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抱きしめる

親の老いというものを、まだ薄っすらではあるけれど日々確実に感じている。

いつか母の介護するようになったら手を引いて病院へ連れて行ったりするのかなと、ある時ふと思った。

ボディスキンシップが盛んな家庭ではなかったので、母と手を繋ぐとしたら子どもの頃以来だ。

ハグをする習慣なんてものは勿論なく、子どもの頃に抱きしめられた記憶もないような。記憶がないくらい幼い頃に、母に抱かれた写真は何枚か残っている。

けれど、大人になってから母と抱き合ったことが一度だけある。以前飼っていた愛犬を亡くした夜に抱き合って泣いた。それが最初で最後。鮮明な記憶。

母は、昨年ひどく体調を崩してずっと具合が悪かった。心身ともにつらそうで、ひたすら寝込む毎日。病院に定期的に通って処方された薬を飲んでも思うようには回復しなかった。

そして、運悪くほぼ同時期に私自身も自律神経失調症になってしまい、自分のことで精一杯。母のことは気にかけていたつもりだけど、十分にサポートすることは難しかった。むしろ、母が元気なら私を支えてもらえたのにと思ったことすらあった。なんてひどい考えだったんだろうと反省する。

ある日、自室から玄関へと力なく歩く母を見て、手を繋ぐとしたら、抱きしめるなら、今なんじゃないかと思った。べつに、年老いておばあちゃんになるまで待つ理由はないなと思った。

思い切って「お母さん、ちょっとハグしよう」と言ってみた。母はちょっと驚いていたけど「そうだね」と言ったので、抱きしめた。不思議な感覚だった。そして、あたたかかった。

甥っ子を抱っこする感覚とも、彼氏とハグする感じとも違う。子どもの頃の記憶と、大人になった自分の答え合わせをするような、なんともいえない心地よさがあった。母も照れたように笑っていた。

何もできない不甲斐なさをハグで埋めようなんて、そんな不埒な気持ちはないけれど、してみるもんだなと思った。

母とハグをするなんて、想像したときにはすごく照れくさいし恥ずかしい気がしたけれど、してみてよかったと思うし、これから恥ずかしく感じなくなるくらい習慣にしてもいいなと思っている。

母は少しずつだけれど、以前よりだいぶ元気になってきた。そして、私も。依存していないつもりでも、生活を共にしていると影響し合ってしまうところはある。母が元気だと私は嬉しい。私が元気だときっと母も嬉しい。

親子の立場のバトンがそろそろ入れ替わる頃なのかもしれない。遅いくらいかな?しっかりしているつもりで、もしかしてだいぶぼんやりしてた?

私には子どもがいないし、たぶんこれから先も子どもを持たずに人生を進んでいくと思う。そうなると、バトンタッチの瞬間はこれが最後になるのかな。

母とのささやかな日常を、私なりに大事にしたい。いつだって、良いときも悪いときも、どんな時間にも限りがあることを知っているから。

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