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〇〇と僕『む』~ムーミンと僕~

皆さんご存知ムーミン。
フィンランドの作家トーベ・ヤンソンが書いた、今も世界中で愛されている小説である。
ちなみに、ムーミンとは主人公の名前ではなく、作中に登場する架空の生物の種族名であり、主人公の名は『ムーミントロール』である。


僕がムーミンシリーズを初めて読んだのは中学生。
中学生はまだ物心つく前だったので、その時に自分がどんな感想を抱いたかは覚えていない。
そこから20年の月日が流れた。
平成から令和になり、ガラ携がスマホになり、ガリガリ少年は中肉中背中年になった。
そんなある日、いつものようにブックオフをウロウロしていると、パッと目に入ってきたのは『楽しいムーミン一家』。
わお、懐かし。
20年ぶりに読んでみましょってことで読んでみた。
子ども向けの絵本みたいな小説といった印象だったが、なんとまあ、あまりに面白くて、あっという間に読み終えてしまった。
子どもでも読みやすいが、大人もしっかり楽しめる内容。
むしろこの歳にもう一度出会えてよかったと思った。

ムーミンシリーズは、1945年から1970年に書かれた作品だが、じっくり読む込むと、なんだか現代社会にも通じる教訓や警鐘のようなものを感じた。
そう、ムーミンは哲学であると言っても過言ではないのである!!

ってな訳で、本日は特に心に刺さった1文を紹介させてもらう。
『春のしらべ』というお話の中の、スナフキンの言葉だ。
半世紀以上前の作品であるから今更ネタバレもくそもないが、「なんか分かんないけどムカついた的な」みたいな理由で人を刺す阿呆もいる世の中であるから、念の為に言っておこう。

ここからは先はネタバレを含む。

いつものように、ひとりキャンプをするスナフキン。
そこに現れたはい虫。
話しているうちに、はい虫に名前がないことを知ったスナフキンは『ティーティ=ウー』と名付ける。
そのお話の中でのスナフキンの言葉にビビっときてしまった。
正確に言えば、はい虫に今までの旅について聞かれたスナフキンが頭の中で考えたことなので、実際に口には出していない。
その言葉をそっくりそのまま引用する。

『なぜみんなは、ぼくをひとりでぶらつかせといてくれないんだ。もしぼくが、そんな旅のことを人に話したら、ぼくはきれぎれにそれをはきだしてしまって、みんなどこかへいってしまう。そして、いよいよ旅がほんとうにどうだったかを思いだそうとするときには、ただ自分のした話のことを思いだすだけじゃないか。そういうことを、どうしてみんなは、わかってくれないんだ。』

まさにスナフキンっぽい発言。
しかし、僕にはこれが、SNSが蔓延る現代社会の悪い側面に対する警鐘のように感じられた。
スマートフォンもSNSも存在しなかった1948年に書かれた文章であるが、技術の発達によって大切なものが失われつつある現状を浮き彫りにしていると思う。
旅行に行く。写真を撮る。SNSに投稿する。『いいね』をもらう。
それを繰り返しているうちに、いつしか旅行や遊びの目的が『いいね』をもらうことになってしまっている人が多いのではないか。
そうなってしまっては、スナフキンの言うように、見たもの、経験したこと、感じたことは、『みんなどこかへいってしまう』。
そもそも、先の『いいね』にしか関心がない状況では、結局なにも見えていなだろうし、なにも感じられていないのではないだろうか。

なんつって。

すっかりムーミンの世界にハマった僕。
ムーミンシリーズの他の作品も買い漁り、順番に読んでいる。
意図した訳ではないのかもしれないが教訓ともとれるような文章が至るところに隠されていて、本当に読み応えのある作品だ。
映像化前提の設定や大どんでん返しありきの通俗小説に飽き飽きしている方は是非。


『The Sugarcubes / Birthday』を聞きながら
FJALLRAVEN by 3NITY TOKYO  池守


『〇〇と僕』←過去の記事はこちらからお読みいただけます!是非!


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