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石垣島旅行記Ⅰ

 4月6日。8時半起床。旅行当日は決まって早く目が覚める。朝食と洗顔を済ませ、服を着替える。ゆったりしたハイネックの黒のブラウス、ワイドパンツ、oofosのサンダル。THE NORTH FACEのHot ShotにHAYのグリーンのトート、ユニクロのバケットハット、サングラス。いかにも、これから南の方へむかいます、という格好で電車に乗り、関空へ向かう。初めて訪れた第二ターミナルは、だだっぴろい倉庫のようだった。関西空港は国外線しか使ったことがなかったので、存外簡素なつくりに拍子抜けする。14時半ごろ離陸。窓際の席だったので、飛行機が飛んでいるあいだはずっと窓の外を眺めていた。大気中に浮遊する、半透明の彫刻群。高くそびえる巨人にも似た雲に、斜めから夕陽がさしこんで内側をほのあかるませている。地上からは決してみえない景色だ。
 約2時間半のフライトで新石垣空港に着いた。空気が生ぬるい。空港のそこここに置かれたフィカス・バーガンディの葉が、こってりと赤くなまめかしい。同じ種の木が家にもあるが、生命力というか、鮮やかさがまるでちがう。バスで市街地へ向かう途中も、あおあおと旺盛に犇めく植物が目についた。放牧された茶黒の牛の群れ。低い赤瓦の家々。
 離島ターミナルに着いて、しばらく散策したあとに居酒屋に入り、八重山そばをたべた。まわりは恋人同士だったり家族連れが多く、うすさみしくなる。思いのほか高い代金を払い、市場でさしみを買って宿でたべたほうがよかったかもしれない、としょんぼりする。宿泊先のゲストハウスは、洞窟のような穴が壁にたくさんあいていて、そのなかのひとつにもぐりこんで眠る仕様だった。内部は存外広く、簡易的な机もついていてものも書ける。うすぐらさが山小屋を思わせて、却って落ち着いた。移動で疲れたため、21時ごろ就寝。

 4月7日。くもりときどき雨。昨夜はまったく寝つけなかった。夜半になんども目が覚め、気づけば6時になっていた。これ以上横になっていても仕方ないと思い、起きて身支度をする。頭が痛い。リュックを部屋に置いたまま宿を出て、古民家の並ぶ団地を抜ける。どの家の庭にも、彩度の高い南国の花がいろとりどりに咲きちらばっている。葉の色も黒に近いほど濃くふかく、密度が高い。ひらけた畑の先に、目当ての豆腐屋さんがあった。すでに行列ができている。列でぐうぜん隣あった女性ふたりに話しかけられ、相席で豆腐定食をたべた。高い棚に置かれた小さなテレビでは、おそらくローカルのふしぎな時代劇を流している。女性たちと宿が近かったため、おしゃべりしながら市街地に戻った。女性のひとりは、トライアスロン大会のためにやってきたとのこと。飛行機では、自転車は大人ひとりとカウントされて料金を取られるらしい。
 宿ですこし休んでから、与那国島行きのフェリーに乗るため離島ターミナルへ向かった。ところがチケット売り場のスタッフに声をかけると、「与那国行きはこの港から出ないよ」と言われた。慄然とする。時刻は9時半。出港は10時。そもそもふたつ目の港の場所がわからない。ふわふわの下調べで来たことを後悔していると、スタッフの方が「ちょうど近くの銀行に用事があるから、ついでに送りますよ」とお声がけくださった。恐縮しきりながら車に乗りこむ。ひとしきりお礼を述べたあと、職業を訊かれ、小説を書いていると答えるとChatGPTの話を振られてにわかに盛り上がる。船着き場には、すでにフェリーが舫われていた。かさねて礼を述べ、いそいで乗船場へ向かう。

