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「何かを作って残すということに人生の意義を感じる」 Interview with NORTHFIELD

ディストロを運営していく中で「3LAで音源を取り扱って欲しい」という要望を受けることはたまにあるのですが、作品リリースの予定もないNORTHFIELDというバンドからインタビューの依頼を受けるというイベントが発生。しかも、何も繋がりもなかったバンドだ...。そんなことは今までで初だった気がするのと、このバンド(実際にはソロプロジェクトから始まっている)がなぜ3LAにそんな話を?中心人物の吉永さんに話を聞きました。

「自分もインタビューされてえ」

3LA: なぜ3LAに?

吉永: フィジカル音源を作る予定は今のところないのですが、第三者の視点から自分の音楽を掘り下げて頂く機会が欲しかったからです。その中でも3LAのインタビューは他のメディアとは違いアティチュードやサウンドの面ばかりではなく、音楽から離れたところからも掘り下げることに重きを置いているように感じました。あとは単純に好きなアーティストたちが3LAのインタビューを受けていて、「自分もインタビューされてえ」と思っていたからです。

3LA: ありがとうございます。それではNORTHFIELDについて、どのように始まったプロジェクトなのか(またはバンドなのか)、どういったメンバー構成なのかを教えてください。

吉永: やっていたバンドが無くなり暇を持て余してDTMに手を出し始め、最初はコード進行やリフを数小節録音して遊んでいたのが、次第に曲になっていき、そのままソロプロジェクトとして始まった感じです。
メンバーは僕一人なのですが、サポートメンバーにギターとベースとドラムが一人ずついます。

3LA: サポートメンバーを迎えたのはソロプロジェクトとしてではなく、バンドにしたかったから?それともライブのためですか?

吉永: ライブをするためです。現在のサポートメンバーを正式メンバーにしてバンドにするつもりは今のところないです。ですが、合奏するのはやっぱり好きですね。全員の演奏がビシッと合わさって頭が真っ白になるような感覚はバンドじゃないと味わえないです。そこに至るまでの過程はしんどいですが。

3LA: 吉永さんはこのプロジェクトの前に何か別のバンドに加入していたり、現在も並行で稼働していたりしますか?共有できる範囲でかまわないので教えていただきたいです。

吉永: NORTHFIELDの前はエモバンドをやっていました。その他にはグランジ/ノイズコアのようなバンド、アイリッシュパンクバンド、弾き語りフォークユニット、サポートでジャズのセッションやデスコアのバンドに参加していたこともあります。あと特殊なのが地元の友達10人くらいとJohn Zorn の"Cobra"セッションのライブをしたことがあります。その時はラジカセからノイズを流していました。今はNORTHFIELDと並行してbiliardoというskramzのバンドでサポートギターを弾いています。

「札幌のバンドや90sエモは若者に刺さる」

3LA: 基本的にはそんなに海外の音楽からの影響っていうのを感じなかったのですが、90年代的なもの...僕の主観的な言葉になってしまうけどスーパーカーの「スリーアウトチェンジ」とか、JUDY AND MARYの「WARP」とか。EMOとかハードコアパンク的なことも自身の背景にはあるのかもしれませんが、僕はこの音はそういったタイプの98年~00年くらいの日本のロックの系譜だなと感じています。むしろ自身の経歴と照らし合わせると、ストレート過ぎるとすら思います。この音でアルバムを作ろうと思ったのは何故ですか?NORTHFIELDは、このデジタルリリースのアルバム「WHEREABOUTS OF THE ECHO」が現在唯一聴くことのできる作品です。しかし少なからずテーマ性はあると思っていて、楽曲は一貫性があります。つまり、宅録で好き勝手に作るというより、作品群としての指向性があるということです。そこには思いがあるはず。NORTHFIELDは、このデジタルリリースのアルバム「WHEREABOUTS OF THE ECHO」が現在唯一聴くことのできる作品です。しかし少なからずテーマ性はあると思っていて、楽曲は一貫性があります。つまり、宅録で好き勝手に作るというより、作品群としての指向性があるということです。そこには思いがあるはず。

