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【創作大賞2024応募作品】普通ってなんですか?
「普通ってなんですか?」
これは私にとって今でも難しい質問だ。
一体、「普通ってなんですか?」と聞かれた時、
私の周りの人はなんて答えるのだろう。
就労継続支援B型に通い始めた頃と、それから2ヶ月が経った時に書いたnoteがあった。
2つとも「普通」について考えている記事だ。
この2ヶ月の間に、考えたこと。
そして過去にあったこと。
まとめてみて、考えた。
普通とは?記事を書いて考えた(4/8)
2024年、4月8日。
ちょうど就労支援に通い始めた頃、私が書いたnote。
現在私は4月から就労継続支援B型に通っている。就労支援に行く時も普通に見せないと、と思い始めている。
話せなくなった時、声が出なくなった時、何とかして声を出して話せるようにしなければ。普通じゃない。そう思ってしまう。現在の主治医だってコミュニケーションに難があるって言っていて、それをわかってくれるところで仕事しようって言ってくれている。なのにどうして普通になろうとしているのかな。
そもそも普通って何だろう。
その人によって普通って違うよね。
みんなと同じじゃないから普通じゃないって言ってるのかな、私。
普通ってその人が引いた境界線だから、わからないよな。
声が出ない自分。自閉症スペクトラムが自分。ADHDがある自分。不安障害がある自分。
これが私にとって私なんだから。
そしたら通常ってことで私にとっての普通なのかな。
人と比べなきゃ、何にも問題ないんだろうな。
不特定多数に好かれる必要はないし、八方美人である必要もない。
他人は他人。自分は自分。私は私。
「普通ってなんですか?」と主治医に聞かれた日
「普通ってなんですか」と主治医から言われたのは、学生時代。
現在の主治医ではなく、高校から約7年お世話になった児童精神科の先生だった。
当時の私は「普通」になりたかった。自分が発達障害の診断がつく前、ずっと周囲と自分の差に困っていた。
「私って何か変だ。」
「普通になりたい。」
これが当時の口ぐせになっていた。
ある日の診察で、いつも通りに「普通に~」って言って話を始めた。
するといつも優しい先生が、
「普通ってなんですか?」
半分怒ったような、真剣なまなざしで私に言った。
その瞬間、ハッと感じるものがあった。
確かに何なんだろう。
障害があるとか、特性があるからとか、心療内科に通っているからって変なのか?
というか、変って誰が決めたことなのか。
「私だ」
変だとか、変わっているとか、普通じゃないとか。
それって周りと自分を比べなかったらそんな風には思わないことだ。
いつも優しい先生が真剣に私にぶつかってくれたおかげで気が付くことが出来た。
それから街を歩きながら、人と話しながら、自分の中で「普通」について考える機会が増えた。
多数派が普通なのか
私の中で「普通」でいなければならないと考えるようになったのは、保育園の年長さんの頃だった。
年長さんの頃から、多数決で決めることが増えた。私は当時から少数派の意見を持つことが多かった。
ただ集団で生活して何かを決めるうえでは少数派の意見は大体聞かれない。別にわがままで押し通す気もないが、一応最後まで自分の意見は貫く。
これが当時の私のスタイルだった。
保育園を卒園する際に作られる、冊子があった。
冊子の題名を
「候補A」か「候補B」か決める多数決を取った。
最初「候補A」の方が多少人数が多かった。私は「候補B」を選んだ。そのうちに同じ「候補B」を選んだクラスの子たちが意見を変えて人数の多い方へ流れていった。
最後に私だけがBに残っていた。
先生に説得された。
折れるしかないと空気を感じ取った私は、Aに移動した。
これで多数決一件落着。
この例で行くと「候補A」を選んでいる人が多数派で「普通」になるのかな。
また普通かどうかを考え出していた。
だが、集団生活のなかでは少しでも意見をはみ出すと周囲からよくわからない圧がかかる。そんな気がしていた。
そのうちに自分の意見よりも、周りから浮かないほうがいいという気持ちの方が強くなった。
眼鏡があるから障害者にならない
学生時代。
当時、一部の生徒が
ことあるごとに発していた言葉。
「がいじ」。
これは障害児を略した言葉のようだ。
何かあるたびに「がいじ」と言っていた。
それを近くで見ていた先生が、
「日本にいて眼鏡があるから障害にならない。
だけど、アフリカの方とか眼鏡がない地域に住んでいたら
目が悪い人だって障害者になるんだ」
と言った。
その生徒は目が悪かった。そして眼鏡をかけたり、コンタクトをしていたりした。
つまり、あなたが眼鏡という対処法がない地域に産まれていたら、あなたも同じことになる。
だから「がいじ」と冗談でも言うのはやめろ。
そういうことだった。
日本という恵まれた地域に暮らしているから、
障害にならない。
恵まれすぎているから、普通になろうとするのかな。
もし発展途上の国にいたら、私はどうなるのか。
そもそも障害という概念すらないのかな。
それはそれで大変なのか。
概念そのものがないから、障害だと気が付かず「普通」すら考えないのか。
よくわからないけれど、
当時の先生の例えが
そばで話を聞いていただけの私に、
「障害とは?」と考えるキッカケをくれた。
太っているとか痩せているとか
私は身長が161センチある。
現在は「スタイルがいいね~!羨ましい!」
と言われることがある。
そんな私は現在より体重が20キロくらい多かった。結構ぽっちゃりだった。
体重が増えていたには理由があった。
精神疾患の薬を服用していたことだ。
副作用でどんどん太っていった。
周囲は私が薬を飲んでいるなんて知らない。知っていたとしても副作用で体重が増えたとは全く思っていなかった。
太った私に心無い言葉をかける人は沢山いた。
太っている。
よく食べるでしょ?。
4番だ。
ラスボス。
でっかい方。
また太った?
