【掌編小説】リードとフォロー
すきま時間の掌編小説集
「リードとフォロー」
私は長年このダンス教室に通っているが、こんな事は初めてだった。
そのカップルは結婚したばかりで、夫婦仲を深めるために社交ダンスを習おうとこのダンス教室へ通い始めたらしかった。
妻の方は仕事帰りのスーツ姿で教室に来る。新品の練習着と靴を買って、やる気に満ち溢れている。背が高く美人で、抜け目のない徹底した雰囲気を漂わせていた。
夫の方はラフな服装で妻より5分から10分遅れて来る。妻にあれこれ指図をされて準備をする姿は他人事ながら情けなく見えた。
だが、踊り始めると話は別だった。妻の方はダンス初心者で姿勢を正すところから苦戦していた。夫はというとダンス経験者らしい。音楽がかかるとすっと何かが降りてくるかのように、見違えるほど活気あふれるのだ。
妻は自分の無様な姿を鏡で見るのが辛いのか、いつもイライラしながら練習していた。毎回、夫が妻のことを褒め倒してやる気を取り戻させる、の繰り返しだった。
ある時、各々カップル練習をしていると、あの夫婦のケンカする声が教室中に響いた。妻の方が何かに機嫌を損ねて夫に物申している。いつもの風景なので他の生徒達は我関せずと、自分達の練習の手を止めずステップの確認をしていた。
私は少し休んで教室の隅で座っていたので、夫婦の様子を何の気なしに眺めていた。初心者だった妻は熱心に練習を重ね、ある程度のステップなら踊れるようになっていた。これからホールドを組んで二人で踊る練習に入ったばかりだった。
「ちょっと私より上手だからっていい気にならないでよ!」
妻は夫の腕をブンと振りほどいた。
「リードとフォローって何なのよ。自分の自由に踊れないなんてやりづらくてたまらない」
「でもそれが社交ダンスだからさ」
「私が一番綺麗に見えるところなんて、私が一番わかってるに決まってるじゃないの。私が好きに踊るからあなたが私に合わせなさいよ」
妻は夫から少し距離を取り、向き合って踊り始めた。妻の一番得意なジャイブの曲がかかっている。アップテンポの曲の方が乗りやすいといつも楽しんで練習しているのだ。
夫は乗りに乗って踊る妻を数ステップ見送った後、さっと妻の隣に立って踊り始めた。軽やかに踊る妻に合わせてステップを踏んでいる。妻が夫の手を取り、ターンする。好き勝手に踊る妻を支える夫はいつもより頼もしく見えた。妻の方は今までのぎこちないステップが見違えるように生き生きし、つまらないところで躓かなくなった。
気付くと生徒達が全員で夫婦のダンスに見入っていた。踊り終えた二人は満足げな顔をしていた。拍手が飛び交っている。私も気付けば立ち上がって手を叩いていた。
社交ダンスは男がリードし女がフォローするのが基本となっている。だが、現代の価値観ではそれだけが全てではない。同性でカップルを組んで踊ることもあれば、女がリードし、男がフォローすることもある。この夫婦のように自分達の関係性に合ったダンスをした方が魅力的に見えるということだ。
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