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「みんなで作っているという意識があるから、出来上がった時の感動が大きいんじゃないかな」 Interview with yarmulke

2000年代を駆け抜けた京都の激情ハードコア(Screamo)、yarmulkeのコンプリートディスコグラフィをリリースする上でかならずやりたいと思っていたのが、彼らの音楽の礎となった背景を探ること。今改めてyarmulkeを聴いているリスナーも、彼らの音が簡単に生み出せるものではないということは気付いてもらえていると思います。今現在の世界的な2000年代Screamo再評価の動き、その背景にあるものがもしかしたらgoogleで簡単に答えが出せないあの時代だからこその、何かが始まっていく中で試行/思考の末に何かに到達しようというエネルギーなのかもしれない。

2006年 神戸ブルーポート
???? 年 場所不明
2008年 立命館大学

「レコード屋にバイト代を突っ込みまくって、みんなで音源買い合って「かっこいいの見つけたよ!」みたいなことをやってた」


3LA:
僕自身もyarmulkeについて詳しく知っていないというのが本当のところでして、oto Recordsから音源がリリースされて後追いで知ったというところもあり、その当時インタビューなどがあったかどうかも知らない。ですので、今回のディスコグラフィーがリリースされるタイミングで知るリスナーに向けても改めて情報を整理して残したいなというのが想いであります。
早速なのですが、バンド結成の背景について教えてください。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
元々全員が大学の軽音サークルにいた人間で、僕らが大学2回生のときに「バンドやらない?」って話になったんじゃなかったかな。

Yosuke Higashi (Dr) :
元々はサークルのバンドだったんでコピーバンドが始まりで、その中でenvyとかSaetia、400yearsとかをコピーする先輩方が現れ始めて、コピーバンドとは言えその先輩等も熱量や個性の濃い方々で、そこに魅了された形で。

3LA:
大学ってどこだったんですか?

一同:
京都産業大学....

3LA:
なんか珍しくないですか?そんな趣味の同じような人間が集まるもんなんでしょうか。
その当時(2000年初頭頃)でenvyをコピーバンドするくらいの趣味を持った人間が都合よく揃うのが不思議で。

Kentaro Hosoi (Ba) :
120人くらいメンバーがいたんで、しかもマニアックな人間が多かった。

Yosuke Higashi (Dr) :
コピーバンドやってた先輩に影響受けた頃から、激情ハードコアというものに惹かれて行って... 今みたいにネットとかじゃないからレコード屋にバイト代を突っ込みまくって、みんなで音源買い合って「かっこいいの見つけたよ!」みたいなことをやってたね。ハズレもいっぱいあったけどジャケ買いとかもして。そんな中で自分たちでもかっこいいの作ってみたいねという話になって、結成されたというのが最初かなと記憶してますね。

3LA:
それでは最初の頃から方向性は結構定まっていたように聞こえますね。
当時参考にしていたバンドとかってありましたか?

Yosuke Higashi (Dr) :
日本だと少なくて、envy、There Is A Light That Never Goes Out、kulara、Nine Days Wonder、個人的には四大巨頭と読んでいたけど。
DiplegとかCreep、the carnival of dark-split、envyのダイロクさんがやっていたDOVE、SPEAK FOR MYSELF、Nice View、sawpit、Bonescratch…
HG-FACT周辺のリリースは聴いてたかな。
海外レーベルだとEbullition, Level Plane、Lovitt、Dischord、Dimmak、日本だとMangroveも。

Kiyoto Sasaki (Gt):
参考にしてたのは、Yageとかあのへんじゃない?

