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一時帰国:娘の出発を見送る

8月に日本に一時帰国して、日本国内を色々と巡った後、その月の下旬には東京に戻っていた。

東京に戻った後は、元夫の好意に甘え、元夫と娘が住んでいるところにしばらく泊まらせてせてもらうことにしたのだが、部屋の状態にかなり驚いてしまった。

あまり心地よい部屋ではなかったが、もうすぐアメリカに出発する娘と一緒に過ごしたかったので(そして節約の観点からも)、我慢してそこにいることにした。


一時帰国をしようと計画を練っていた7月に、元夫から「娘と一緒にアメリカに行くことにした。」と連絡が入った。

ええ、そういう重要な事は、検討の段階から教えてください。。。。

娘は東京の江東区にあるインド人学校に通っていたのだが、元夫が色々と計画していたらしく、7月にやっと娘の入学許可が出たのだそうだ。

アメリカ行きの連絡には驚いたが、娘がアメリカの学校に行くことについては、私は賛成だ。

娘は日本語が苦手だし、かなりシャイな性格だ。(レストランでの注文ですら、できない時も多い)その上、日本人が無意識のうちに要求する「察する能力」「それを表現する能力」に欠けている。

また、娘は日印ハーフなので、やはり生粋の日本人とはちょっと見た目が違う。「みんな同じ」が好まれ、「出る杭は打たれる」文化の日本では、娘の良さが伸びないのではないかと思っていた。

日本の文化が悪いと言っているのではない。この風土に合わない、成長しづらいだろうと思うのだ。

私もアメリカの全てを知っている訳ではないが、英語でコミュニケーションができて、思っている事をはっきり伝える文化であり、様々な人種が当たり前の様に隣にいる環境の方が、娘には合っているのじゃないかと思う。

(まあ、義理の母&妹の所に行くだろうから、アメリカの中のインド人コミュニティに入ることにはなるのだろうけども。。)

人生何事も経験なので、アメリカに行くチャンスが来たのなら、行ってみればいい。できたら、父親と二人きりの閉鎖された世界だけではなく、色々な人と色々な経験をして、世界を広げて行って欲しいと思う。



さて、東京にいる間は、元夫と娘がどのような生活をしているのかを観察してみた。

元夫は病気で食べられないものが多い上に、独自のルーティンがあるが、それを娘がサポートしている様な状態だ。元夫も自分で一から料理したり、掃除している様である。

(注:「一から料理」とは、昔は材料を揃えたり、切ったりするのは私の役目であったから、笑)

一緒に住んでいた頃は、自分の方が水場の近くにいるのに、私に水を持って来て欲しいとお願いする様な人だったが、人間変わるものだ。

だが、まだ娘に「あれ持って来て」「これに水入れて」などと言っていたので、まあ、人間の根っこの部分はそんなに簡単に変わらないよね、と思ったりもした。

一方、娘が元夫の言いなりなのではないかと心配をしていたのだが、「も~、ここにあるじゃん!」とか、「え、なんで、そうじゃないよ」など、結構はっきり自分の意見は言えているし、感情も出せている様なので、少し安心した。

一緒に住んでいる親の影響を強く受けるのは仕方がないので、少しづつ家族以外との接触も増えていけば、視野が広がっていくのじゃないだろうか、などと期待したりしている。



私と娘の関係は、離れていたのでどことなくぎこちない。

それでも、自分のお昼を買いにコンビニ行けは、「確かこれは娘が好きだったはず」と、記憶を頼りに、娘が好きだったおやつなどをつい買ってしまう。

ダイニング用のテーブルに置いておいたどら焼き(娘が好き)を見つけた娘が、私のところまでそれを持って来て「ん(食べたい、の意味)」と言われれば、嬉しくなって、またどら焼きを買ってしまったりするのだが、何度も買うと食べてくれなくて、がっかりしたりもする(笑)

元夫と、もう一度、同じ屋根の下に住むつもりは無いので、今後も娘と一緒に暮らす事は無いと思う。母親としては失格だったと思うが、一緒にいる間だけでも、何かを共有できたら嬉しい。



そうやって、ケンカしない夫婦を演じながら、数日間一緒に過ごしているうちに、娘の出発の日が近づいてきた。

元夫はいつもそうなのだが、出発の前夜に、突然、忙しそうにパッキングを始めるタイプだ。しかも、なぜかムダに荷物が多い。北海道にも置くタイプの大きな血圧計を持って来ていたが、(それ、本当に持って行く必要ある・・・?)と言うものが多い。

旅行ではなく、二人で引っ越しなので、さらに色々必要になる。

今回もやはり、前日の夜になって、「もうパッキングしないと間に合わない。寝る時間無いかもしれない。」などと言い出して、忙しくパッキングを開始。(そして、出発は朝の8時。。。)

