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時間をかけずに美味しい料理を作れるようになるには

えーこんなに美味しくない料理を作るために随分時間をかけてしまった。あーこれならレトルト食材でも使って、余った時間は好きなことすりゃよかったなあ。
と、思うことがある。

自分の料理の手際の悪さに落ち込み、
自分の要領の悪さに自己嫌悪に陥ることまである。

結婚前、実家にいた頃、
母ならもっとバーッとやってガーッとやって、ちゃんと料理されたおかずを品数多く出していた。
「バーッ」とか「ガーッ」てなんぞ?
というと、料理を仕上げる素早さのイメージを効果音にしてみた。

なぜ母は料理を素早く仕上げられたのか?
私ができていなくて、母はできていたこと。
目分量だ。

私は目分量が苦手だ。何度も何度も味見して、調節して、結果出来上がったものは、薄くてまじい、か、濃くてまじい。
味の調節に時間もかかるし、こんなもんかしらと考える分疲れる。
その失敗の積み重ねの結果、主菜から副菜から何から何まで、レシピを見て作るようになってしまった。
レシピに頼り、失敗しない安心がほしいのだ。

しかし、レシピを見ながら作ると、レシピを確認して分量をキチンと計ったり、レシピと手元を交互に確認したり、その分時間がかかる。
おまけに食材の量が微妙に違ったり、火加減が違ったり、そもそもそのレシピが自分の思っていた味付けではなかったりすると、「まじい」となる。

結局、私が作る料理は、目分量だろうが、レシピだろうが、まじくなるわけだ。悲しい。

しかし、私だって料理の腕を上げたい。主婦力を向上させたい。家族に美味しい料理を提供したい。

そのために、目分量で作る料理を増やしていくことにする。
目分量で作った料理を美味しく仕上げられるのは経験数だと思うからだ。

副菜からでいい。「まじい」を繰り返してもめげない。繰り返す内にきっと、うん、こんなもんだ、と決まる感覚を身につけられるはず。

数回作ってまじいからと、何でもかんでもレシピに頼ってしまうようではいけない。
それでは、バーッとガーッとやっていても美味しい料理を作り上げる母のようには、いつまでたってもなれない。

私が「うんめぇ~」と思う母の味があるように、
家族が「うんめぇ~」と言ってくれる、「これが私の味だ!」と胸を張って食卓に出せる、そんな料理を増やしていきたい。

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