Kojiro Takahashi (Gt) :
初期の曲や音の感じは、わりと湿気や憂いのある、暗めというか。変拍子とか展開が急に変わったりとか、面白い絡みを意識して作ってた。僕はプログレとかYESとか聴いてたので、そういうところも参考にしていたかなと。あと激情ハードコア以外の音楽でいうと、Pinbackやdon caballeroなどTouch and GoやAce Fuといったレーベル周辺のバンドはサウンド面というよりもリフをループしながら広げていく手法など曲展開の面でインスパイアを受けていました。

Yusuke Seishi (Vo) :
自分がvo的に影響を受けたのはanomie,to dream of autumn とか。女性voの高い叫び声を目指してました。
あとは、the sunは「こんな自由すぎるのアリなんだ…」と衝撃的だった。
Saetia/Hot Crossはかなり好き。叫び声はもちろんいいし、それ以外もいい声。声の入れ方も潔い。
他には、直接参考にはしてないけどbathtub shitter,
Hellchild,Melt banana,blaze of terror,
not 2 belike someoneとかの特徴的なvoはカッコイイと思ってました。
もちろんenvyも。好きすぎてコピーバンドしてたしw

3LA:
当時の日本のバンドと比べてもプログレッシブというか、構成が大変というか、どうやって曲作ってんだろって思います。

Kojiro Takahashi (Gt) :
バンド結成から2〜3年くらいはみんな大学生で家も近かったから、ギターを持って誰かの家に集まって生音でひたすら音作って、スタジオいったら皆であわせて.. みたいなのを時間をかけて繰り返して作り込んでという感じです。時間があったので徹夜もしながら。
軽音のライブもあるので、朝まで作ったのをぶっつけでその曲やったりとか。
2ndアルバムはみんな社会人になっているので作り方も変わってきて、音の絡み方とか作曲における重点も移って行ったかなと思います。

3LA: 歌詞についてはどういう風に考えていたのでしょうか?

Yusuke Seishi (Vo) :
歌詞を書いてた当時って大学生で、3回生のころはまさに「就職氷河期」って言われてた時代で。新規求人倍率は1を下回るとかで「失われた世代」ってやつ。派遣社員やフリーターが流行りだして。とにかく不景気だし、希望もなかった。実際、自分も就活で苦労したし、友達も苦労してるやつが多かった。
そんななかで、別に社会に対して期待もしてないから、訴えたいこともない。ポリティカルになるほど元気も期待もなかったな。
だから社会に対する鬱屈とした想いを書いてましたね。

3LA:
細井さんがベースで加入するのは1stの後ですよね、そのとき東さんがベースからドラムに変わっているんですがこれはどういうことなんでしょうか。

Kentaro Hosoi (Ba) :
前任のドラムが辞めた後、2006年に僕がベースで加入したのですが、ファーストまでベースだった東がドラムを叩くことになって。誘われた時ドラムを探さないのかと佐々木に聞くと、「ドラムはなかなか見つからないだろうし、その間バンドが止まることを避けたい。バンドは常に転がっている状態じゃないと。」と東が語ったらしく、練習の合間になんとなく叩いてたし俺がドラムやるわ、となったそうです。当時は東ドラムもできるんだー、位でしか思ってませんでしたが、今思うとそこから活動の幅がツアーなどで広がった時期だったので、かなりの英断だったと感じます。


2006年 studio SIOUX
2006年 studio SIOUX
2006年 studio SIOUX

「京都にそもそもそういうシーンが無かった」

3LA : 
2000年代頃って世界的に激情ハードコアのバンドが各地で生まれてある種のムーブメントになっていた時代だと思います。yarmulkeもその中の一員なんだ!っていう自覚はありましたか?

Kojiro Takahashi (Gt) :
京都にそもそもそういうシーンが無かったからなw

Kiyoto Sasaki (Gt):
そう、京都に激情ハードコアというシーンがあるわけじゃなかったからライブで共演するジャンルはバラバラだったよね。ジャパコアやメロコアもあったし...

Yosuke Higashi (Dr) :
HIPHOPと共演することもあったよね。ニュースクールが多かったかな。

Kiyoto Sasaki (Gt):
最初、神戸のオールナイトのイベントに呼ばれたときに初めていろんなバンドがいるんだって思えたかな。

Kojiro Takahashi (Gt) :
京都にウーピーズっていうライブハウスがあって、upandcomingのメンバーも働いていてお世話になっていてイベント呼んでもらったりとか。純粋に激情ハードコアとしてではなかったですけど。そこで清人がupandcomingのレコ発ツアーで帯同するようになったりとか、京都の中のそういう音楽している人たちのコミュニティの中でBalloonsに出会わせてもらったりとか。

