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初めまして。

note始めていきます♪ まずは自己紹介から(*^_^*)

名古屋市在住の倉喜恵と申します。

色々なことをしていて、そこに至るまでの私を綴っていこうと思います。https://linktr.ee/kurayoshie

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《経 歴》

北海道小樽市生まれ。

運河とお寿司とルタオで有名な土地です。

高校卒業後、臨床心理士を夢見て函館にある教育大の教育心理学部へ。

そこで初の一人暮らしもして自由に満喫しました。

あ、しっかり学び(笑)、教員免許も小・中・養護学校、幼稚園と4つ取得しました。

後に教員として教育実習に臨み勤務するのですが、やがて教員を断念します。


1.教員をあきらめた

教員として授業をしていると、子供たちの真剣度、理解度、集中力などは一目瞭然。一方、授業について来れない子もすぐにわかります。

小学校は義務教育なので、一斉にカリキュラムに沿って進めていきます。けれど、全員の理解力や進度を合わせることは難しいこと。しかし、次に進まなければならない現実。

私は、この教育体系の中で、理解できない子を置いて次に進むことが一番心苦しかったのです。

もちろん、放課後や休み時間をつかい、教え方を工夫したりもしましたが、一人一人の対応に時間は足りなくなるばかり。

そもそも私は、勉強よりも学ぶべきことがもっとあると思っている人間だったのでなおさらでした。

遊ぶことも勉強。友達と喧嘩するのも勉強。子供たちが社会の中で学びとるべきことをその時期にしっかり教えてあげたいと考えていました。


また、そんな想いを抱えながら配属された小学校は、「まさに学校崩壊」という学校でした。

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教師が小学生に馬鹿にされ、蹴られ叩かれ、親にもけなされ、学級ではいじめがあり、教師が鬱で毎年いなくなるという学校を経験しました。靴の中に画びょうが入っていることなんて日常茶飯事です。20年も前のことですが。

そこで確信します!

子供の人間形成を根本から大切に育てていかなければ!

小学校でそれを教えるにはあまりにも遅すぎる。教育現場をひっくり返す力はないけれど、私はそこに力を注ぎたいという想いを強く抱くようになりやがて退職しました。


2.脳性麻痺の子が1年で歩けるように

教育現場から離れて1年後、また教員として働かないかとお声がけいただきました。

お話は、障害児を初めて受け入れることになった保育園の園長さんから。

誰も障害のことを知らないし、指導したこともない。障害児のマンツーマン指導者として入って欲しいとのことでした。

そこから、脳性麻痺で歩けない4歳のその子と1年半一緒に過ごしました。

歩くことができないその子は、正座の姿勢で腕の力だけでぴょんぴょん跳ねる移動方法。喃語のみで、怒りを表現するために噛み付くため、私の首はいつも小さな歯型のアザがたくさんありました。


でも、私はその子が大好きでした。笑顔が多い子で、それだけで十分!と思っていました。


保育園入園当初の知能検査で1歳半と診断され、また理学療法士から一生歩けませんと言われていたその子は、卒園時には、お友達と遊べるようになり、靴の装具で自力歩行も可能になり、排せつも一人でこなすようになりました。

私の教育に対する概念が大きく変わった時間にもなりました。


よりその子の理解力に合った方法を模索し、歩幅を合わせて一緒に成長していった1年半。決して特別なことをしたわけではありません。

遠すぎず近すぎず、その子にとってほんの適度な援助をすることが成長の一歩になることを実感し、そこに情熱を見出しました。

それから今度は特別支援学級の教員というカタチを変えて、小中学校10年ほ勤務しました。

その時出会った先生、子供たちやその保護者の皆さんには今でも感謝しています。


3.文通友達✉と結婚。そして名古屋へ

今はもう珍しいですが(笑)、長く文通友達でいた今の主人と結婚し、教員という肩書を捨て、北海道から名古屋にお嫁入りしました。


小さいころ母に、あなたは私と一緒で頑固だから、結婚するなら「バカな人」か「とことん優しい人」にしなさい。という謎の教えをもらっていたのですが(笑)

主人をご存知の方もいるかもしれないので綴っておくと、決してバカな人ではなく。むしろ私は、「この人と結婚したら一生笑っていける」という理由で結婚を決めたほど、賢く面白い人です。

