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黒煙のコピアガンナー スピンオフ第二弾 夜明けを告げる星 第五話

夜明けを告げる星 第五話


 カズラはアオイとレンを家まで送ることにした。そろそろ日付が変わる頃だった。レンは熱で体が火照っていた。カズラはレンを負ぶった背中が熱いのでこれは早く帰って寝かせないと、と思った。

「レンが風邪引いてて、薬がなかったからこんな時間だけど買いに行くしかなくて……」

 アオイは何かを誤魔化すようにカズラにそう言った。レンはカズラに負ぶられて上機嫌だ。

「ねえ、お姉ちゃん。この人、昨日の剣道の試合で優勝した人でしょ?」

「なんだ、レン。大会の中継見てたのか?」

「見たよ! スパーン! って、すっごかった!!」

「昨日の決勝の試合を見たの。市立体育館で中継されてて。それからずっとカズラのことサムライだって言って気に入ってるんだよ」

「カズラねえちゃん、本当に女なの? こんなに大きいのに?」

「ああ、そうだぞ。並みの男には負けないぜ」

「すっげえ! オレもそんな風になりたい」

「稽古つけてやるよ。でも、その前にしっかり風邪治せよ」

「やった! じゃあ明日からね!」

「薬飲んでちゃんと休んでよくなったらな」

「はあーい!」

 話している間にアオイ達の家に到着した。カズラは久しぶりに訪れるアオイ達の家の外観を見上げた。低所得者向けに建てられた規格化された建売住宅の庭の芝生は手入れがされていなく、雑草が生え放題だ。壁のペンキは剥がれかけていて塗り替えた方がよさそうだった。家の雰囲気もどことなく陰気だ。小学生の頃に何度か遊びに来た時はこんなに寂れていなかった。

 アオイが玄関ドアに手をかける。

「レン、鍵閉めないで出たの?」

「だってお姉ちゃんどっか行っちゃうから……」

「泥棒に入られたらどうするの?」

「お母さんがいるから大丈夫だよ」

「お母さんは……」

 アオイは言いかけた言葉を飲み込みドアを開けた。瞬間、アオイに向かって何かが投げ付けられた。アオイの服に生卵の跡がつく。

「どこ行ってたんだい! バカ娘!」

 金切り声で叫んでいるのはアオイ達の母親だった。

「お母さん、やめて! お姉ちゃんはオレの薬買いに行ったんだよ!」

「こんな時間にか! お前も風邪なんか引いてるんじゃないよ!」

 アオイ達の母親は玄関に出てきてレンも怒鳴りつけた。カズラは変わり果てたアオイ達の母親の風貌に面食らった。

「男なんか連れ込む気か! このあばずれが! そんなところまで父親に似やがって!」

 アオイ達の母親はカズラを男だと勘違いしたようだ。玄関は灯りがついていなかったので身長と髪の長さだけで判断したのだろう。アオイは黙って母親に怒鳴られ続けている。

「ミヤモトさん、お久しぶりです。カズラです」

 カズラはアオイと母親の間に立って暗がりでもよく顔が見えるようにした。

「カズラ……? コガの娘の……?」

「お母さん、もういいから。部屋に入ろう? 寝てなきゃダメだよ」

「コガなんて!! アイツらさえいなければ!! ああああああああ!!」

 突然、アオイ達の母親が狂ったように叫び出したのでカズラはどうすればいいかわからなかった。アオイは母親が叫び出すのを察知して先に部屋の奥へ連れて行こうとしたし、レンはカズラの背中にぎゅっと顔を埋めた。カズラの肩を掴むレンの手の力の強まりがこの家の異常さをはっきり示していた。

「カズラ、ごめん。レンをベッドまで運んでくれる? あと、これ、薬。レン、案内して」

「階段上がって左だよ」

 カズラは小さい声で指示を出すレンに従ってレンの部屋へ入った。灯りをつけると、部屋中に貼られたサムライヒーローのポスターがカズラの目に飛び込んできた。本棚もサムライヒーローのコミックがびっしりで、レンが相当なファンなのが一目でわかる部屋だった。

 母親の叫び声はレンの部屋まで届いた。カズラはレンに薬を飲ませ、ベッドに寝かせた。カズラとレンは終始無言だった。母親の声が止むとシャワーの音が響いてきた。おそらくアオイが汚れた服を脱いでシャワーを浴びているのだ。カズラはレンのベッド脇に膝を抱えて座った。