Yosuke Higashi (Dr) :
アルバムとか出したり、envyとかyageと対バンさせてもらうところがブレークスルーのポイントだったけど、バンド内では清人が対外的に動いてくれてバンドの幅が広がって行ったというか。ウーピーズの小谷さんや、envyと引き合わせてくれたクラブの武田さん、お世話になりました。

2008年 京都UrBANGUILD
2008年 京都UrBANGUILD
2008年 京都UrBANGUILD

「みんながそれぞれ生きてきた音楽のルーツをあわせてオリジナリティにしようという意識」


3LA:
この手の音楽性って、envyの影響って果てしなく大きいと思うんですけど、yarmulkeとしてはジャンルとして同じだとしても、envyとは別の答えを出そうというか、そういう意識ってありましたか?

Yosuke Higashi (Dr) :
そうですね、envyに限らずですが、何かのバンドみたいではなくオリジナリティを出そうとしてました。1stアルバムが結構プログレッシブだったり変な展開があったりというのはそういうところの意識の現れだと思う。とはいえ、そういう要素もKuralaの影響だったかもしれないけど。
みんながそれぞれ生きてきた音楽のルーツをあわせてオリジナリティにしようという意識はありましたね。

3LA:
京都だからというわけではないですよね?
東京はポップになっていくと思うんですよね。大阪はパンチあるというか、京都はコアって感じする。

Kentaro Hosoi (Ba) :
僕はyarmulkeに後から入るんですけど、京都にきてライブハウスみてすごく刺激的だったから京都に残りたいなと思ったんですよね。yarmulkeはメンバー、ほとんど京都出身の人間ではないんですよ。


3LA:
バンド名について語られたことないと思うんですが、yarmulkeってどうしてこの名前をつけたんでしょうか?

Yosuke Higashi (Dr) :
俺、勝手に語ってもいいかな?

一同:
いいよいいよ!

Yosuke Higashi (Dr) :
もちろんユダヤ系の民族衣装であることはあるんだけど、僕らが別にユダヤ教に関わりが深いというわけではない。なんというか、ジャンル的にもカオティックな感じなんで、Light in the Ghetto… ゲットーの中にも光が差すというか、混沌の中に美しさがあるというか、そういうイメージがあったんだけど。
ただあまり直接的な表現だと、宗教的だったりポリティカルだったりするので、それで民族衣装のyarmulke… 音の響きもよかったので....。

3LA:
…. 他のメンバーが否定も肯定もしないんですが。

Yosuke Higashi (Dr) :
大元はそこだよね、せいちゃん(Vo)に語らせると「ノリでつけた」とか言いそうだから。
それは阻止したかったw

Kiyoto Sasaki (Gt):
じゃあそういうことにしておこう。


「とにかくやり方もわからなかったけど1st出さないと話にならないなと思って」

3LA:
最初の音源って2004年のデモ? これはディスコグラフィーに収録されているやつですか?

Yusuke Seishi (Vo) :
なんか売るっていうより、対バンの人に渡すようで作ったやつだったような。

Kentaro Hosoi (Ba) :
そのテープ、Disc1の1stの後に収録されているのがそれですね。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
そう、あれは売っていない挨拶用のやつですね。

3LA:
僕は1stアルバムのときはリーチできなかったリスナーなのですが、これは自主で作ってますが、自分たちでやっていこうと思ったのですか?

Yosuke Higashi (Dr) :
とにかくやり方もわからなかったけど1st出さないと話にならないなと思って。バンド結成から時間もたっていたし。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
制作もかなり伸びたもんね。自主にこだわったわけではないかな、本当にコネクションがなかったから。ただリリースなら自分たちでもできるんじゃない?ってなって。

3LA:
何枚くらいプレスしていたんですか?

一同:
500かな?2ndが1000か。

3LA:
その当時の反応は大きかったですか?

Kojiro Takahashi (Gt) :
ディストロに置いてもらったのが大きかったですね。自分たちも出したものがどれだけ売れるかとかもわからなかったけど、自分たちの知っている範囲では渡して行こうと。東京ではoto Recordsの耳に留まって、とかそういう動きだったと思います。

3LA:
2000年代は個人ディストロの熱量も高かったですからね。
その流れで2ndアルバムをoto Recordsから出そうみたいな話になった感じですか?

