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番外編) ディスクレビュー: st / 結束バンド / 2000年代的楽曲のダサさと青さ / 出来れば世界を僕は塗り替えたい / 音楽は世界を変えることができるのか?


st / 結束バンド (CD)

 拙者はオタクではござらんのですが、今期のアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は非常に良きアニメだと思いました。女子バンドもののアニメと言えば、もう10年以上も前ですが京都アニメーションの「けいおん!」という作品があって、それも神のようなアニメだった気がしますが、本作はそういった名作アニメと別の軸で心に残るものがありました。このレビューで取り扱うのはその作品のOP/EDや劇中で使用された作品集ということになります。ちなみに、結束バンドという劇中バンドの1stアルバム、という解釈はおそらく難しいと思う。ぼっちちゃんが最後のトラックに自分ボーカルの歌入れるとは思えん。

2000年代的楽曲のダサさと青さ

 本作は制作陣が過去または現在も現役のバンドシーンで活躍している人脈で制作されているらしく、基本的にボーカル、ギターx2、ベース、ドラムス、という編成のみで多重録音は最小限で本物のバンド感のある曲たちなんだけど、その人たちの2000年代価値観が濃厚に反映されたであろう曲たちは正直言ってしまうとダセェ…聴いていて恥ずかしくなるほどに。ただ原作中でも、登場人物たちのファッションセンスやネーミングセンスなどの「ダサさ」は描写されているため、この楽曲から滲み出る2000年代のダサさすら自然というか、実際にそうなんだろうなという謎のリアリティに一役買っている。「ぼっち・ざ・ろっく」良いわぁ!と言っている人はいても、「ぼっち・ざ・ろっく」の曲が良いわぁ!って言っている人は少ないと思う。(※個人の感想です)

 おそらく比較されるであろう「けいおん!」の楽曲、演奏のクオリティの高さは当時も話題になっていた気はするが、けいおんの場合は劇中でもそれらを「かっこいいもの」として描いているので、本作はそこが明らかに違うのだなと思う。楽曲の質感としては「けいおん!」も「ぼっち・ざ・ろっく」もどちらも2000年代的だが、2020年代の今に描かれるアニメの曲としてしっかりダサい、というのが結構重要な気がしている。登場人物の元ネタとなったアジカンはもちろん、この曲はちょっとBUMPっぽいよね、とか、ここはモロにthe band apartじゃんとか、この言葉の詰め込み方は川本真琴感あるなぁとか、この曲ちょっとエモっぽくない?とか。そういう要素がもうすべてダサい。

で、「なにが悪い」って感じですが。  

 悪くない。そもそもとして曲がめちゃくちゃにかっこよくて今風である必要はあるのか?と思うと、答えはNOだ。バンドをやること自体がもはや格好良いものとして認識されなくなったこの現代、楽曲レベルが云々という話は「ぼっち・ざ・ろっく」の本筋としては全く問題ではなく、楽曲レベルが高すぎると本質とはズレたところの話題になってしまう。むしろこれくらいがちょうどいい。それよりも、初バンドで感じることの青さ、心打たれるポイントとしてはやっぱり「バンドっていいよね」という瞬間だったりするので(これもうディスクレビューじゃねえな)、パラメーターでいうとその一点強化型アニメで突き抜けているのが素晴らしい。このダサい曲たちを聞くたびに今後「ああ、あのアニメめっちゃよかったな」と思い出すのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=f4i6Pi2KQh0

 
 ちなみに拙者が好きなシーンは初ライブで緊張してる状態で演奏がバラバラで合わなくなっているときにぼっちちゃんがギターソロぶっ放して全員をまとめあげるシーンですな、あのシーンって演奏力云々じゃなくて「バンド」だよねって思うんですよね、ぼっちちゃん頑張った。そういう描写って「けいおん!」では無いんですよね。なぜなら、あのアニメは日常系でキャラクターが努力するアニメじゃないから。全員が陽キャだし学園生活を謳歌しているし、楽器も演奏もうまいし、なので音楽のアニメではあるけどバンドのアニメではないですよね。ぼっちちゃんは最初はコミュ障の陰キャでしかないけれど、途中から目標を持って努力していく。この差は歴然。


出来れば世界を僕は塗り替えたい / 音楽は世界を変えることができるのか?

 「出来れば世界を僕は塗り替えたい」の歌詞から始まるアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」のぼっちちゃんvo版がEDに流れて本編は幕を閉じる。ロックンロールは世界を変えることができるのか?というと、それは幻でしかない。俺もいつかは、なんてギターヒーローを夢想し、自分本位なワナビー的妄想に囚われているぼっちちゃんは、バンドという集合体に参加することで、周りの演奏に合わせることを学び、メンバーとの交流の中で変化していく。

 通常の社会生活を送ることの出来る人間は、学校や職場など、それぞれの領域で学びがあり成長がある。人と人との関係性の中で生きがいを見出すことも少なくない。しかし、その最初の段階から引きこもってしまった陰キャには、その学びの機会が訪れることは少なく、同年代で成長していく周りとのギャップは広がるばかりなのだ。周りが当たり前に出来ることができない、自分はだめな人間なんだ。そんなアウトサイダーを受け止めるコミュニティとしてのバンドシーンという側面は少なからずあると思う。音楽やバンドをしていく中で、周りからは遅れていても、社会性を学んだり、演奏の中で得られる高揚感に生き様を見出し、結果的に"救われて"いく。

  よく音楽で世界を変える、というような言葉を使う人がいるけど、音楽を通して変わっているのは自分であって、自分が変わるから世界の見え方が変わっていくということだと思っている。その意味では人間はひとりひとりが神だ。他人に自分の主張だけ叫んでいる人間が、何かを変えられるだろうか。他人を変えるなら、まずは自分から。
 アニメはきっと2期もあるだろう、1期の終わりはそんなぼっちちゃんの世界が少しだけ変わった(凍てつく世界を転がるように走り出した)、そんなところで終わった感じだろう。あ、そうか、だから最後のこの曲は結束バンドとしてではなく、後藤ひとりのソロ的解釈のほうがスッキリするってことか。

最後の「今日もバイトか」ってセリフは日常に戻ったのではなくて、ぼっちちゃんの世界が変わったってところ。ここは原作にない表現だったんだけど、制作側がアジカンの曲の解釈を原作とリンクさせた、アニメならではの表現でとても良かった。

 ちなみに原作のコミックは、アニメほど感情の細部を描写しているわけではなくて、もっとバンドあるある的なギャグさがあって、こっちはこっちで面白いです。Amazonでぜひ。いま1〜5巻まである。俺は買いました。


わかってます、もうディスクレビューになっていないことは。
でも結束バンド良かったんで買ってください。



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3LA -LongLegsLongArms Records-
web: http://longlegslongarms.jp/
bandcamp: https://longlegslongarms.bandcamp.com/




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