「たとえ体が不自由になってお金も家も仕事もなくなっても、結婚を後悔することはない」とも思ったのが決めた理由でした。

でも、「とことん優しい人」でもないかも(笑)

しいて言うなら、子供のように野心にあふれ真面目に楽しく生きている人でしょうか、、、

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結婚し、主人の経営する接骨院のお手伝いを始まります。

今でこそ従業員がたくさんいてくれるのですが、当時は施術者が主人だけの一人治療院。全国どこでも一緒に学びにセミナー参加したり、有名な先生にお会いしに行きました。

学び続け、実践し、常に進化していく主人の思考に、ある意味必死に、そしてよき理解者であり続けたい思う中で、私も整体的知識を増やしていきました。

そして、結婚1年後に妊娠。26時間唸りながら(笑)出産した長女の子育てがスタートします。


4.こんなはずじゃ・・・の連続だった子育て

そもそも私は教員を長くしていました。

どこかで自信があったのかもしれません。

そのうぬぼれをひっくり返される我が子の子育てでした。

どうして泣くのか、抱っこしても泣き止まない。話せないから何を考えているかわからない!眠れなくて体も動かなくなってきて、カワイイけれど、イライラする・・・の毎日。

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こんなはずじゃなかった・・・

私はいいお母さんにはなれない・・・

と思えて、余計悔しくて苦しくて。自己否定されている気分にもなりました。

子供を投げ飛ばしたくなることなんて山ほどありましたし、「虐待」という文字が頭をよぎることも山ほどありました。


ギリギリの理性があったからこそ問題にならなかっただけで、きっとそれは紙一重。一歩間違えればどうにかしてしまっている。

ということを強く感じていました。子供はとっても可愛くて仕方ないのですが、そのギャップを埋めきれずに過ごしました。


でも、それは、今だからわかります。

子育て中にそう感じるお母さんがたくさんいるということ。

それは決して自分だけのせいでもなんでもないということ。

そして、子供の事や子育ての事を何も知らない母親が子供と一人で向き合うことは本当に大変だということ。


生きていく要領がわからない者同士で24時間接していかなければなりません。そして時に、人としての生き方を邪魔されているようにも感じるほど赤ちゃんのペースに振り回される毎日になります。


食事、睡眠、休息、家事、趣味、そして思考さえも邪魔され、振り回されます。

そりゃ、自律神経もおかしくなりますよねー。

そうなって普通だと思います。世の中からおいて行かれているとさえ、私は感じていました。

それでも、子供が大きくなるまでなんとか頑張った子育て期。

今では、この時代があったからこそ、私は世の中の同じように苦しんだママさんに向けて発信していきたいのだと感じています。

昔の私のように苦しんでいるお母さんに、「大丈夫だよ」と力強く言ってあげたいから。

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5.個性學に出会う

二人目を出産し半年たった頃、ある方に出会います。

そこで、私の人生が大きく変わります。初めて出会った日に号泣したことを今でも鮮明に覚えています。外に出ると、夕方でしたが空がとっても明るく見えました。

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それ以降その方には、多方面で助けていただき、お会いした際にいただく「温かく大きな懐で包み込む言葉」で、私自身どんどん強くなっていくことを実感できるようになりました。

本当にエネルギーを与えてくれる方で、私の人生が間違いなく前向きになったきっかけになった方です。そして今でも変わらずメンターです。


後に、その思考こそが個性學の教えから来ているということを教えていただきました。

私自身、知らず知らずのうちに、その個性學の思考を繰り返し学び、心に刻み、助けてもらってきたことを教えてもらいました。


2018年1月。個性學の新しい資格が生まれ、私は個性學シニアアドバイザーの第一期生として活動を始めました。


個性學は、俗にいわれる占いではなく、その人の強みや弱みを人生の可能性として広げられる新しい人間学です。AI社会に移り変わるこれからの次世代には欠かせない生き方を提案してくれます。