Kojiro Takahashi (Gt) :
神戸のブルーポートかどこかでkillieと初めて共演したのがきっかけじゃないですかね。

Kiyoto Sasaki (Gt):
多分その前に夜音車の頓宮が間に入って、話していたんじゃないかな。その後神戸でライブやって、という流れじゃないかなと。

Kentaro Hosoi (Ba) :
当時スタジオスーでスタジオライブしていたよな。

Kiyoto Sasaki (Gt):
色々スタジオライブがあって、激情ハードコアだけじゃなかったけどそのスタジオライブの流れの中で夜音車の頓宮に出会ったんだと思う。

(参照: https://antenna-mag.com/post-56361/ )   

(※: 夜音車の頓宮さんについてはこの記事を読むべし、2000年代の熱量も伝わると思います。)

3LA:
2ndアルバムをoto Recordsから出して何か変わりましたか?

Yosuke Higashi (Dr) :
茶屋町(大阪)のタワレコにyarmulke棚が出来ていたのは衝撃だったよな。2ndで棚できるんだ!って。

Kentaro Hosoi (Ba) :
試聴コーナーにも入っていたよね?

Kiyoto Sasaki (Gt):
そうだっけ?

Kentaro Hosoi (Ba) :
いや、話盛ったかも..w

Kojiro Takahashi (Gt) :
1stのときのほうがリアクションは直接的だったような気がするよね。

Yosuke Higashi (Dr) :
1stのときスルーしてた人が2ndで急に食いついてきたような動きもあった。

Kojiro Takahashi (Gt) :
ライブの誘いは2ndの後、かなり増えたんじゃないかな。

3LA:
海外からのツアーバンドの共演ってどれくらいやってたんですか?

Yosuke Higashi (Dr) :
そんなやってない、10本もないよね?

Kojiro Takahashi (Gt) :
当時はkillieやheaven in her arms、balloonsが3バンドで海外バンドとツアーしてその共演で呼ばれたりとか。

Kentaro Hosoi (Ba) :
Off Minor、Ampere、La Quieteとか。

3LA:
伝説のツアーですよ。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
ライブもカンパ制で。

Kentaro Hosoi (Ba) :
夜音車の頓宮が俺らの中ではキーパーソンとなっていて、立命館大学内でライブして、打ち上げとかも自分たちで持ち込んで。2008年のOff Minorのときも部室で、昼から夜までライブやって。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
DIY精神をイベントに組み込んで成立させているという、いろんな人にリスペクトされている人間だったよ。ツアーバンドにもギャラを出して。




源光庵の悟りの窓、迷いの窓

2ndアルバム「one theAter in square」の意味とは


3LA:
2ndアルバムのタイトルの「A」だけが大文字なのってなんでなんですか?

Kiyoto Sasaki (Gt) :
なんでなんですか。

Yusuke Seishi (Vo) :
それは俺じゃないな。

Kojiro Takahashi (Gt) :
これはタイトル僕がつけました。アルバムの中に同じ曲があるんですけど。
話ちょっと脱線しますが、京都に源光庵っていうお寺があるんですが、そこに悟りの窓と迷いの窓というのがありまして。悟りの窓が、丸い窓で、そのとなり真四角の窓がある。丸い窓が確か宇宙を表していて、四角のほうが人間の四苦八苦を表しているらしい。僕は結構この場所が好きで当時行っていて...。
僕たちの作品も、苦しみであったりそのときの気持ちとかも表しているし... theatreって劇場という意味もあるけど現場みたいな意味もあって、人生みたいな意味にもなるかな。そこで「A」を真ん中にしてシンメトリーになるというか。円にも四角にもなるという、デザイン的な意味と、アルバムの意味的なところでもテーマになるかなと。どうでしょうか。

https://genkouan.or.jp/

Kiyoto Sasaki (Gt) :
アーティストみたいだねw

Yosuke Higashi (Dr) :
2ndはアートワークはKojiroが全てやっていたからね。

Kojiro Takahashi (Gt) :
ブックレットの裏に一文書いているんですけど、「phylosophy is a sort of one theater, is cooped up in one square」… 哲学はある種の劇場の一種だけどひとつの四角の中に閉じ込められてるみたいな、そんな意味を思いついて入れ込んだんですけど。デザインをしてる者の特権として。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
何の断りもなく?