吉永: このような音楽性になった理由として一番大きいのは、自分が囚われていたオルタナティブロックという音楽、ギターという楽器そのものから解放されたいと思っていたからです。オルタナティブロックが代替的な音楽として機能しなくなった現状で、いつまでもそこに囚われていたら音楽の作り手としてとても勿体無いように感じていました。その上で、自身のキャリアのなかで区切りとして自分が納得できるギターロックアルバムを一枚作り、次のステップへ進みたいという気持ちで作りました。なので、サウンド面のテーマとしてはオルタナティブロックからの卒業みたいなものがある気がします。
同時に、今までは床に座ってアコギを弾いて…という感じで曲を作っていたので、ギターを弾く際の手癖のようなものが付いて回ってしまっていました。そこからも脱却したいと思い、その前に自分がギターを用いて出来る表現を目一杯取り入れたアルバムを作りたいという気持ちもありました。
宅録で好き勝手やるというより、むしろ縛りが多い制作環境で作っていたと思います。DAWはGarage Bandで、オーディオインターフェースは貰い物の安いやつです。プラグインもGarage Band付属かフリーで配られてるものしか使っていませんし、ギターの音は全部VOXの練習用アンプにSM57を立てて録った音です。使用できる楽器や機材の少なさも、ある種このアルバムの一貫性を持たせる要素として作用していたのかもしれません。

3LA: 機材がサウンドに制限を与えていたという面とは別で、「今までは床に座ってアコギを弾いて…という感じで曲を作っていたので」という言葉に思ったのは、曲の作り方が作風を制限しているのかなとも思いました。Oasisの2ndとかもそうなんですが、明らかにアコギでコードを弾きながら作ったのだなとイメージさせる楽曲が多い。そうするとギターの役割がコード主体でボーカルがメロディを歌う形になるのですが、逆に言うとドラムやベースを主体にしたリズムセクションが生み出す立体感だったり、ギターリフだったり、といった生身のロックバンドアンサンブルの魅力はそんなに追求していないのかなとか。日本の邦ロックもそういったサウンドのものが多い(最近では違うと感じてますが)、USのバンドのようなブルースの効いたサウンドやリズム/ビートで押す感覚はそんなに好きではなかったですか?

吉永: 確実にその面はありますね。
まあ制限していたというより、弾き語りとしても成立する曲作りを意識していたって感じなんですけど。
リフやリズムから曲を作れなくはないのですが、歌物を作るのであれば弾き語りの方が圧倒的に作りやすい。それを踏まえた上でそういった音楽の作り方からは今作で卒業です。
実際今はシンセサイザーやドラムマシンをいじってる方が楽しかったりします。今まで出来なかった発想が展開されていく感じが面白くて。今は次作を作りながら機材やプラグインを買い揃えてるところです。
ブルースロックはもちろん大好きなんですが、今作では取り入れませんでしたね。理由としては、親しい友人に生粋のブルースギタリストがいるのでブルースはそいつに任せようと思っていること、ブルースロックを入れたらアルバムの作風にムラが出てきてしまうのではないかという懸念があること、などです。
あと自分のなかの定義として、ブルースというより哀歌としての"ブルーズ"はサウンド面だけのアプローチではないような気がして。
5曲目の「Iris」なんかはサウンドはグランジですけど、メンタリティは完全にブルーズじゃね?って思ってます。

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3LA: アルバムの楽曲群を製作する過程で参考にしたバンド、作品、またはインスピレーションとなったアート作品などはありますか?

吉永: 今思い返すと比重としては国内のギターロックバンドの影響の方が濃いと思います。当初から日本語詞でやることは決めていたので、自然と日本のバンドを意識していた気がします。一番大きいのはbloodthirsty butchersですね。札幌のポストハードコアバンドは10代の頃かなり影響を受けました。それ以外ではNUMBER GIRLや初期くるりなど。実はスーパーカーはあまり通っていないんです。あと、言われたなかで一番意外だったのがツーピース時代のストレイテナーです。全く聴いたことがなかったので。ジュディマリも初めて言われました。大好きですが音楽として影響を受けたのかは謎です。
逆に海外エモは意識しないようにしていました。90sエモは大好きなのですが、それを模倣しても結局エモリバイバルになってしまうだけなので。海外のバンドだとHüsker Düであったり、Mega City FourやLeatherfaceのようなメロディックパンクを意識しました。あとは無難なところでグランジやシューゲイザー系のバンドのサウンドは模倣しようと思いました。ミックスのリファレンスとして一番参考にしたのはNirvanaの『Nevermind』ですし。全然寄せることは出来なかったのですが。ブッチ・ヴィグ(Butch Vig)はやっぱりすげえなって感じです。

