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機械式時計を買った話

「つまり、私は審美性に興味があるのですが、この小さなスペースに全ての技術を詰め込むことができるというのは、彼らにとって魅力的な偉業でもあるのです。彼らはあらゆる複雑な問題を解決して、ほんの一部の人しか気に留めないようなことをやっているのです」
https://www.hodinkee.jp/articles/a-complete-newbie-meets-her-first-watch-collector より引用

 11月30日。久々に大きな買いものをした。 Longines Conquest Classicのオートマティックモデル。初めて手に入れた機械式時計だ。スマホの画像フォルダを見返したら、去年の冬くらいからいろいろなブランドの自動巻き時計の画像を保存していた。ちょうど一年ほど探しつづけていたことになる。何かの漫画かイラストで、女の子がおおきな腕時計を無造作に着けていたのがとてもかっこいいと思ったのが、たしかきっかけだった。
 時計がほしい、と思ってから、服飾全般に興味が湧きはじめた。
 せっかくなら時計に限らず、長く着用できる気に入ったものを手に入れたい。そのためには自分の好みをとことん突き詰める必要がある。まずは数をこなし、自分の「好き」がどこにあるのかを探りあてようと考えた。WEARというアプリをスマホにいれ、膨大な数のコーディネートから好みだと思う画像を男女問わずかたっぱしからフォルダに入れた。一覧を眺めながら、どこがいいと感じたのかを振り返る。シルエットなのか、質感なのか、色なのか、バランスなのか。Twitterで服の情報をあつめるためだけのROM専アカウントをつくり、好みだと感じるセンスのユーザーを全員フォローした。あとはブランドの知識がなかったので雑誌「GISELe」の定期購読も始めた。数少ないながら所持していたモード論に関する書籍も、何冊か読み返した。
 数ヶ月経つと、固有名詞や各ブランドのアイコンとなっているアイテムの知識がついてきた。実際に服を購入する機会もぐんと増えた。服に躊躇なくお金をつかうことに慣れていくと同時に、失敗も増えた。買ったけれどあまり使わなかったもの。単体では格好よくみえたけれど、合わせにくいもの。買ってみないとわからないことばかりだった。
 今はようやくすこしずつ、自分の好みのかたちがわかってきた気がする。おびただしい量のアイテムを浴びるように見ていると、好みではないものの集積が「地」となり、好みという「図」が浮きだしてくる。好きな服だけもっていたくて、クローゼットの中身もかなり整理した。「自分の好きな服を知りたい」と思い立ってから一年が経ち、なんとなくの傾向も定まってきたとき、ふたたび時計熱が再燃した。

 時計の美しさは、小説に似ているかもしれない。無意味さ。それゆえの贅沢さ。代替物が無数にある今の世で、時計を身につける必然性はない。その、「意味のなさ」それ自体を身につけたいと思う。そんなふうに感じる。手首の上でひそやかに鼓動する、つめたい金属塊。有用性、効率的、最短距離、という概念が苦手なこともあって、その対極に位置する機械式時計にいよいよ惹かれていった。
 冒頭で引用した記事は、たまたまネットで見つけたものだ。時計のもつ箱庭性も魅力的だ。盆栽、インテリア、爬虫類、時計、そして小説。私が夢中になるものはすべて、閉じた小さな世界にかかわっている。
 気に入った時計をみつけたい、と思った。長くともに過ごせる一本がほしい。もともとほしいものは我慢できない質だ。どうせいつか買うのなら早く手に入れたい、その物が手元にある人生を一瞬でも長く味わいたい、と考えてしまう。きもちがどんどん大きくなって抑えきれず、週末には都心に通ってさまざまな時計店を訪れた。そうして見つけたのが、LonginesのConquest Classicだった。手首にぎりぎり載るくらいの大きさで、文字盤は漆黒ではないブラック、シースルーバック、見やすいインデックス。とても渋くて、理想のモデルだった。ふだんの服装にも合う。もうひとまわりちいさなサイズのものもあって、とても悩んだ。お店の方は皆、ジャストサイズの方を薦めてきた。「手首がきゃしゃでいらっしゃるので、女性らしいサイズがお似合いですよ」と。私としては大きい方が好きだけど、やっぱり見栄えはぴったりの方がいいかな、と迷いに迷って何回目かにお店に訪れたとき、ひとりの店員が近づいてきた。EBEL の美しい青い時計が印象的だった。「大きい方がお客様の雰囲気に合っていて、素敵です」とかれは言った。たったそれだけの言葉が、ものすごく嬉しかった。接客のなかで、「女性」や「メンズ」といった類の単語を使われなかったのは初めてだった。購入を決めたあと、コマを調節してもらった。ぴったりのつやつやの黒い時計をみながら、これ以上ないほど贅沢な体験だな、と思った。私が私のために購った、美しい無用の道具。大事に、でも躊躇なく、使っていきたい。
 最後に、上の記事からラストの文章を引用する。

>「時計を集めることの無意味さは、何かとても癒されるものがあります。私は本当に好きです」と、私は言った。
>彼は笑って、「じゃあ、あなたは人生が好きなのに違いないですね」と言ったのだった。

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