読書メモ ソンプソン『ソーシャルワークとは何か』(日本語訳 2004年)
本記事で取り上げる本
ニール・ソンプソン,杉本敏夫訳. (2004). ソーシャルワークとは何か.
日本で出来ない理由とは?
英国で刊行されたソーシャルワークの教科書的書籍。訳者(杉本敏夫氏)あとがきが強烈です。
そこで、米国型ではなく英国型のソーシャルワークに関する本書が翻訳されたわけです。
ソーシャルワークは保守かつ革新であることができる
ソーシャルワークには、自らの価値観に基づいて専門的な判断を下すことが含まれますが、それは審判ではありません(15ページ)。既存の社会の中にあって誰か(何か)の社会的安定を目標とするのと同時に、既存の社会課題に挑戦し、社会改革を行うことができるという特徴があります(23ページ)。
幅広く捉えられる「住宅の質」
2000年前後の英国(および西欧諸国)では、貧困層に対する給付が多様な理由によって縮小され、同時に就労促進が行われていました。本書は、その背景にあった福祉国家原理の見直しに静かな抵抗の声を上げるものでもあったようで、福祉国家の原理に基づく所得保障(本書では「所得維持」)の必要性が示されます(45ページ)。所得保障・住宅・教育・保健・対人福祉サービスは「社会政策の主要5領域」とされており(44ページ)、住宅の重要性とソーシャルワークの深い関係については、住宅の質や屋内の人口密度が「家族内の争いや精神保健問題を悪化させる」(46ページ)、「隣近所の争いやその他のいやがらせは、しばしば転居の必要性を作り出す」(47ページ)という形で示されています。
誰かの何かの役に立とうとするなら、自信が必要
ソーシャルワーカーのスキルについては、専門家として専門知に関する学習と向上を続けることに加え、忍耐力・感受性・熟練・自信といった「人間力」的な側面もスキルとして習得できることが示されます(99ページ)。さらに、ソーシャルワーカーとして仕事を続けるための「生き残りのスキル」が、「セルフケア」「(他人に)影響を与える」の2つに大別されます。それらを身につけることの目的は、防衛的にならずに優れた実践を続けることです。必要性は、児童福祉の実践にあたって児童の安全と福祉よりも自己保身に焦点を当てることの有害性、および、その記録が後年も好ましくない事例として学習に供されていることによってアピールされます(122ページ)。スキルを身につける方法の一つが「自信を持つ。自分自身の力に自信を持つことが学習への優れた動機となる」であることは、日本生まれ日本育ちの私には非常に印象的です(123ページ)。
国に何かを求めることは、ソーシャルワークの必然
実践にあたっては、市民権に注目することが時に誰かを主流の社会生活から追い出すエリート主義に陥りがちであることが指摘されるのと同時に、インクルージョンと権利に注目して国家への要求・公正と平等への要求・権利の平等への要求を行うことで、エリート主義の罠に陥ることを避けられるとしています(147ページ)。
ソーシャルワーカーが燃え尽きてはいけない
では、どのようなソーシャルワーカーであれば、望ましいソーシャルワークを行えるのでしょうか? 仕事を抱え込まない・自分の力量を超える仕事を引き受けず、すなわち自分の仕事の全体を自分が管理出来る状態にしておくことが望まれます(163ページ)。
ソーシャルワークの優れた実践は、害になる落とし穴を回避・パートナーシップが基盤・システマティック・解放的・熟考的・スーパービジョン(上位者による指導)を伴う という特徴を持っています(181-183ページ)。
当時の英国において、そのような実践がどこでも日常的に行われていたわけではありません。だからこそ、理想とは言わないまでも「現在よりは少しマシ」を目指す教科書に意義があります。そういう教科書である本書には、政治的な正しさやバーンアウトに関する注意もあります。
結論:一度読んでみて。損はしないと思う
古めの本ですが、読んでみてよかったと思います。
日本においては、ソーシャルワークを始めとする対人援助的な仕事には、献身的であることが期待されがちです。しかしながら、献身的にならなくても親身になることはできるし、相手や相手のいる社会の役に立つことはできるのですよね。
日本のソーシャルワーカーたちの「なぜ、ああなるのか」を理解するためには、さまざまな角度から、彼ら彼女らの置かれている状態を理解することが役立ちます。日本がモデルにしてきた国々の、さまざまな時期のソーシャルワークの教科書は、そういう意識で読めば、間違いなく役に立つでしょう。
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