…。
言われた方は食べても食べなくても太る。自分の意思とは関係なしにブクブクと。
そして、言われたことにストレスを感じ、どんどん不安になって、余計にストレス喰いをした。
その数年後。
薬を全く違うものに変えた。その瞬間に痩せた。
そしてストレスへの対処法も身につけたから余計に痩せた。
痩せてから思うこと。
何で痩せることにこだわるの?
太っているとか、体格がいいとか、ぽっちゃりしるとか、ダメなのかな。
海外とかだったら、テレビ見ていても
ふくよかな人が沢山映っている。
これって日本人にとっての「普通」が痩せているから?「多数派」が痩せているから?
何なんだろう。
病院の先生とかに「BMIが高くなってるから体重減らしてね?」って言われるならまだしも、どうして一般の医療に関係ない人にまで、笑われないといけないのか。
精神を病んで、病院に行って、副作用で太ったら追い討ちかけられて。
なかなか大変だった。
何度か摂食障害の入り口を見た気がする。
人の体型も「普通」じゃないと、周りから色々言われる世界なのかと感じた。
普通である必要はない
結局「普通って何ですか?」の答えを何年考えても分からないし、書き出したって分からなかった。
考えても分からないから、考えることはやめる。
ただ自分の中で答えは見つかった。
「普通」である必要はない。
集団生活で過ごさないといけなかった学生時代には「普通」は必要だったかもしれない。
ただ私はもう大人。
自分でお金を稼げる年齢になった。
人に迷惑をかけ、人を傷つける。そんなことさえしなかったら、「普通」である必要はない。
自分を認められるようになった(5/30)
2024年5月30日。就労支援に通い始めて2ヶ月が経った時の私が書いた記事。
私は人よりスタートダッシュが遅い。ノロノロしているとか、鈍感とかネガティブな表現だって出来る。
スタートダッシュが遅いことや、他の人と違うこと。だけど、これって悪いことなのか。以前にも書いたけど、「普通って何?」。みんなと同じでないといけない世界なのか。
みんなと同じでないといけないのって、学生時代までで終わっているはずだ。もちろん、他人に迷惑かけたり、傷つけることはダメだけど。学生までは協調性を大事にしないといけなかった。個性を出して、好きなようにやったら怒られた。
人とは違う特性が沢山ある私は、よく怒られていた。だけどそれって、協調性やまとまりを大事にする社会にとっては害があると思われたから。今になったらそんな気がする。
大人になって、デザインの道に進み始めた。それから2ヶ月が経とうとしている。
デザインの世界では、むしろこの特性が役に立っている。それに特性が褒められることだって沢山ある。
何とかなる。学校に行けないとか、集団行動で浮くとか何ともないよ。その時だけの辛抱だ。昔、困って悩んで泣いていた私に、言ってあげたい。
中学生時代に1年間で100日越えの欠席日数だった私も26歳で再スタート。
私にも何とかなる時代がくるんだな。何とかなってる!って思える。そしたらね、今までのことも笑って話せるようになってる。
あんなに嫌いだった自分を、少しずつ受け入れられるようになった。
今まで綺麗に書こうとしていた私の本音。
地下鉄に乗りながら、朝の通勤時に書いた。
そのままの私の言葉。
就労継続支援B型に通い始めて2ヶ月でこんなにも考え方が明るくなった。
これからは「普通」にこだわらず、ありのままの自分で生きていけたらいい。
その方がきっと、自分が楽しいし、自分のことを好きになれる気がする。
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