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短編小説「情動の月」③最終話

第3話(最終話)

(第2話はこちら)


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君は、
自分を認識する
名前を持たない。

君は、
自分の感情を表現する
言葉を持たない。

君は、
家族もいなければ、
友達もいない。

きっと生きる意味も持たない。

しかし、
君が生きていたことを
僕は見たんだ。

その美しさを見たんだ。

君は
最後の狼。

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「金になるぞ」

父がそう言った。

父は猟師を生業にしている。

田畑を荒らす害獣になる
猪や鹿なんかを捕まえては、
どこかに売っていた。

猟と言っても、
猟銃をぶっぱなすだけじゃない。

落とし穴や、
仕掛けを踏んだら足をくくる
くくり罠などの罠猟が主だった。

あれから数日が経ち、

父がどうやって
君を捕まえようかと
思案していた頃、

筏(いかだ)で木材などを運ぶ
筏師が父を訪ねてきた。

犬が罠にかかっているようだが、
犬にしては大きい。

狼ではないか、
ということだった。

狼は今ではすっかり
見なくなり、

金になる
希少な獲物になっていた。

僕は脳の奥が冷たくなる
感じがした。

心臓は硬く、小さく縮んだように
締め付けた。

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くくり罠にかかった君は
出会った時と
変わらない凛々しさだった。

辺りはすっかり日が沈み、
月明かりに照らされ、

薄墨色の毛の先が青白く光り、
神々しくさえ感じられる。

成り行きに
身を任せているかのように、
君は前と変わらず
静かに佇んでいた。

僕は君に憧れを抱いていた。

それと同時に似た者同士の
連帯的な気持ちを持っていた。

君も僕もひとりぼっちだった。

父が筏師と何か相談をして、
合意したように
お互いがうなずいた後、

筏師は木材を太く短く切り出した
棍棒のようなものを振り上げた。

まるでいつも通りの
仕事を行うように。

鈍い音だけがした。

君は声すらあげず、

ただ冷たく鋭い眼の奥に
かすかな生きる灯火を見せた。

君の、

君たちの結末は
決められない。

生きる意味を
持たないはずだ。

結末は決まっている。

だからこそ、
成り行きに身をまかせるように
ただ生きてきたのかもしれない。

だが、

君の「情動」を僕は見た。

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銀色に近い青白く光る
毛の先は湯気が立ち上るように
逆立つ。

紳士的に噤んでいた口元は
やがて凶暴な牙をのぞかせた。

眉間に寄せられたシワと、
冷たく鋭い目玉を見開き、

阿修羅のごとく
君は変容を遂げた。

再び殴打しようとする筏師を前に、

しなやかで丈夫な体躯を
ねじり踊らせ、

君は懸命に生きていた。

それを目の当たりした瞬間、

脳はキンと冷たく思考を止め、

僕の心の「情動」が、
僕を筏師に飛びかからせた。

結末は決められない。

だけど、

君は美しい。

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琥珀の月に、
桜のように散る雪の影を映す夜。

君は出会った頃と同じように、
そこにただ佇んでいた。

いないはずの君がそこにいた。

やはり月明かりに青白く毛先を
光らせて。

君は、
名前を持たない。

君は、
言葉を持たない。

君は、
家族もいなければ、
友達もいない。

生きる意味も持たなかった。

あの日の情動の月が、
君の生きた証。

僕はそれを見たんだ。

君は最後の狼。

(終わり)

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生きるということ、

本当に大切なことは
何だろうか、

ということを
テーマに、

僕自身の人生観を
照らし合わせ、
創作で書いたものです。

狼(ニホンオオカミ)は100年以上前に、
奈良の吉野で捕獲されたのを最後に
絶滅されたとなっています。

その最後の狼は、
筏師に撲殺されて、
猟師が8文50銭でアメリカ人に売り、
大英博物館の標本になったそうです。

結末は決められない、
だけど生きていたことが美しい。

正直、
やりたいことをやる、
というのは怖い。

それでも
今やりたいことに
挑戦したい。

結末は決められない、
だけど今を生きるんだ、

書くということ。

それは僕の情動。

そのことを最後の狼、
情動の月に込めました。

(第1話はこちら)


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