 アオイの家は崩壊寸前だった。高校生のカズラでもそれくらいはわかった。疎遠になってからの数年間に何か重大なことが起こったことは明白だ。

「カズラ姉ちゃん、今夜はずっといてくれる?」

 レンが不安そうな声で言う。

「ああ。いるよ」

「よかった」

 親からも兄からも見放された自分と母親に怒鳴られ罵られながら幼い弟の面倒を見るアオイとどちらがより悲惨かはわからない。だが、どちらも押しつぶされるような閉塞感を抱えながら、それでも必死に己を保とうとしていた。

「なあ、レン。お前は姉ちゃん守れる男になれよ」

 レンの寝顔を見つめてカズラはそう呟いた。


*     *     *


 翌朝、カズラはレンが目を覚ます前にアオイ達の家を出た。向かったのはソウヤのアパートだ。家族とケンカ中のカズラが頼れる人はソウヤ以外にいない。

 カメラ付きインターホンでカズラが来ていると知ったソウヤは怒っているような口調だった。

「カズラっ! どこ行ってたんだっ!! お前の母さんから電話があったぞっ!」

「アオイのとこ。おじさん、相談があるんだ」

「こんな朝早くに? いやっ! その前に一晩何やってたんだっ! アオイって……ミヤモトさんの娘さんかっ!?」

 ソウヤはタンクトップに半ズボンの休日スタイルで玄関に出てきた。肌寒くなる季節だというのに見ているこちらの方が寒くなりそうだ。

「入れっ! うちは大したものは出せないぞっ!」

 と言いながらソウヤは急須に淹れっ放しのお茶を湯呑みに注いでちゃぶ台に置く。カズラは部屋の数や広さを確かめながらぐるりと部屋を歩き回る。フレイムシティの高級住宅街で生まれ育ったソウヤは貧乏暮らしがしてみたいとあえてこのボロい安アパートに住んでいる。鉄筋コンクリート建築で夏は暑いし冬は寒い。シャワーは冷たい水が出てくるならまだいい方で、水道管のサビが混じった赤い水が出てくることがしばしばある。だが、家賃の割りには広い。部屋数はリビングルームの他に3部屋ある。1部屋目は寝室、2部屋目は剣道の道具が保管されていて、3部屋目は使われていない。カズラは3部屋目のドアを開けて中に入った。

 そこは北側の部屋で日がほとんど当たらない。カズラが歩くと足元を埃が舞う。天井はクモの巣だらけだ。

「そんなとこに入っても何にもないぞっ!」

 カズラは神妙な表情で部屋を眺めていた。

「おじさん、アオイとレンと3人でこの部屋に住んでいい?」

 ソウヤはアパート中響き渡る声で叫んだ。

「何言ってるんだっ!! お前っ!!」


*     *     *


 今朝、弁当のおかずを作っているアオイにカズラはこんな提案をした。

「ソウヤおじさんのアパートなら部屋が余ってる。レンを連れて3人でそこに住もうよ」

「えっ?」

 アオイは動揺して作りかけのだし巻き卵を破いてしまう。が、今はそれどころではない。アオイは自分の耳を疑った。今、カズラはおじさんの家に3人で住もうと言ってきたのか? そんな突拍子もないこと、聞き間違いじゃないか? 

「ここにいたらアオイもレンもかわいそうだ」

 ちらと見遣るとカズラは本気でそれが名案だと思っている顔をしていた。

「ちょっと待って、おじさんの家に住むの? 私達で?」

「そうだよ。おじさんなら必ず私の味方をしてくれるから大丈夫だよ」

「でも、おじさん何歳なの? 大丈夫? それ」

「30半ばくらいだったかな、覚えてないよ。おじさんの年齢なんて」

「そんな大人の男の人の家に住むのなんて無理だよ」

「平気、平気。部活の付き添いもおじさんだし。何も問題ないよ」

「嘘でしょ……?」

「おじさんに聞いてみるよ。多分OKしてくれると思う」

「ええ……でも……」

 アオイはなんとかだし巻き卵の形を整えようとする。もはや何もかもがぐちゃぐちゃだ。菜箸の加減を誤って卵は半分スクランブル状態だし、アオイの頭の中も混乱していた。そりゃあ、この家から出て行けるならそんなに楽なことはない。だが、カズラのおじさんの家に姉弟で上がり込むのはいかがなものか。カズラがおじさんと仲が良いのは知っているが、まさか高校生になっても同じ部屋で寝起きするのが当たり前なのだろうか。その状況でアオイが安心できるとカズラは本気で思っているのだろうか。

