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申請、再チャレンジ

(今、一通り書類の確認をした後で、待ち時間が発生したので、FRROの待合室でこれを書いている。)

この申請に関しては、前回は宣誓供述書の作成を夫にお願いするしかなく、住所がばれることを恐れながらお願いした所までを書いた。

本日は、すべてを用意して、再度のチャレンジ。もう12月も半ばなので、こちらも気合が入る。(期限は12月末)数日前から、書類を印刷し(念を入れて複数セットを用意)、自分の証明写真を用意し、銀行の場所、小切手帳の準備、FRROまでの道のりを入念に確認した上で臨んだ。

・・・なんか、上だけ読めば、何をしに行くのか分からないが、ただのビザの申請だ。

ところが、ここはインド。ハプニング満載の国。

当日になって、同じソサエティに住んでいる友人が、その場所にメトロで行くなら、途中まで車で行ってはどうか?と提案してきた。最寄りの駅からすべてメトロで行くと、約2時間だが、途中まで車で行けば、メトロに乗っているのは約40分だ。ハブの駅までは車だと20分程度だし、この駅はちゃんと有料の駐車場がある。(以前、レッカーされかけているので、お金払っても安全を取りたい。)

ここに来たからには、エリアを知らないといけないし、車の運転にも慣れないといけない、20分の所を、1時間ぐらい猶予見れば大丈夫か、と思ったが、出かける時に肝心の車のキーを忘れて出てしまい、さっそく出鼻をくじかれる。

その後、大きな幹線道路に乗らないといけないのだが、そこに行くまでの小道で迷い、40分近く経過。9時前に余裕をもってメトロの駅について、ゆったり行くつもりだったのに、駐車場も、メトロに乗るのも大慌てになってしまった・・。

それでも、予定通りに10時にはFRROの最寄り駅に着き、前回、もめた銀行にてDD(定額小為替)を作成した。今度はこちらも申し込み書を入念にチェックしたので大丈夫なはずだ。

DDの作成を待っているうちに、予約の10時30分を過ぎてしまったが、電話したのに出ないので仕方がない。このまま行こう。

アポイントは10時半だが、余裕で過ぎて、10時45分にFRROに到着。もう部屋を知っているので、ずんずん進んで部屋に行く。部屋に入り、一通り用意していた書類を出す。

「配偶者のパスポートの最後のページが無い」「結婚証明書が小さくて見れない」などあったが、夫のパスポートの最後ページ以外は準備できていたので、ここでアメリカにいる夫にビデオコール。アメリカは夜中の12時半だ。すまん、夫。

夫は待っていたので、すぐに電話に出てくれた。

私がOCIの申請をすることに合意する事、足りなかったパスポートの最後のページを見せて、ビデオコールは終わり。

これで基本的に申請の受理はOKになったも同然だった。

その後、指紋と虹彩のデータを取得し、残りは、アップロードが必要な書類をその場でアップロードし、それらの書類を一式を印刷したものにサインをして完了だ。

1か月以内にFRROの係員が家に来て検証するそうだ。その間、仮に12月末になってしまっても問題なく、仕事も続けられるらしい。

私は、ほっと胸をなでおろした。

今回は夫には本当に感謝している。海外にいるのに、離婚すると言い張っている妻の為に宣誓供述書の作成など面倒だったろうし、夜中に待ってて電話に出てくれたのだから。

ここで、「やっぱり夫しかいないわ!」と私の気持ちが動けば素敵なドラマにでもなるのだろうが、離婚はやめるつもりは無い。人間、良い面と悪い面を持っていて、今回の対応には心から感謝しているが、だからと言って、また元の様に一緒に夫婦として一緒に暮らそうとは思わない。

願わくば、離婚したとしても、子供たちの事については協力できる体制で、ぎすぎすしない関係が理想だが、それは欲張りと言うものかもしれない。

とにかく、最初のハードルは超えた。

次は、郵送されている書類の対応、その後は、月末に予定している裁判所での離婚手続きだ。

乗り越えられるから試練が与えられてると信じて、がんばるしかない。


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