嫌な記憶は現実に侵食する

人は皆そうだと思うが、嫌な記憶とは簡単には忘れない。ふとしたときに、その時の感情が胸に広がって、過ぎたことへの怒りや悲しみに支配される。

それがまたぶつける場所もないものだから困る。

私は傷を伴う情景を忘れられない。

想い人と行ったイラストレーターの展示会。
そこでたまたま出会った彼の友人に、彼は私を友人だと紹介した。私は愚かにもその時初めて自分の立場を理解した。彼が私とは手を繋がない理由も、あまり外へは遊びに行かない理由も、その時初めて理解したのだ。

前夜、彼はベッドの上で私のことを大好きだと言ってキスをした。

私は今でもその時、その友人の着ていたシャツの色を忘れられない。

そのシャツの色はどちらかといえば好きな部類なのに、しばらくその色が嫌いで仕方がなかった。
その色を見るだけで、涙が出そうになった。
そのイラストレーターの絵も好きではなくなってしまった。

嫌な記憶に付随する記憶の端々すべてが、確固たる理由もなく嫌悪の対象になってしまう。

こうして私の世界は狭くなっていくのかと、16歳なりに思った。

これは私の矮小さ故なのかもしれないけれど。

もちろん、口に出して嫌いだとは言わない。
私を傷付けた人が好きだったアーティストは今でも嫌いだけど、そのアーティストはなにも悪くない。もっと言えばそのアーティストを好きな他の人も何も悪くない。そのアーティストを嫌いな理由は音楽性でも私自身の好みでもない。ただ、嫌な記憶を呼び覚ますからだ。だから嫌いだとはあまり口には出さない。

誰かが楽しそうに話すそれを聞きながら胸のうちにふつふつと湧く不快感をどうしたら拭えるのかをいつも考えるけれど解決策が出た試しなんてない。

私の世界はこうしてまた狭くなる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?