動物占いと一緒にされることもよくありますが、、、それはそれで否定されることも否定することもないと思っています。

ただ、占いとの違いを私は実感していますし、それで救われた人をたくさん知っています。

ただそれだけです。

私は個性學で人生を変えてもらいました。それをそのまま誰かのために伝えていきたいと思っています。


6.二人目不妊で悩む日々からの脱出

一人目はよいタイミングで授かり、そのまますぐに二人目を望みました。

でもなかなかできない・・・

本やネットで調べ始め、色々な人から情報を聞きまくり実践。それでも毎月くる生理にガッカリ。行き詰っていた時、色々な人にアドバイスをもらった末、勇気を出して病院で検査することに。


その結果は、基礎体温がバラバラで排卵されているか不明。さらに主人も極端に精子が少なかったのです。

原因はそれぞれありそう。たまたまそうだったのかもしれないし、妊娠できないとは言い切れない、、、

とても微妙な結果になったことで、どうしたらよいかわからない状態になりました。それなのに、産婦人科の先生に言われた一言に傷つきます。

『一人もできない人がいるのに、二人目望むのは贅沢』


それをきっかけにその後、病院の通院をやめ、これまで主人と深めてきた整体的知識を踏まえながら、独自の思考で二人目そして三人目まで授かることになりました。

それはまた後日別の機会にーー


二人目不妊から私は、これまで感じたことがない落ち込みと寂しさとどうしようもない苦しさを体験することができました。

そこからの思考とメンタルが、私が女性として強くなった理由のひとつかもしれません。



さらに、それまで培った整体的知識をもって妊娠&出産をより楽に楽しく体にとってよいことを全部試してみよう!とチャレンジしました。


✲マタニティ期の過ごし方

✲事前準備でラクに楽しく出産できる方法

✲語りかけで出産日をコントロール

etc.

私は3人の子供たち全員、出産前日まで働くことができていたし、出産日はすべて指定の日でした(笑)、、、(*^^*)v

面白いことがたくさん起こった3回の妊娠。その間にあった不妊時期を経験し、身体と心が繋がっていることも実感できる時間となりました。


7.3つのビジネスと3人の子供たち

今の私は3つに囲まれています。まずは3つのビジネス。

①幹整体院

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2020年で開業15年目に入りました。

東海地区最大級の託児ルームのスタートは13年前から。マット1枚のスペースで私が赤ちゃんを預かるところから始まりました。

今でも産後のママさんが多くお越しいただいています。ありがとうございます♪

お話してきたように、これまでの知識と技術とノウハウすべてが詰め込まれた院で、スタッフもそれぞれ夢をもって働いてくれています。


②ジュネルの取扱い代理店と資格発行スクール【ジュネリスト学院愛知ファースト校の代表】

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付け外しがいつでもどこでも簡単で、不格好な私の爪を一瞬に美しくしてくれる付け爪【ジュネル】

年甲斐もなくウキウキしちゃったことと女性の私だからこそできる仕事だ!と思ったことがスタートさせるきっかけになりました。愛知県唯一の資格発行、ジュネリスト研修が行える学院です。

ジュネル株式会社は女性自立支援を掲げている会社です。

目の前のお客さま、同じ資格をもつ仲間たち。たくさんのご縁をいただいていることが一番の宝物です。

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http://jewnel-first.com/


そして、

③個性學シニアアドバイザー活動

セミナー、お茶会や個人セッションなど、オンラインでも開催中。

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子育て中の親御さん向けに。ビジネスでお客様との円滑な人間関係や接客方法。また企業の人事配置やこれからの戦略的構想などもアドバイスさせていただいております。

本当に多方面に活用できるツールです。

目標を見失い、自信がなくなり、寂しさが心の多くを占めてくることになるだろう時代。だから、もっと自分を知り、自分の良さを知り、周りの人との共存できる環境を整え、思いっきり飛び跳ねていけるパワーをつける学びの時間になれたら嬉しいです。

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https://form.run/@info-84



こうして、整体業×ジュネル×個性學という異色の組み合わせをコラボさせ、心と体と美の3点を軸に女性をプロデュースしています。


最後に、普通にいそうな三姉妹のママとしての毎日も送りながら過ごしていますよ♪

三姉妹は、個性が「人」「城」「大物」に個性學の基本となる三分類が揃った子供たちで毎日にぎやかです。

それぞれの3つを大切に、前向きにチャレンジして可能性を切り開いていくことが、私の使命です。


長―い自己紹介を最後までお読みいただきありがとうございました。

noteでもどうぞよろしくお願いいたします!

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