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一時帰国:娘との再会(その1)

日本に一時帰国して、最初のミッション『妹が出かけている間に甥っ子姪っ子とお留守番をする』は無事に完了した。

最初のミッションは完了したので、次のミッション『期限が切れてしまった免許の更新』の為に、東北の実家へ向かうことにした。

実家は東北の端っこにあるので、成田にある妹の家から行く場合は、東京から夜行バスに乗るのが最も良い。飛行機でも新幹線でも、主要駅/空港に到着後、さらに結構な移動があるが(東北の県は広い)、夜行バスはまっすぐ最寄りまで行けるし、片道5,000円~1万円程度で価格もリーズナブルであるからだ。

8月6日がお留守番であったため、次の日の8月7日の日曜日の夜には実家に移動しようとバスを予約しておいた。日曜日の昼頃には東京に出て、バス停の周辺でゆっくり待っていようと思っていた。


ところで、日本に到着したその日に、元夫の所に荷物を送っているため、元夫には私が日本にいる事は知っていた。荷物到着の連絡があって、その時に会う事を提案してきた。私も親権の事などを話し合う必要があったし、何よりも娘に会いたかった。

元夫と娘は東京に住んでいるので、成田からは遠い。そのため、この夜行バスに乗るために東京に出る機会に会おうと考えた。

バスは上野から出発するので、分かりやすい目印として、元夫は上野駅のハードロックカフェを指定してきた。


日曜日、甥っ子姪っ子に見守られながら、17時前の電車で出発した。

上野までの行き方を妹が調べてくれたが、京成線で(京成)上野駅にまっすぐ行ける電車があって、予定していた電車に乗れて、ほっとしていた。

よし、このまま乗っていれば上野に着くんだ。

途中、どこかの駅で一度停車した。成田から東京に向かう電車は主要駅で各駅停車から快速や特急に乗り換えると早く着く場合が多い。この時も、東京行きの各駅停車と特急の乗り換え案内であったようだ。

東京に行く私はここで一度降りて特急に乗り換えればスムーズであったようだが、アナウンスがよく聞き取れず、乗り換えするチャンスを逃してしまった。

「どのみち上野が最終駅だし」と思ってのんびりしていると、東京に入ってからどうやら押上から都営浅草線に入ってしまったことに気づき、慌てた。

乗っていればまっすぐ上野に行き、それが最後の駅だと思っていたが、違ったようだ。

慌てて記憶をフル回転させて、上野に行くメトロや都営線はどれだったかを考える。確か上野は銀座線と日比谷線だったら行けたはずだ。電車はその時、都営線の本所吾妻橋にいた。次の駅・浅草で降りると、銀座線に乗り換える事が出来て、上野に行ける。

地下鉄になってしまったため、wifiが遅くなっていて、あまりちゃんと都内の路線図が確認できなかったが、思い切って、浅草に着いた時に降りてみた。

駅で路線図を確認し、上野に行ける事を確認できたが、残念ながら元夫と約束していた18時には後5分しかなく、残念ながら間に合わない。そんなに会いたい相手ではないが、時間を守れないと何か言われそうで嫌である。

元夫には遅れそうであることを連絡し、乗り換えの為に歩き始める。荷物は一番小さなスーツケースだけにして正解だった。大きなスーツケースをもって移動するのは大変である。

インドに来る前は東京に住んでいたので、ある程度の記憶を頼りに一度改札を出て、メトロに乗り換える。上にあるサインを頼りに進んでいるのに、なぜか改札を見逃してしまい、戻ったりしながら、やっと銀座線に乗り換えた。

『東京の駅ってなんでこんなに複雑なの。でもこれを設計した日本人ってすごい』、と感心してしまう。

上野駅には5分程で到着した。

遅れているのですぐに動き始めたい気持ちはあるが、それを我慢して、出口を確認する。上野駅みたいな大きな駅で、出口を間違えて出てしまったら、その後が大変だ。

上野アトレの方に進み、待ち合わせのハードロックカフェに来たが、お手洗いに行きたかったので、元夫と娘には到着時間を少し遅らせて連絡していた。

一度お手洗いに行って、荷物を整理し、自分も少し気持ちを整える。

娘はどのような反応するのだろうか。

ずっと会いに来なかった母親に対して怒っているだろうか。

それとも、嫌いになっているだろうか。

日本に戻らない選択をしたのは自分なのに、娘に嫌われる事は何よりも怖かった。


待ち合わせ場所に戻って、到着連絡をして二人を待つ。待ちながら、きょろきょろと周りを見回し、それらしき人影を探す。

しばらくして、右手に二人が現れた。

娘はちょっとふっくらして、もう夫の肩を超えるぐらい大きくなっていた。

やっぱり嬉しくて、手を握り、「大きくなったね」と言うと、顔を元夫の方に向けてボソッと何か言った。

よく聞こえずに、聞き返すと、「もう、ママより大きい」が、娘の第一声だった。

娘の様子を良く観察したが、別に怒ったり嫌がっている様子ではなかった。


お土産を渡したり、元夫にも形式上の挨拶をしたりした後、どこかに座ることにした。バスの出発は22時だし、二人の近況も、娘のアメリカ行きの事も聞きたい。

元夫は「ハードロックカフェは高いからここには行くつもりない」と言う。まあ、私だって別れた相手とこんな高いところ来たくない。

上野駅にはたくさん店がある。私もお腹も空いてきたので、歩き始めた元夫と娘について行きながら、この辺にある店の記憶を掘り起こし始めた。ところが元夫は「浅草に行く」と言い出した。しかもタクシーで。

え、浅草に行くんだったら、教えてくれれば手前で降りたのに。。。

「浅草はメトロで5分もかからないし、メトロで行こうよ」と言うと、

「俺たちはいつもタクシーで移動するんだ。安全だから」と返って来る。

「お金もかかるし、メトロで行こうよ」

「コロナの間もずっとタクシーか車でしか移動していない。俺がずっと交通費を払って来たんだ」と言われ、あきれるのとむかついたので黙ってしまった。

さっさとタクシー乗り場に行き、乗り込んでしまったので、仕方なく後からタクシーに乗り込む。

今通ってきた場所にわざわざタクシーで戻るムダ。

今まで、子供たちの生活費や学費を払ってきてもらったことに感謝はしているが、この移動の為にタクシーを使うのであれば、お金の使い方へ方針が私とは違うであろうことが分かる。


浅草に向かう途中、元夫は「実家にはいつまでいるんだ」と聞くので、「免許の更新があるから、1週間ぐらい」と答える。

「東京には戻って来るのか。(娘に会いに来るのか)」とも聞かれたので、「月の後半には東京に戻ると思うから会いに行く」と答えた。

娘に嫌われるのが怖かったし、元夫に会ったら何を言われるかが怖かったが、一度会ってしまうとそれらへの恐怖は払拭された。日本にいる間に会いに行くことに躊躇はない。

浅草について、店を探して歩き始める。

私は話ができればよかったので、カフェのつもりだった。子の3人でごはん食べても落ち着かない。

しかし、元夫は3人でごはんのつもりだったようで、レストランを探していた。

別にそんなに仲良くごはん食べて話したりするつもりは無かったが、「娘もごはんを食べる必要がある」と押し切られて、しぶしぶ居酒屋風のお店に入った。

(続く)






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