 ひろびろとした船内では、地元の方と、すこしの観光客がくつろいでいた。船内の様子をスマホで撮影しているYouTuberらしき女性もいる。いったんは座席に坐ったものの、寝不足だしすこしねむろうと和室へ移動した。まさしく正しい判断だった。港を離れて外洋に出たフェリーは、ゆれにゆれた。うわさには聞いていたものの、本当にすさまじい。乱暴な太い指で直接内臓に触れられ、圧されたりなでさすられるような感覚。腑が縒れる。浮いたかと思えば沈む。落下し、浮遊する。4時間半にわたる航海のうち、半分は眠ってやり過ごした。目が覚めてからは、もうどうしようもなかった。あおむけでじっと目を閉じて、背中の遥か下で荒ぶる波のうごきを感じることしかできない。起きあがっていっそデッキに出れば気分転換になるのでは、と窓際に寄ってみたものの、暴風雨で視界は真っ白だった。横ゆれがひどく、甲板の外一面に――まるで巨大なタペストリーのように、垂直に――波を白く毛羽立たせた青黒い水面が迫っている。これはだめだ、なによりいま立っているのもつらい、と這うように和室へ逃げ帰る。
 15時ごろ、ようやく与那国島の港に到着した。体力は眠って回復したが、精神は烈しく削られた。曇天で小雨がぱらつくなか、レンタルバイクをかりてひとまず西の端へ。途中で空腹を思い出し、気になっていた喫茶店に立ち寄った。黒糖チャイと、しっとり甘いロールケーキでこころが温まってゆく。店主の方が相当に文芸がお好きらしく、映画のDVDのラインナップがすばらしかった。『赤い風船 白い馬』『髪結いの亭主』『闇の列車、光の旅』などほか多数。蔵書も充実していて、佐川恭一著『シン・サークルクラッシャー麻紀』を見つけ思わずにっこりした。
 西崎の灯台を訪れたのち、馬鼻崎に向かったが、バイクを降りて歩いている途中で道がよくわからなくなった。重たい曇天の下、荒涼とした草原にうずくまるように点在するアダンの茂み。遥かとおくに見える空港の、滑走路のひかりがうすい霧に透けて明滅している。草を食む馬の群れ。崖の奥に見え隠れする濁った水平線。世界の涯のようだとしばしぼんやりする。

 本日の宿に荷物を置いて、今度は東崎へ。数年前から、河田桟さんのTwitterアカウントをフォローしている。朝晩きまって投稿される与那国馬たちのいる最果ての景色は、まるで天国のようだった。会社に勤めていてつらかったころは、息継ぎをするように投稿を追っていた。あらゆる場所から遠い世界。こんなに美しいひかりがこの国の端に実在している。そう考えるだけで、ほんのすこし心が救われた。『はしっこに、馬といる』シリーズもすべて読んだ。いつか、この馬たちに会いに行きたい、とあたためてきた思いを叶えるため、私は今日、ここにやってきたのだった。

 巨大な風力発電の羽をくぐると、遠くにぽつんと灯台が見えた。いつもスマホの小さな画面越しに見ていた光景。初めてなのに、どこか懐かしい。郷愁に似た気持ちで胸がいっぱいになる。馬たちは、アダンの茂みの蔭で身を寄せ合っていた。雨まじりの強風を避けているのだろう。こんな天気だからか、辺りに人けはない。バイクを停めて、しばらく馬たちと向かい合った。

 

 実在していた、かれらは、この土地とともに、とふしぎな感慨が湧く。明日の朝もういちど会いに来ようと決め、宿に戻った。共有スペースのキッチンに、船にいたYouTuberの女性がいて驚いた。先方もこちらを認め、名刺を頂いたので私も差し出す。旅行系のカテゴリで活躍されている方だった。採れたての長命草を料理したのでよかったら、と小鉢に入った炒めものをくださった。商店で買った五目御飯とともにありがたく頂く。しっかり噛み応えがあって、しみじみとおいしかった。共有スペースのソファで盛り上がる宿泊客たちの声をききながらシャワーを浴び、部屋に戻った。明日は早起きの予定なので早めに就寝。

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