音楽以外では、宮沢賢治、アメリカンニューシネマ、SF、セカイ系、東洋思想などに没頭していたように思います。制作期間はすべてがしんどすぎて堕落したもの、または神秘的なものに縋っていた気がします。

3LA: リファレンスとして挙げているMega City FourやLeatherfaceもUKのバンドだなという方向性みたいなのはありそうですが、あと「札幌のポストハードコアバンド」というキーワードが出たので聞いてみたいのですが、僕より若い世代のバンドたちが、結構札幌のバンドたちからの影響を公言するのが気になっているのですが、それは何故なんですかね?

吉永: やっぱり僕らの世代は物心がついた時からインターネットが普及していたので、ディグりやすかったっていうのが一番あると思います。僕の周りではディグっていくうちに自分が好きな音楽のルーツが札幌周辺のバンドにあることに気づくという経験をしている人が多いです。
あと単純に、札幌のバンドや90sエモは若者に刺さる要素をたくさん孕んでいるで、例えセールスは無くても熱狂的なマイノリティに支持され続けているんだと思います。

3LA: 「札幌のバンドや90sエモは若者に刺さる要素」... これって具体的にはなんだと思いますか?個人的見解でかまわないので聴いてみたいです。そしてその要素は、表現者が若者ではなくなった後もアウトプットできるものだと思いますか?

吉永: 改めてなぜ刺さるのかと訊かれると難しいですね。
個人的な主観ですが、やっぱり切実さにあると思います。自分自身に対してもリスナーに対しても切実に向き合って生まれた音楽たちだなって。シャウトひとつとっても、心からの叫びのような印象を受けます。大人が信じられなくなった若者たちにとって、その切実さは重要な要素なんだと思います。
サウンド面から見ても、7thや9thなどのコードを使って青くて疾走感のあるサウンドを奏でるという面で、札幌のバンドも90sエモも共通してると思うのですが、やっぱり聴いていて心地いいんですよね。
ライブだとモッシュやダイブが起こるような曲でも、静かな部屋でアコギで弾いてみたら、とても心地がいい。ラヴェルやドビュッシーの音楽が心地いいのと似たような感覚です。なぜ心地がいいのかみたいなところまで掘り下げると多分脳科学とかそういう世界の話になると思うのでわからないですが……。
もちろん若者でなくなってもマインドが残り続ける限り表現できると思います。札幌のバンドも90sエモも現役でやってる人たちは大勢いますし。
エモとは違うんですが、Bob Mouldが一昨年アルバムを出したんですが、相変わらずHüsker Düみたいな音楽やってるんですよね。還暦迎えてるのに。それが僕としてはとても嬉しいことだったんです。「いくつになってもこういう音楽をやっていいんだ」って。

「何かを作って残すということに人生の意義を感じる」

3LA: 歌詞としての影響はいかがですか?僕はリファレンスとして挙げているバンド以上に、前向きな歌詞が多くてちょっと驚きましたが。でも多分、そんなに精神状態が良いときに作られているものではないと感じています。

吉永: 歌詞に関しては、1曲目の「Answer」が自分でも不思議なくらい明るい歌詞になりました。
憶測ですが、自分の中で「アルバム作るぞ!その為に生き延びるぞ!」みたいな気持ちが芽生えたんだと思います。生きることに対する光が見えた瞬間というか。見方を変えれば作り終えるまで死ねない呪いみたいですが、何も残せずに死ぬよりかは全然マシなので、結果的には書いてよかったですね。
それ以外の歌詞も、書いてる途中は「無くなったものや離れていった人にウジウジ言ってるような歌詞を書いちゃったな」って思ってたんですが、いざ文字に起こした詞を見てみると、何とかして前を向こうとしているような足掻きが感じられて面白かったですね。「俺こんなこと思ってんのか」って。ネアカなんですね多分。
精神状態はここ数年ずっと最悪ですね。辛うじて生き永らえてると言っても過言ではないぐらい最悪です。
ただ幸いにも僕は精神状態が創作物そのものに影響を及ぼすタイプではないので、地獄みたいな作品は作らずに済みました。自分の場合、精神が創作に及ぼす影響は、作業をする気力が出るか出ないかの部分だけなので。
自分のように表現や創作物が精神状態と直接結びつかない人は結構いると思います。極端な例で言うとコメディアンのRobin Williamsも自殺しましたし。

3LA: 制作活動が人を生かす、生きがいとして機能すると考えますか? 救い、と言ったほうがいいかもしれません。また、誰かのネガティブな感情からアウトプットされたアートが自分の救いになった経験ってありますか?

