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noteの路地裏で愛を叫ぶ。(パート2)【#創作大賞感想】

はてさて、路地裏で愛を叫んだあの記事は、果たして本当に感想文と言えるのだろうか。

私は少し怪しい気持ちになった。
なんせ、少しエンタメよりにした。
(リスペクトも込めて)

そう思ってこの記事を書いていたら、案の定コニシさんからも前記事へコメントが来た。

盛大な前フリと壮大なオチ。まったく何の紹介にもなっていない素晴らしさ。ありがたく回収させていただきます🏃‍♂️

コニシ課長のコメントを引用。


なので改めてこちら↓のエッセイの感想を書いていく。

これは至って真面目な感想文である。
(ちゃんと感想文になっていることを願う)

紹介しているエッセイを読んで頂けば分かるとは思うが、このエッセイには流行を作るノウハウが詰まっている。

コニシさんの熱意がひしひしと伝わる。

見えない所での悩みや葛藤と2年以上戦いながら、めげずに立ち向かう根性がすごい。
私なら数ヶ月で諦めてしまいそうだ。

「#なんのはなしですか」
流行語としてポテンシャルの高い言葉があるにもかかわらず、なぜ流行らせることができないのか。
自身の不徳のなすところはどこなのか。

これをしっかり見つめ直して、時には周りの言動に学びながら、コニシ木の子という一人の人間がどのように変わっていったのか。
このエッセイでは、その軌跡を見ることができる。

そして、そこから周囲を巻き込み、壮大なエンターテインメントを繰り広げていく。

これがすごい。めちゃくちゃすごい。
巻き込む人数が尋常じゃない。
しかも、強制的に巻き込むのではなく、自由参加で、周りが好き好んで自ら巻き込まれに来るのだ。

つまり、人はこの現象を『流行』と呼ぶのだと思った。
これがムーブメントの創り方かと思った。

賄賂を渡して「タグ使ってください」「面白いって書いてください」とサクラを増やしているわけではない。

まるでコニシ木の子という大木が、どーん!と立っていて、その安心感や愛を受けた桜がポツポツと咲いていき、やがて満開の桜の木になった。そんな感じだ。

だから、その木の周りはまるで宴会のように賑やかで温かく笑顔に溢れている。
このエッセイはそんな空間の作り方までも、ついでに教えてくれていると思う。

それにこのエッセイはコニシさん一人ではなく、『#なんのはなしですか』というタグに関わった人全員によって生まれたエッセイであるというところがヤバい。(語彙力なさすぎる)

今までにそんなエッセイあっただろうか?

noteの街の住民達が関わって1つの文化を創り上げたというエッセイが創作大賞に応募されたことはあったのだろうか。

これが初めてなのではと思う。

その中の一人に微力ながら自分もいる。
こんな嬉しいエッセイはあるだろうか?

タグを使った皆で何かを成し遂げているような感覚になる。
運動会の同じ組でチーム一丸になって『創作大賞を獲る!』と頑張っている。そんな気持ちだ。

団長、いや『なんのはなしです課』課長と一緒に目指している。
そんな思いを持った同じ仲間が沢山いる。

こんなにワクワクするエッセイ、他にあるだろうか。

このエッセイが創作大賞に選ばれた時、何人のnoterが感激するだろうか。
何人ではない、何十人だ。

それだけ多くの人が関わるエッセイだ。
このエッセイが持つエネルギーは膨大に決まっている。

こんなに素敵なエッセイを書き上げたコニシさんを、沢山の人の想いが詰まったこの最高に素敵なエッセイを、私は全力で応援したい。

この想い、届け!!!
noteの表舞台まで!!!


#なんのはなしですか

もしよければサポートして欲しいです(∩´∀`∩)💕 みんなのためにできることを、これからも頑張ります( -`ω-)👍🏻