 隣のコンロで焼いていたウインナーがバチっと弾けた。両方のコンロの火を止めて、結局ぐちゃぐちゃになっただし巻き卵とウインナーを一緒に皿に乗せた。

「カズラ、朝ご飯は?」

 アオイは弁当をもう一度作り直すことにした。

「それ食べていい?」

「いいよ」

 カズラはフォークをアオイから受け取るとぐちゃぐちゃだし巻き卵にかぶりつく。

「うま!! これ何?」

「だし巻き卵。本当はグルグル巻きにするんだけど、失敗しちゃった」

「だしって何?」

「うーんと、アケボシの調味料みたいなものかな」

「へえ! アケボシの卵料理は全然味が違うんだな!!」

「今度ちゃんとしただし巻き卵作ってあげるね」

「マジか!」

 アオイはカズラが焼いただけのウインナーもぐちゃぐちゃだし巻き卵もおいしそうに平らげるのをじっと見ていた。アケボシではちょっと古臭いと言われてしまうような定番のお弁当メニューでもカズラにとっては未知の味なのだ。アオイが作った料理をこんなにおいしそうに食べてくれる人は他にいない。昨晩、7年ぶりに再会したとは思えないくらい2人は打ち解けていた。カズラと一緒にいられる生活があるならどんなに幸せかとアオイは考える。

 カズラはフォークを置くと椅子から立ち上がり、ソファに放り投げていたジャージの上着を着た。

「じゃあ、行ってくる。レンにはまた今度剣道やろうって言っといて!」

「どこへ?」

「おじさんのとこ!」

 アオイははっと我に返った。

「待って! 本気でおじさんの世話になるつもりなの!?」

 カズラはあの突拍子もない案をおじさんに相談に行くつもりなのだ。それはなんとしても止めなければ。アオイが玄関に出るともうカズラの姿はなかった。


*     *     *


 カズラはソウヤの部屋のリビングルームのちゃぶ台の前に正座させられていた。真向いにはソウヤが険しい顔であぐらをかいており、カズラの隣にはアオイがいる。アオイはソウヤの指示でカズラに連れて来られた。

「それで、母親の暴力からアオイちゃんとレン君を守るために俺のところへ来たと?」

 いつになく落ち着いた声で話すソウヤはなんだか怖かった。カズラは自分のいい考えを皆がおかしいと言うのでへそを曲げていた。

「あのな、カズラ。お前やレン君はともかく、アオイちゃんは年頃の娘なんだぞ。そんな子を男の部屋に住まわせられるわけないだろ」

「でも、おじさんは私の世話だって焼いてくれるし、平気じゃんか」

 ソウヤは溜息をついた。

「お前はそれを知っているが、世間はそう思っちゃくれない。お前とのことだってグレーゾーンなんだ。この案は諦めろ」

「はぁい……」

 不満そうな返事だがカズラは承諾しているとソウヤは判断した。

 気まずい沈黙が流れる。ソウヤは湯呑みのお茶をすする。アケボシで捨てられた廃品同然の格安中古品ばかりを扱う業者から買った湯呑みは端が欠けているし、ちゃぶ台はぐらついている。湯呑みを置いてガタガタと揺れる音だけが妙に響いた。

「で、アオイちゃん」

「はい」

 ソウヤはアオイに向き直った。アオイは真剣な眼差しでソウヤを見る。高校生にしてはやけにはっきりした返事だ。それだけアオイが無理をしているのがソウヤにはわかった。

「差し支えない程度でいいから、話してくれないか。君の家で今何が起きているのか」

 アオイはそれを聞かれるとわかっていたようだった。アオイは目線を下げて、考えながらゆっくりと話し始めた。

「実は、父が浮気をしていて、半年くらい家に帰ってきていません。その前から母は近所の人とトラブルがあって友達がいなくなってしまって、アケボシに帰りたいって言うようになりました。そんな母を疎ましく思った父はよそに女を作って出て行きました。お金も父が全部持って行ってしまったので母の貯金しかありません」

 時々涙を堪えながら話すアオイをカズラは隣にいながら真っ直ぐ見ることができなかった。見なくてもヒシヒシと伝わってくるのだ。アオイの辛さとそれに負けじと強くあろうとする心が。

