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書評#2「オリンピア ナチスの森で」

集英社文庫

ナチス政権下にあった1936年、ベルリンで開催されたオリンピックの記録。本書の単行本が発刊されたのは1998年。著者の沢木耕太郎は、レニ・リーフェンシュタールによるベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」「美の祭典」をよりどころにして、執筆当時は存命だったベルリン大会の参加選手たち(ほとんどが80才以上)へのインタビューを通して「60年も前の出来事を現代に甦らせる」ことを試みた。

本書を読んで、日本で有名な過去のオリンピックのエピソードが、ベルリン大会のできごとだったことを再認識した。たとえば、「前畑ガンバレ」というラジオの絶叫放送で国民を釘付けにした200メートル平泳ぎ金メダルの前畑秀子。棒高跳びで同着2位となり、銀と銅のメダルを半分に切って張り合わせ「友情のメダル」を作った西田修平と大江季雄。マラソンで日本に金と銅のメダルをもたらした朝鮮出身の孫基禎(ソンギジョン)と南昇龍(ナムスンヨン)。三段跳びで金と銀を獲得した京都大学陸上部出身の田島直人と原田正夫。

前畑に関して言えば、僕が小学生のころ、学校のプール開きで担任の先生が「このプールが完成した記念に、前畑選手が泳いだのよ」と、誇らしげに語っていたことを思い出した。

ベルリン大会が日本で熱を孕んでいたのは、次の1940年大会は東京で開催されることが決まっていたからだ。しかし、戦況が深まる中、日本は大会を返上し、代替都市としてヘルシンキで開催されることになったが、第二次世界大戦の勃発によって結果として大会そのものが中止となった。

ベルリン大会で活躍した選手も戦地に送られることになり、「友情のメダル」を獲得した棒高跳びの大江はルソン島で戦死した。オリンピックに平和を実現する力があるわけではなく、平和だからオリンピックが実現できるのだ。

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