Kojiro Takahashi (Gt) :
何の断りもなく。みんな気づくかなと思って。

Yosuke Higashi (Dr) :
知らなかったよw

Kojiro Takahashi (Gt) :
メンバーからリアクションが全く無かったんで!
みんな見てんのかな?ってw

3LA:

「A」だけ大文字なんで、みんな気になるんじゃないですか?

Yosuke Higashi (Dr) :
どうせかっこつけてるんだろうなって...

Kentaro Hosoi (Ba) :
たぶん今まで誰もそこに触れてないよな。

Kojiro Takahashi (Gt) :
唯一質問したのがheaven in her armsのKentなんじゃないかな。なんか歩いているときに... でもそのときはちゃんと答えてなかったかもしれないな。


「みんなで作っているという意識があるから、出来上がった時の感動が大きいんじゃないかな」


3LA: 
ではラストの質問をいくつか....。リユニオンの可能性ありますか?

Yusuke Seishi (Vo) :
できるっちゃできるんだろうけど、忙しいよね?

Kentaro Hosoi (Ba) :
俺はやってもいいかなと思う理由があって。kularaのディスコグラフィーが出たときにZ会でリユニオンがあって見に行ったことがあって、その時はよかったなと思ったし。
そのときThere Is A Light That Never Goes Outもやっていて、自分の影響受けたバンドがそうやってやっているのを見ると、自分たちの今の立場で考えるとやってみたいなという気持ちはある。いろいろ問題はあるだろうけど、やってみたいなと思ってる。

Yosuke Higashi (Dr) :
単純に可能性はあるんじゃない?時間とか障害はあるけど。可能性あるかないかだとあるんじゃないかな。

Kojiro Takahashi (Gt) :
僕と清人は別というか、今もバンドは続けてはいるので。あとはみんなの思い次第、求められてんのかな、どうなんかなっていうのはあると思うけど。

3LA:
可能性は残ってはいるよって感じで。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
やれるんだったらやりたいなと思うところもあるし、バンド解散してからポッカリ穴が空いたというか、自分を形成する存在として大きなものだったから。今、この歳でもう一回やるとしたら...面白いことかなとは思う。可能性はあるんじゃないですかね。


2009年 京都WHOOPEE'S
2009年 京都WHOOPEE'S

3LA:
いまこうして編集盤リリースすることでご自身の気持ち的なギャップとかって感じるものですか?改めて自分たちの音源を聴いてどう思いますか?

Yosuke Higashi (Dr) :
結構未だに聴くからな。自分たちも含めて、他のカオティックなやつも聴くし。良いやつは変わらずに良いものだなと。
逆に言うと、その当時ほどのめり込むような音楽に出会っていないというか。未だに爆音で聴くと泣きそうな音楽もありますからね。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
未だに新鮮ですけどね。僕チャリ通なんですけど、未だに聴くたびに印象が変わるというか、新鮮さがあるなと思った次第です。

Kentaro Hosoi (Ba) :
当時作っているときはあんまり考えてなかったというか。唯一無二なものを目指して、ひたすらスタジオ入って曲作ってはボツにしていたのを思い出したというか。二人のギターがカポのせいか、チューニングのせいかわからないけど、それが凄い音の広がりを出しているような気がしてて、それは当時気づかなかったと思いました。
僕らyarmulkeはこの1st、2ndでうまく完結しているなという印象も思いましたね。

3LA:
バンドの解散は煮詰まったからですか?