「忙しい俺かっこいい」って思っているところはあると思うのだ。

パッキングを始めると、元夫は自分のやりたい様に、そして、周りの人間には指示通り動く事を要求するので、さらに面倒である。

時間がある時にコツコツやっておけば焦らなくて済むのに、なんで前日の夜になってから始めるのか。それに行先はアメリカなのだから、ものが無いわけではない。必要なものは向こうで買えばいいのだ。

私は申し訳ないが、12時を過ぎた後は寝させてもらった。離婚してからも、義理でパッキングの為に起きているつもりは無い。勝手にやってください。



娘の出発の日はあいにくの雨であった。

元夫は普段からお願いしているドライバーがいるらしく、その人に迎えに来てもらった。大きなバンで狭い家の前まで来てもらったのはいいが、今度は道路が狭く(出られるの?)と、こっちがドキドキしたが、何とか大通りに出る事が出来て、無事に出発。

私たち3人の他に、今日同じ便でインドに帰るらしいインド人も一緒だった。(娘は、成田→デリー→ニューヨークでアメリカに行く。)

雨の中、バンは結構なスピードで進む。隣に座った娘が、うとうとしながら頭が前の方に下がっていくのを見て、肩を抱く。もう私と同じぐらいに背が伸びた娘だが、まだ私にとっては小さな娘だった。さらに遠くに行ってしまうのは寂しいが、もっと大きな世界に飛び込むのなら、笑顔で見送ってやりたいと思う。

(空港の中にあったポケモンストアの看板。甥っ子に見せようかと思っていたが、そう言えばもう成田には戻らないんだった、笑)

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空港には時間通りに着いたので、まずはチェックインをして荷物を預ける。ところが、荷物の一つ、タブラ(インドの打楽器)が入っているバッグに鍵がかかっていないので、買ってきて欲しい、と言う。

トランクの様なハードケースではないので、これに鍵をかけたって、そのまま持って行かれたらおしまいだよ。。。
それに、なんで、このタイミングで楽器を持ってきた?(他に必要なものあったよね?)

文句を言っても元夫の気が休まらないだろう事は分かったので、近くの売店で小さなロックを買って持って行ってやった。

チェックインも済ませ、荷物も預けて、出発まで時間があるので、朝ごはんにすることにした。

日本で3人で食べる最後のごはんは、マックだった。外食がほとんどできない元夫も、サラダでドレッシングなしにすれば食べられる。コロナ対策で、仕切りがあり、他の人との相席で食事を済ませて、セキュリティに進むことにした。

セキュリティから先は私は入れないので、ここで娘ともお別れである。

結局、離婚の事も親権の事も話し合いすることができなかった。(ダメな私)これが帰国の最も大事な用事だったのに、勇気を出せない自分を殴りたいぐらいだが、親権の為に出す書類にはサインをもらおうと思い、セキュリティゲートをくぐる前に、元夫に書類を出してサインしてもらった。

「こういう大事な書類はもっと前に出して欲しいけど、お前を信頼するから署名はする」

はい。ごもっともです・・・。すいません。

Google translatorで何の書類なのかを確認した後、夫は書類にサインした。

夫には、これからアメリカに行き、その間一緒に暮らして監護するのは元夫なので、その旨を日本の役所に提出すると伝えた。離婚の事はこの時は話をしなかったのだが、後になって、実は夫も離婚の決着がついている事が判明したのは、10月になってからだった。

つまり、お互いに離婚した事を知りながら、離婚していないふりをして生活していたのだ。

大事な事を、ちゃんと向き合って伝える、話し合いをする事ができない自分の欠点を今後は直していきたい。


娘には、アメリカに行く事は大きなチャンスだと思うので、自分を大切にして、自分が好きな事、チャレンジしてみたいものは何でもやってみる様に伝えた。

理解できたのかどうかよく分からなかったが、娘は「ん(分かった、の意味)」と答え、私に手をふりながら、セキュリティゲートの奥に消えて行った。

数年前にもデリーの空港で娘を見送ったが、数年後に成田空港で出発する娘を見送ることになるとは予想もしていなかった。けれども、娘も前に進むのだから、いいじゃないか、と自分をなだめつつ、空港のロビーで少しまったりした。急いで帰らないといけないスケジュールではない。

空港のお店で、来週、東京のオフィスに行く時のお土産を選んでいると、セキュリティが終わりゲートに到着したと、元夫から電話がかかってきた。デリーの空港の時とは大違いで、セキュリティもあっという間に終わってしまったようだ。(確かにガラガラだった)

別れた相手だが、娘を託すので、娘に会わせてくれたこと、娘が元気に成長していることについては感謝を伝えた。「戻って来い」と言われたけれども、それはお断りした。

別れても情が無くなるほど器用でもないし、子供がいるので、連絡を全く取らない状態にもできない。

娘も新しい場所に移りさらに成長するだろう。そしたら、元夫も連絡する回数が減って来るだろうか、と考えながら、東京に戻る電車に乗ったのだった。



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