コロナ放電を歩行瞑想する私[日記]

2年ほど前、精神を重く落としてしまいましたがその事実に気づかず、
10年ほど前の体調不良をまた初めてしまったのかと勘違いをしました。
その時は認知行動療法を自分で調べ、実行しいつの間にか回復していたので、自分の行動を振り返るといくらかの行動をやめてしまっていたことに気づきました。
それで、日々のルーティンを出来る限りマニュアル化し、必要な栄養、運動量、睡眠を計算してその通りに行動するようにしていました。
しかし、このときに気づけなかったのは自分の真面目さでした。
私のライフワークとして新しい人と話すことが日々のストレス解消であったことを忘れていました。
コロナのクラスターを発生させないために自分の生活を制限するのは何の疑い用もない当然だと思ってたので、
振り返ると突然に社内の人間関係にこもり、老人たちの偏った人生観のみに隔絶された世界に留置されてしまったのは自分では予想をしていない負荷だったようです。

これを約1年半ほどかかって回復してきたのが、歩行瞑想と読書だったと思います。
それまでコロナといえば、コロナ放電もしくはビールのコロナくらいでしたし、私にとって身近だったのはビールのほうでしたが、最初にコロナと聞いたときに頭に浮かんだのはコロナ放電のほうでした。
そしてなぜ、当時の自分がコロナによって生活規範がかわり、精神を落としてしまったのかと気づけたのかといえば、
ここのところ少し頭を働かすことが出来るようになってきたからです。
あれおかしいぞと思った読者は勘がいいです。
そう、数ヶ月前の読書感想にもいくらか頭を働かせたり、自分の思ったことを書いているような節があります。
たしかにある程度は素直な感想だと思いますが、やはりある程度は発散させる技術があったので、読ませる文章ではないものの、文筆のなかではエクスプレッシブライティングは実行できるところがあるようです。
これについては、学生のときに文書をかく練習をいくらかしていたことが良い方向に働いたように感じます。

自分に課したルーティンの中に「認知行動療法のアップデートをし続ける」があり、これは20そこで考えた「精神を病んでしまったときの自動的な仕事マニュアル」に書いてあった未来の自分への贈り物がありました。
これによって、エクスプレッシブライティングも、歩行瞑想も読書も自動的に再開され、まとめて書くことは難しかったにせよ、習慣化の技術により最初は毎日仕事前に家から数歩分でて歩き、次に近くの自販機、コンビニ、と距離を伸ばすことで、今では1時間の散歩をするようになっています。
この時間が伸びたのは瞑想が取り入れられたからでした。

私のやっている歩行瞑想は、足の裏の感覚に全ての集中を注ぎ、靴裏の地面との離着感を感じ続けることでした。

なにかのお笑いで、「右足を出して、左足を出すと、歩ける」というのがありますが、あれを真剣に行ったのです。

この歩行することに集中することは、なかなか難しくいつの間にか気分が周りのものに外れていることもあります。しかし、外れたら自分を攻めずにまた歩行に戻す。
これを繰り返すのです。
やがて9ヶ月ほど過ぎたときには歩行瞑想は生活の一部になっていました。

そして、読書ですがこれは新しい本を読まず、経験に執着していると精神に肩こりを起こすからでした。精神が凝り始めると肉体への痛みが始まりますが、このきっかけというのはなかなか気づけないものです。なぜなら、肩こりと同様に少しの運動不足、この場合は新しい経験をしないことですが、ちょっとずつ硬直していくものだからです。
この打開には実際に新しい環境に行くことがいいのですが、私の場合はすでに時おそく、県外移動禁止や移動禁止、接触禁止のがんじがらめにより、家から出ること自体が困難になっていました。
電車移動が中心的な生活圏ですが、すべて自家用車に変更してしまったので、ベッド、トイレ、車、会社だけに生活空間が限定されました。
気がつくのが遅過ぎたのです。
そこで、身体を動かせないのであれば、精神だけでも旅をしようと漂流物や旅の日誌を読み漁り、まずは気持ちを旅立たせました。次に純文学により誰かと会話をしているような気持ちに心をストレッチさせました。

1年ほどたったあたりから、このノートがかけるようにはなりましたが、2つの記事を書いたあたりでアウトプットがまた困難となりました。
肩慣らし程度の分量をやろうとしていたのに、引用とか始めてしまい、読者を変に意識してしまったのです。
あのとき、仕事効率系の本を読んでいたせいだと思います。
効率化の罠ですね。

さて、散文も散文ですがこのあたりで一度筆を置きたいと思います。

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