Yosuke Higashi (Dr) :
時間的なところがでかいとは思うんだよね。
それだけの熱量を当時と同じように投入し続けられない状況になっていったかなとは思う。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
いろんなことをもっと広げて行こうという方向性にはなっていたけど、色々みんなの事情もあって続けていくのは難しくなっていった。

「自分たちの曲で、自分たちがずっと鳥肌たっているみたいな感覚」


3LA:
音源を作ることとか、バンドをすることってすごく時間もお金もかかるし無駄も多いと思うんですよね。yarmulkeというバンドをすることで、どんな意味があったと思いますか?
僕は音楽は熱量が大事とは思うけど、同時に熱量がなくなったら終わるなとも思っていて。

Yosuke Higashi (Dr) :
僕はライブどんどんやるよりは、録音したものを聴きたいっていう考え方。作って残して後から聴きたい。自分のコレクションの中に、自分たちの音楽を加えたい。それが醍醐味かな。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
あの感覚ってなんなんでしょうね。何か1つのものを作りましたっていう、自画自賛なのかもしれないけど、あの時の感動っていうのは忘れられないよね。

Yosuke Higashi (Dr) :
麻薬的な。いっしょにテスト勉強始めたはずなのにいつの間にか曲作りだしちゃって、そういうときほど良い曲ができたりして。良い曲は出来たけどテスト全然だったり。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
それこそまさに無駄。でもそのときやらなかったら、その感動はなかったでしょって。血の通ったものというか、理屈じゃない要素... 可能性と可能性とがぶつかりあって凄いものができましたっていう。

Yosuke Higashi (Dr) :
俺たち誰かが1曲を完成させちゃわないじゃん。なるべくそれぞれのメンバーの要素を加えていくから、みんなで作っているという意識があるから、出来上がった時の感動が大きいんじゃないかな。余計に。

Kojiro Takahashi (Gt) :
yarmulkeを語る上で、その感動っていうのは大きいかもしれないですね。自分たちの曲で、自分たちがずっと鳥肌たっているみたいな感覚は、他で経験したことがないし。めちゃ時間かかるし、感動することもあればすごく時間かけても何も出来ていないこともあるし。

Yusuke Seishi (Vo) :
俺曲作り退屈で..w
みんなが何時間も曲作っている中で、俺はやることがない。でも出来上がった曲達はかっこいいねと思っていた。
人生にどういう意味があるかというと、学生時代のバンドにハマっているときって何も意味なんて考えてなかった。ギャンブルやってるときみたいな、脳内麻薬が出まくってる状態だった。それに従ってただただやっていただけだったのかなと。
バンドやってる最中に「意味」とか考え出しちゃうと、意味ねーな、、とか思ってやめていくんじゃないかな。
何も考えず突き進めているときが、バンドやっているってことなのかなって思います。

Kentaro Hosoi (Ba) :
僕が1st出たあと、誘われてバンドに入ったんですけど。ウーピーズでライブ見た時に、最初とは別次元のバンドになったな、入りたいなと思ったことがあって。でもパート空きないしなとか。
その後やったことないベースで入ったんですけど。
その時、すごく印象的だったのは、スタジオで「ここのパートのコードってAかな?Eかな?」って清人に聞いた時に「いや、コード名わからへん。コードとかほとんど知らん」とか言い始めて、「じゃあKojiroこっちはどう?」って聴いたら「いや、俺もコード知らん」とか言い始めて... それすごいビックリして。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
リフなら知ってるで。

Yosuke Higashi (Dr) :
いわゆるコードって使ってないよね?
オクターブとか、一個一個手がつりそうなコードを考えて行ったんだよね。コード開発をしているみたいな。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
かっけえコード出来た!でも弾けねえ!みたいな。

Kentaro Hosoi (Ba) :
そうやってコードとかを伝えずに... 全部自分たちで作ってきたんだなとそのときわかって。これは相当に時間のかかるバンドなんだなとw
これはこれで作曲の意思疎通大変だなと思ったのを覚えてて...。
そうやって自分たちの音源を出してライブして、その活動の中で友達とか出来たりとか、すごく意味があったと思います。繋がりたくてやってたわけではないけど、結果として。
yarmulkeはそういう大事なことを示してくれたバンドだと思います。
あと、1stの熱量はやっぱりすごいと思っていたので、それがもう一度世に出るのはすごく嬉しい。

Kiyoto Sasaki (Gt) :
締めっぽい!

3LA:
ありがとうございます。良いインタビューになったと思います!



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