「お父さんがいなかったのはそういうことだったのか」

「うん、言えなくてごめんね」

「いや、いいよ」

 カズラはそう返事をするとまた下を向いた。

「2人の学費や生活費はどうなってる?」

 ソウヤはすぐさま現実的な質問をした。アオイはためらわずに答える。

「学費と生活費は母の貯金の口座から引き落とされています。まだ母が外を出歩けた頃に引き落とし口座を変更して、通帳は私が持っています」

「なら、君の高校の学費はあと1年半、レン君の分はあと10年ほどか」

「私が卒業するまではなんとかなりますが、その先はわかりません」

「カズラの父親がそういう関係のことを取りまとめていたはずだが、相談しなかったのか」

「あの、それなんですけど……」

 アオイは言いにくそうに続けた。

「うちの父とカズラのお父さんが7年前にケンカをして、それからは一切援助を受けていないそうです」

「何だってっ!?」

 ソウヤもそれは知らなかった。アオイの父とカズラの父が仲違いをしていたとは。7年といえば、カズラとアオイが会わなくなった頃と一致している。カズラはやっと全てが繋がったと思った。

「うちの父が事業が軌道に乗ってきたのをいいことに天狗になりだして、母がご近所とそりが合わなくなったのも父のせいなんです。父が身の丈に合わない贅沢をしたり、ご近所を見下したりするようになって、そのしわ寄せが全部母にのしかかってきて、おまけに父はイグニス人のモデルみたいな若い女の人と浮気して、ストレスで老け込んだ母を責めて……」

「わかった、わかった。もういい。言わなくていい」

 アオイは話し始めたら堰を切ったようにとめどなく言いたかったことが次から次へと口から零れだした。本当は全部吐き出して楽になりたかったのだ。父に言い返さない母にも腹が立ったし、調子に乗って遊び惚けている父にも怒りが湧いた。ソウヤに止められてもまだアオイの中には沸々と湧き上がる感情が燃え上がっていた。

「私だってあんな家にはいたくありません。でも、今は他にどこにも居場所がないから仕方ない。いつか必ず出て行ってやると思っています」

 カズラは涙ながらに訴えるアオイをすごいと思っていた。自分は家族から嫌われたと知って家を飛び出したが、すぐにソウヤに助けを求めた。アオイはレンの世話までしてたった一人で戦っている。

「私、もう進路は決めているんです」

 アオイは鞄から大学のパンフレットを出した。それはアオイにとって切り札だった。

「君、本気かっ……!?」

 ソウヤは大学名を見た瞬間、驚いて声がひっくり返った。カズラは表紙の大学名を見ただけではピンと来なかった。パンフレットにはリヴォルタ理科大学と書いてあった。

「ここの奨学生制度を使います」

「リヴォルタ理科大ってミヅクシティのだっけ? すごいの?」

「すごいなんてもんじゃないぞっ! ハプサル州で最も入学するのが難しい理系の大学だ。しかもそこの奨学生になるなんてっ!」

「奨学生になれれば学費も免除で大学の寮にも無料で入れます。事情を話せば、レンも一緒に住めるようにしてくれるかもしれないので、私が高校を卒業して大学に入ったら、2人一緒にあの家から出て行きます」

 カズラはパンフレットに手を伸ばした。素粒子物理学科、生命科学科、機械工学科などの難しい単語がズラッと並んでいる。

「ここの奨学生になれば、衣食住にも困らない?」

「服は自分のお小遣いで買うしかないかな。でも学生向けのアルバイトもあるみたいだし、リヴォルタの敷地内だけで生活ができるようになってるんだってよ」

「めちゃくちゃいいじゃんかよ……!」

 カズラはアオイの両肩を掴んだ。

「アオイ、高校卒後するまで1人で頑張れるか?」

「えっ!?」

 アオイはドキッとして返答に困った。カズラの手は力強いが女子らしいしなやかさがあった。ぐっと掴まれても男ほどの堅固さはない。それよりも、アオイの目を真っ直ぐ見つめるカズラの眼差しがアオイを戸惑わせた。

「私も家族から嫌われようが何しようが耐えるから、大学は一緒にここに行こう。必ず2人で奨学金もらって入学するぞ」

「……わ、わかった」

 カズラの綺麗な黒い目に魅入られていたアオイはすっとその視線が逸らされると何やら寂しさを感じた。

「そうと決まれば即受験勉強だ! おじさん、家まで送ってよ!」

「お前は本当に単純なヤツだな」

 ソウヤは車を出してアオイとカズラをそれぞれの家まで送ってくれた。アオイは見なかったが、カズラはソウヤと一緒に両親と兄に謝罪をして、受験勉強に専念すると約束したそうだった。


*      *     *


 ソウヤはある夜、高級ホテルの上層階にあるバーに来ていた。そこからはミヅクシティの夜景が一望できる。普段は酒など飲まないソウヤも今夜はウィスキーを片手に人を待っていた。

