうしようもなく襲われることがあった。
そんな時に誰かが、「他の人と比べなくていい」という優しい声をかけた。
でも、その言葉には救われなかった。
表現や創作に携わる者は、劣等感や嫉妬心を感じるべき時期がある、と言う考えがあった。

「才能」他の人が持たない何か。
これを相手にして、いかに自分を保っていられるか。
そう言うことを考えているうちに、次のことを信条にしていこうと思った。

頭を使い倒せば「才能」は凌駕できる。
ひたすら考えることで、才能に対抗する方法を見つけ出す。
方法を確立することで、成功の再現性を高める。
では、頭を使い倒す矛先はどこに向けるべきなのか。

それは、自分自身に他ならなかった。
自分の内面の奥の深いところに向き合い、自分自身を知る。
他の人に詳しくなるのではなく、自分自身に詳しくなると言うこと。

そして、自分の強み・個性を掬い上げ、それを混ぜ合わせる。それは、紛れもなく自分だけの色になる。
この世に同じ人は一人としていない。
一人一人に「他の人が持たない何か」が既に備わっている。

だから、それを自分の「才能」として自覚し受け入れ、最大限活かすように努める。
これが大事なことだと思った。

そこからは、言ってみれば孤独なレースになった。
自分だけが走るレースだから常に自分が先頭でいられる。でも相手がいないわけではない。相手は自分、そして自分たちだ。

自分だけが走るレースを始めた以上、掴み取らなければいけないものがある。
この世に同じ人は一人としていない。
けど、もがきながらひたすらに走る自分の姿を見て感情が動く人たちが、この世界のどこかで待っていると信じ、足を止めないでいようと思った。

芸人であり作家であるピース又吉直樹が「バッドエンドはない、僕たちは途中だ。」といつか書いた。
走り続けることで、新たに生まれる価値がある。
走り続けるからこそ、終わらないでいられる。
そう結びつけることができた。自分で自分の背中を押そうと思った。実際にやってみてもうまくはいかないから、頭の中でそれをしようと思った。

果てがないくせに時折夢をちらつかせてくる長い人生の中で、たった1日の夜を乗り越えることができそうもないくらい打ちひしがれる時が誰しもにきっとやってくるだろう。

だから、そんな時に思い出すために、自分にも向けて最後にこの言葉を言いたいと思います。

優れるな、異なれ。


これは原稿であり、文語体で書かれている。だが実際に、プレゼンの場でも、これを口語体に直すことなく、そのまま音読するような形で話した。
これは、パロール(話し言葉)とエクリチュール(書かれた文字)の脱構築を試みた個人的な挑戦でもあった。というのも、僕はジャック・デリダの代名詞とも言える「脱構築(deconstruction)」という概念に大きな影響を受けている。

プレゼントの見た目としては2011年落合陽一氏のTEDのプレゼンのイメージに近い。

脱構築については以下の記事が分かりやすい。

個人的にはかなりこだわって作りこんだが、なかなか場違いな感じで、ちなみに評価はめちゃくちゃ悪かったのだが、自分が言いたいことが言えたので、良しとしようと思った。

「全体的に抽象的だと感じた。」「僕が聞きたい内容ではなかった」とかアンケートに書かれた。

優れるな、異なれ。を身をもって表現できたと言うことで、良かったと思おう。

良かったと思おう,,,,,

,,,でも、やっぱ言いたい。低い評価つけたやつに。

バーーーカ!

,,,,,ごめんなさい。

精進します。

人生はきっと流星群からはぐれた星のようなもので行き着く場所なんてわからないのに命を燃やし続けるんだよ
だから、だから十年後のお前は今のお前を余裕で笑い飛ばしてくれるって
十年後の俺は今の俺を笑い飛ばしてくれるって 間違いないよ
果てがないのに時おり夢をちらつかせてくる人生や、一日限りの運勢やどうにも抵抗できない運命をかかえこんで俺はまだ書き続けるから
詩を書き続けるから やめないぜ

やめないぜ。

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