一時帰国:娘の第一歩
前回のnoteでは、富良野・美瑛めぐりに北海道に住む私の友人家族と出発したところまでだった。
富良野でお花を見て、美瑛に行く途中でお昼にお蕎麦を食べて、美瑛駅前のお土産さんを散策した。
お昼のお蕎麦がはずれだった元夫は、美瑛に着いてからセブンイレブンでおにぎりなどを買っていた。(食事制限で食べられないものが多数あるが、お蕎麦は大丈夫なはずであった。だが、夫が好きな温かいお蕎麦が無かった。)
美瑛で思い思いに過ごした後、次の目的地、白金の青い池に向かう事にした。
ここはApple社の壁紙になった事がきっかけで有名になったそうだ。
目的地に近づくと、駐車場に入ろうとする車が長蛇の列をなしていた。
列の長さに「うわあ・・。」と思ったが、意外にも列はどんどん進んで、あっという間に駐車できて、降りる事が出来た。人が多くても、列が長くても、進んでいれば心理的負担は少ない。
人が動いている方向について行く。
池まで来ると、木々の間から、ちらりと青い池が見えた。
道が狭く、右側は池なので1列にならなければいけない。娘が前にいるので、娘の赤いリュックを見ながら進むと、徐々に池の全容が見えてきた。
エメラルドグリーンに近い色の池が広がり、その合間に白樺の幹が乱立している。木々の白と池の淡い緑色のコントラストが美しい。ついつい私も写真を何枚も撮ってしまった。
池はそこまで大きくないのだが、かなり近くまで(柵が無い箇所もあるので、時には落ちそうになりつつ、笑)寄って見ることができる。また、池の半周近くをぐるりと見ることができるので、結構満足できる。
他の人も同じく、写真を撮るのに夢中で、足を滑らせている人を時々見かけた。危ない危ない(笑)
池の周辺を周った後、どのようにしてこの池ができたのか(なぜこの様な色をしているのか)を説明するボードがあって、興味深く読んだ。
説明はこちらのサイトにお任せします。
しかし、自分が撮影したどの写真もこれと同じぐらい美しく撮れていればいいのだが。。。。
この池を見て周っている間も、娘は時々虫を見つけては「XXがいる。あれはYYYかな?」などと言っていたので、友人は「ああ~こんなに虫が好きならキャンプとかもよかったよね~」とちょっと悔しそうであった。
でも、次の楽しみができたと思えばいいよね。
散策コースの最後にはトイレとお土産屋さんがある。
トイレに行きたい人は順番に行くことにした。子供連れの時、大人が多いと交代で行けるし、交代で子供を見てられるので助かる。
私は、外出する時はきれいなトイレがあるところでは毎回行く様にしている。トイレに行っておけば、車の中でトイレに行きたくなる可能性も減るし、行きたい様な気持ちになっても「トイレ行って来たから、気のせい」と暗示をかけることもできるからだ(笑)
インドではきれいなトイレがあるところはまだたくさん無いので、この様な習慣が確立されてしまった。
この時のトイレは数も少なかったためか、かなり混んでいたので、戻って来るまで結構時間がかかってしまった。やっと戻ってきた時には、数名がソフトクリームを手にしていた。
旅先のソフトクリームって美味しいよね。
ここは青い池のソフトクリームなので、ソーダ味とのミックスになっていた。ソフトクリームは溶けるのが結構早いので、子供たちはみんな下の方から舐める様にしながら一生懸命に食べていた。
もう、日没も近いので、最後にこの池の上流を見て帰ることにした。
車で移動する事、約5分。
橋が架かっており、そこから、先ほどの青い池と同じ色の水が流れているのが見えた。池もきれいだったが、私はこのような上流の眺めが好きだ。たいていの場合、水がより澄んでいて、より清潔な空気が流れている気がする。
さて、この景色をさらに上からも見ることができると言う。
その為には階段を500段程のぼる必要があるけど(笑)
「え。。。私待ってる」とお断りしようとしたが、男性陣(元夫、友人の旦那様、友人の息子君)は全員待ってると言い出し、女子たち(娘たち)が行くと言い出したので、仕方なく保護者二人(私と友人)が階段をのぼる貧乏くじを引いた(笑)
しょうがない、と覚悟を決めてのぼり始める。
娘たちをぜえはあいいながら追いかける。
この階段は約500段程あるらしいが、100段ごとにクイズがあって、全員で考えながら進むのが楽しかった。
(なかなかよく考えてあり、例えば100段目にクイズが書いてあって、200段目にそのクイズの答えが書いてある。答え合わせしたければ上り続けないといけないのだ。娘たちも、これで結構やる気に火が付いた感じがする。)
ついに全部の階段をのぼりきって、そこから周りを眺める。
だが、
橋の上からはちょうどよい角度で見えた景色も、遠すぎて小さくしか見えない。
全員で「え~なんだよ~。。。」と笑いながら文句を言った。みんなでクイズを考えながら階段を上るのが楽しかったからいいかな。
階段を降りてみんなの所に戻ると(500段もあると、降りる時の方が危険)、男性陣はおとなしく待っていた。息子君は旦那さんに抱っこされてちょっとうとうとしていた。(友人によると、いつも抱っこなのだそう。)
日も沈みかけているので、ぼちぼち戻ることにした。
高速道路を走っていると、段々暗くなってきて、今日の疲れもあって全員が交代で寝落ち。その中でずっと運転してくれた旦那様に感謝。
旅は準備や目的地に行くまでが一番楽しいと思う。今、こうやって、帰路に着くと、楽しかったけど、どことなく寂しい気持ちもある。
今日一緒にいる間に、友人から同じ高校の同級生たちがどうしているかを教えてもらった。(私と友人は高校の同じクラス)
もう名前を聞いても思い出せなくなってしまっている子もいたのだが、色々な人生がある。
聞いていると、同級生(同窓生)の何人かは離婚して実家に戻っているらしく、離婚して生活の為に実家にもどったが、地元では仕事の数も少ないので困っている、と典型的な状態の人が多い。
彼女たちの多くは高校では成績もよく、レベルの高い大学に浪人することなく入学していたはずなのに、卒業後20年もしてみると、苦しい状況にあるらしい。もったいないし、残念だ。
一方、私や友人は高校の時の成績はあまり(と言うか、全然)よくなかったが、友人は今は薬剤師だし、私も少なくとも仕事がない状態ではない。他の同級生たちも、進路を上手に変更したり、夢をずっと追いかけたりして、今はしっかり独立している。(起業しているという意味ではなく、好きな事をして、生活も成り立っている、という意味。)
高校の成績や大学のレベルが将来を確約してくれるわけではないのだな、としみじみ思うのだった。
夕ご飯を食べてからホテルに送ってもらった。もう夜の9時ぐらいで疲れていたが、どことなく名残惜しい。
娘と元夫が用意したお土産を渡して、また会おうね、と約束して別れた。
結局、娘たちは一度も直接言葉を交わすことはなかった。今回のメインイベントはこの二人を再会させることだったのだけども、感じることは何かあったのかな。
翌日、突然娘が「ママ、娘ちゃん(友人の娘さん)にメールするならなんて書いたらいい?」と言い出した。
おお、昨日一言も会話していないのに、何か感じる事はあったんだね。
「友人として距離を縮めたい」と考えている事を、表現する決心ができたのであれば、大きな一歩だと思う。娘の成長を嬉しく思う。
娘には、「簡単な一言でいいからメールを送る事が大事だし、相手も喜ぶと思う。」と伝えた。
いつメールを送信したのかは分からなかったが、娘が一歩踏み出そうとしている事が分かってとても嬉しかった。
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