 若い男がバーに入ってきた。年齢に見合わない高級ブランドのスーツを着て高級腕時計をはめている。若い男はスーツがはち切れんばかりのがっしりした体格の黒髪の男の後ろ姿を見つけて近づいてきた。

「あなたはいつどこで会っても目立ちますね」

「アンドリューっ!」

「お久しぶりです。ソウヤさん」

 若い男はアンドリュー・イーデルステインだった。この頃はまだリヴォルタ理科大の大学院生だ。

「話って何です?」

 アンドリューは長い名前のカクテルを注文した。酒に疎いソウヤには聞き取れない。バーテンダーはいくつかの酒を両手に持って華麗な手さばきでカクテルを作り始めた。ソウヤはアンドリューに促されて話し始めた。

「それがな、俺の親戚の子がリヴォルタ理科大に入りたいって言ってるんだ」

「リヴォルタ理科大に? どんな子なんです?」

「剣道一筋の女の子だ。友達と一緒に奨学生になるつもりなんだ」

「へえ、面白いですね」

「それで、なんだが……リヴォルタには裏口入学みたいな制度はあったりするのか?」

「いいえ、そんなものはありません。コネなんかを使わなければ入れないような学生はうちには必要ありませんから」

 それは一介の学生にしては高慢な口ぶりだった。だが、アンドリューだからこそ言える言葉でもあった。25年ほど前、平凡な研究員としてリヴォルタに入社したアンドリューの父、ヴィクター・イーデルステインは今やリヴォルタのグループ企業のCEOだ。アンドリューは父のコネなど使わず実力でリヴォルタ理科大学に入学し、修士課程に進学したばかりだというのに既に自身の研究チームを発足している。父の研究を引き継ぐ新しい研究に着手しているのだ。

「ははっ! そうだな」

 いつになく神妙な顔をしていたソウヤも思わず笑いが出る。

「おかしなこと言いますね、奨学生を目指しているのに裏口入学とは」

「ああ、俺がおかしかった! だが、奨学生はフェアに実力で選ばれるということがわかった! それで十分だっ!」

「奨学生になるには学力だけでは足りませんよ。小論文では大学院生並みの筆力を求められますし、将来的にリヴォルタに貢献できる見込みがあるかどうかを問われます」

「なるほどなっ! なら、それだけの勉強をさせるだけだっ!」

「ソウヤさん、その親戚の娘さんを応援してるんですね。誰だかわかりましたよ」

「ああ、あの子だっ! 俺の一番弟子のカズラだっ!」

「カズラちゃんのお友達も一緒に奨学生か。面白いことを考えますね、高校生は」

「だろっ!? 俺はあの子達に振り回されっぱなしだっ!」

「ふふ、でも楽しそうですね」

 ソウヤはぐいっとウイスキーを飲み干し、グラスが割れそうなほど強くカウンターに置いた。一気に酔いが回り、頭が熱っぽくなる。

「帰るっ! これで払っておいてくれっ!」

 ソウヤはふらつきながらみすぼらしい財布から札束を出してアンドリューに渡した。

「ソウヤさん、そんなにいらないですよ。まだ1杯目です。1枚で十分ですよ」

 アンドリューは札束から1枚抜き取ってバーテンダーに渡した。

「釣りは取っておけっ!」

 ソウヤは完全に酔っ払っていてただでさえ大きな声が十倍のデカさになってしまっている。

「お釣りどころか、こんだけあったら一晩遊べます」

「遊べばいいだろうっ!」

「でも、僕ももう帰りますよ」

「つまらんなあっ! たまには息抜きしろっ! そんなに研究ばかりしていると、頭にキノコが生えるぞ!」

「意味わからないこと言わないでください。ほら、行きますよ」

 アンドリューは釣りを受け取るとソウヤの財布に突っ込んで前を歩き始めた。

「カズラが幸せになれれば俺は何でもいいんだっ!」

「はいはい、そうですね」

「あの子は昔から男勝りで、剣道の才能があった! 俺はあの子を自分の息子みたく思って鍛えてきたが、そんなことはどうでもいいっ! 俺はあの子が幸せなら、剣道を辞めても、俺の元からいなくなっても、何でもいいんだっ!」

 アンドリューはホテルを出るとタクシーを拾った。ソウヤを無理矢理タクシーに乗せた。ソウヤはまだ何か言っていたが、タクシーは問答無用でドアを閉め、目的地へと出発した。

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