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一時帰国:娘との再会(その2)
数年ぶりに再会した娘と元夫と共に、上野で待ち合わせしたのに、浅草の居酒屋風のお店に入った。
そこは店に水槽があって、新鮮な魚介類が食べれそうなお店だった。
元夫と一緒じゃなかったら、新鮮な魚をつまみながらゆっくりお酒をのみたかった・・・・。
さすがに分かれた相手の前でお酒を飲みたいとは思わない。
席に着く時に、誰がどこに座るか、一瞬躊躇したが、元夫が勧めてくれたので、私と娘が隣同士になった。
娘が再会後の最初の一言で言った通り、すっかり大きくなり、隣で座っても同じぐらいの背丈だ。
娘は元々非常に恥ずかしがり屋で、言葉でのコミュニケーションが苦手なタイプだ。私も似たようなところがあるし、娘にはどう声をかけていいか分からなくて、若干の沈黙が落ちた。
反対に、元夫はそんな事を意に介するタイプではなく、近況や今回の帰国のスケジュールを聞かれたので、素直に答える。
元夫は、病気になって食事制限などがある事を話し始めた。
そして、おもむろに、娘に持たせていた薄汚れたピンク色のスポーツバックを引き寄せ、今までの血圧やその他の数値のレポートを見せてくれた。
別れた相手の健康についてのレポートを見せられても。。。。
どうしろと。それにこれを持って歩いているのか。
しかもその中にはレポートだけではなく、色々な食品、コップ、ナイフなどが入っていた。食事療法が必要であるため、持ち歩いているのだと言う。
離婚がこの状況を引き起こしたことは分かるので、若干の罪悪感はある。
しかし、私も考え抜いた末に離婚を選択したので、この罪悪感は自分の中に収めようと思う。
(注:夫は離婚の手続きには一度も顔を出していないので、離婚が決まったことは知らないと思われる。)
延々と語られる夫の健康における苦労を聞きながら、私と娘でメニューを見る。
「何食べたい?」と娘に聞くと、
「シラナイ」とメニューを見つめたまま答える。
まだ心の壁があるんだろうか、と、少しがっかりしながら、メニューを決めて注文する。
元夫は「俺はごはんと魚と枝豆と豆腐しか食べられない」と聞いてもいないのに教えてくるので、しぶしぶ食べられるものを確認しながら、私と娘で色々と提案する。
元夫は「これはダメ」「あれもダメ」と色々とうるさい。
サラダに入っているじゃこは無しにできるか?とか、
ドレッシングに何が入っているのか?とか、
別添えにして出せるか?など、店員さんに確認もする。
健康にかかわる事だから妥協できないのは理解できるが、こちらも気を使ってしまい、正直面倒である。
甥っ子姪っ子の目を気にしないで食べられる初めての夕食なのに、今日も気を遣う。やれやれ。
元夫が注文したものが一番シンプルなので、先に出てくる。
元夫はいつも「みんなが出てくるまで食べない」と待ち、同時に家族にもそれを暗黙のうちに要求する。
「みんなで一緒にいただきます」は素敵な事だが、それによって、料理が冷めてしまったり、麺類だとのびてしまって美味しくなくなってしまったり、美味しい状態で食べられない人も出てくる。
そして、温めなおしをするのはこちらだった。二度手間じゃないか。
そこまでして「一緒に」を強要する必要があるのか?私は来た順番に食べればよいのではないかと思っている。
一番おいしい状態で出されているはずなので、出てきたらすぐにいただくのが料理に対する礼儀じゃないかと思うのだ。
そんな事を思いながら、一番聞きたかった、娘のアメリカ行きの話を聞いた。
来月の9月から、娘はアメリカの学校に転校するのだと言う。(日本に来る直前になって分かった。)アメリカのニュージャージー州の歴史ある女子高で、8年生として入学するのだそうだ。
アメリカの新学期は9月だ。今は8月だから、もう今月末には出発しないといけない。詳しい話を聞きながら、もう娘も8年生なのか、などと思ったりする。
最初の注文を食べてしまい、追加の注文をする。
「娘ちゃんは何食べたい?」と聞くと、「ポテト」と一言だけ返って来る。一応、コミニケションはできつつあるようだ。
娘の様子を見てると、タコ焼きも気になっている様だったので、
「注文したら?」と言うと、
「全部食べれないかもしれない」と言うので、
「残ったらママがもらうから、注文したら?」と言うと、
娘は、こくん、とうなずいて注文したのだった。
やっと、何かが通じた様な気がした。
ご飯の間を通して、元夫は延々と、いかに家を出てから大変だったか、健康に問題があったか、それをどのように回復させたのか、などを語っている。
話半分で聞きながら語らせておいた(笑)全部聞いていると1日あっても足りない。
食事も終盤に差し掛かると、お互い緊張もほぐれてきたので、元夫は本題に移った。
それはもちろん、私は家に帰って来るべきだ、と言う事だ。
何度かnoteでも書いたが、元々は夫が家を出て行き(離婚の申し出に耐えられなかった様だ)、その後、夏休みだけのつもりで子供たちを行かせたら娘が帰って来なくなり、その数年後には息子も呼び寄せてしまったので、結果的にインドには私と猫たちだけが残されたのだ。
別に私が家を出て行ったわけではないのに、帰って来いと言われる理不尽。
とりあえず、今年の11月には退職するつもりである事、その後は少し休もうと思っている事など、今の予定は隠すことなく伝えた。
元夫は「今の部屋はアメリカに行っても借り続けるし、来年には家を買おうと思っているから、戻って来い」と言う。
子供たちの事は気になるが、それには即答はしなかった。
また、「会社で稼ぐのもいいが、もしお金が必要なのであれば、方法を教える」と、何かの勧誘であるかの様に言う。
確かに、元夫はたくさん稼いでいるし、それで子供たちの学費も担っているのだから、文句は言えない。ただ、今まで元夫が「やりたい」と希望した事業は失敗しているし、その尻ぬぐいはいつもこちらだった。
その上、元夫に協力してもらうと、後で「あの時、助けてやったのに」とか、「あの時、あんなにお金出してやったのに」と言い出すので、できるだけ関わり合いになりたくないのだ。
だから、その申し出にも明確な返事はせずにおいた。
元夫の立場からすれば、私のせいで人生を狂わされたのに、まだ、手を差し伸べてやっている状態であるので、ありがたい事ではあるが、
ほどほどの距離を保ちながら、この関係を続けたいと願っている。
(少なくとも子供たちが成人するまでは、連絡を取る必要があると思っている。)
お腹もいっぱいになったし、20時を過ぎたので、店を出て上野のバス停に向かうことにしたのだった。
(続く)
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