吉永: 思います。実際に僕は音楽に限らず「何かを作って残す」ということに人生の意義を感じています。救われてるのかどうかは今はまだわかりません。もしかしたら呪われてるのかもと思うときもあります。行き詰まったり無視されたり、ぶっちゃけ苦しいことの方が多いです。副作用に苦しめられながら延命治療してる人みたいな気分になります。それでもやり続けることが救いになるんだと信じていますね。
ネガティブなものを真正面から受け止めるのは精神衛生上良くないので最近はあまりないのですが、10代の頃に読んだ坂口安吾の「堕落論」には勇気づけられましたね。あと、中学生くらいの時に見たゴッホの耳を切ったあとに描いた自画像は、目つきに何か覚悟のようなものを感じられて引き込まれたことがあります。音楽であればRadioheadに物凄い影響を受けました。歌詞はダークでシニカルなのですが、音楽表現への貪欲さは見習わないといけないと実感しました。

3LA: 自分の創作が誰かに影響を及ぼすということを想像しますか?それとも、どちらかというと創作はあくまで個人の、プライベートなものであり社会的なものは含まないという感じでしょうか?
今後このバンドをどういうものにしていこうかという計画、目標などはありますか?

吉永: 最初は自分が楽しければいいやって気持ちでした。宅録なので、自分の生活圏から先のことまで想像が及ばなかったというか。完成しても自分の友達とかにだけ聴いてもらえればいいかなって考えていた時期もありました。
でも今は自分の音楽で誰かの生活に少しでも光を与えられたらって真剣に思っています。社会に対して何か影響を与えようとかではなく、元々僕のプライベートなものだったのが、他の誰かのプライベートの一部になれたら嬉しいなって感じです。
直近の課題としては、ライブを控えているのでバンドのアンサンブルの精度を上げること。
その後は、次のアルバムを作ることですね。実はもう作り始めちゃってるんですけど。次はアナログな楽器が控えめで、少しエレクトロニックな感じになると思います。なのでライブをする際に同期演奏をするための機材を揃えないとなって思ってるところです。
他のバンドみたいにデカいところでライブしたいとか、有名なバンドと対バンしたいとか、そういった目標はないです。ただただ作り続けたいし、自分の好きな音楽を突き詰めていきたい。それが誰かに刺さったら尚嬉しい。そんな感じで細々と続けていこうかなって思います。
あと最近は、自分以外の誰かに曲を提供してみたいなって考えてます。割と色々なフォーマットの曲が作れるんですが、自分でやるのには向いてないような音楽もあるので、そういう曲は誰かにあげてしまった方が良いものになるのかなって思います。

3LA: 国内のバンドで手本としている人はいますか?同世代や、その先の上の世代などで。

吉永: 同世代として、RADDDJUR、せだい、TALOS、NITRODAYなんかは、ルーツに近いものがあるように感じがして好きですね。あと宅録の大先輩のLiberal & Crippleは大きな影響を受けました。
あと、今後同期を使っていくにあたってgatoのageさんに色々教えてもらっています。地元のバンド界隈の先輩で、昔一緒にバンドをやっていたこともあるんです。

3LA: 自分にとって、音楽を作ること、音楽を演奏すること、をどのようなものだと捉えていますか?

吉永: 自分にとって音楽を作ることと演奏することはイコールだったりします。コピーをあまりしないんです。ギターやピアノを触ったら取りあえず何かフレーズであったりコード進行を作るって感じで。
手の届くところに常にギターは置いてあるので、もう生活の一部ですね。なのでNORTHFIELDはそういった生活の一部を切り取って具現化するためのツール。軽い言い方をすればやりすぎな趣味って感じで、個人的にはライフワークにしていこうかなって気持ちです。

twitter : https://twitter.com/NORTHFIELD_JP

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