全てを無にしたい

無になる、って出来るのかな。
人に評価されたいとか、よく見られたいが故の行動を考えるのを辞めたい。誰かと比べて自分の方が不幸だと底なし沼みたいにズブズブ不幸せな方を選ぶ考え方も。憧れてる人物になりきって生きようとする癖も。世界を殺意高めで睨みつける癖も。自分以外の全て敵だとかいう考え方も。家族間の難しい問題とか、死についてとか、全てを手放したい。

全てが無になった状態で、ありのままの、心が裸のままの感情で生きていたい。

この感情は他の人も持つのかな、と思ってた時ある一冊の本に出会った。
中村文則さんの「何もかも憂鬱な夜に」である。この本で登場する「真下」が書いた大学ノートにすごく印象的かつ同じ気持ちを抱えていたので引用させてもらう。

"全てを終えて、力なく、気持ちの中に何も残らない空白。その空白の場所に立った時、僕は本当の僕になるのかもしれない。自分の犯した罪とは無関係に、泥水の中に埋まりながら、遠くで遊ぶ小さい子供の笑顔を、頰に泥につけながら微笑んで眺める。その時、僕は生きている、と思えるだろうか。その時、僕は全てから解放され、本当の自分になっているだろうか。"

(「何もかも憂鬱な夜に」中村文則 / 集英社文庫 - P108,8行目〜12行目)

全てを放ったら本当の、ありのままの、自分が認められる、そんな自分になれてるんだろうか。

手放したその先の景色は何があるんだろう。
"ありのままの自分"に今日もなれなくて、見えない何かに縛られていた。明日こそは、どうか。

#日記 #コラム #エッセイ #本

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?